北陸街道を行く(糸魚川→富山)

2017.08.16(水) 日帰り

活動データ

タイム

05:22

距離

82.3km

のぼり

590m

くだり

579m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 22
休憩時間
21
距離
82.3 km
のぼり / くだり
590 / 579 m
41
12
3
4 1

活動詳細

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今回は歩きではなく車でドライブです。 図書館で「北陸街道紀行」って本を借りて来たら、居てもたってもいられなくなり、車でスタートしてみました。 糸魚川からスタートして時間切れで富山市まででしたが、そのうち、高岡を通り、県境、倶利伽羅峠までの続きをしようと思います。 いずれコマ切れで、先人たちが歩いたこの道を自分の足でたどってみようと思います。

富山市 糸魚川の松本街道と北陸街道の交差点からスタートです。松本街道は塩の道と呼ばれ、内陸部へ塩を運んだ白馬を抜ける現在の148号線です
糸魚川の松本街道と北陸街道の交差点からスタートです。松本街道は塩の道と呼ばれ、内陸部へ塩を運んだ白馬を抜ける現在の148号線です
富山市 姫川。この上流からのヒスイの原石が波で運ばれ、朝日町宮崎のヒスイ海岸に打ち上げられます
姫川。この上流からのヒスイの原石が波で運ばれ、朝日町宮崎のヒスイ海岸に打ち上げられます
富山市 子知らずの浜。親不知ほどではないですがかなり狭い。昔はテトラポットも無かったろうから大変危険な道中だったに違いありません。
子知らずの浜。親不知ほどではないですがかなり狭い。昔はテトラポットも無かったろうから大変危険な道中だったに違いありません。
富山市 親不知にはこのような廃道がいくつもあります。斜面が急な事から何度も作り変えられ、道幅も広くなっていきました
親不知にはこのような廃道がいくつもあります。斜面が急な事から何度も作り変えられ、道幅も広くなっていきました
富山市 山間にへばりつくような親不知の集落。東の子不知、西の親不知の間でのつかの間の休憩ポイントだったでしょう
山間にへばりつくような親不知の集落。東の子不知、西の親不知の間でのつかの間の休憩ポイントだったでしょう
富山市 親不知駅
親不知駅
富山市 親不知。崖です崖!こんなところを、加賀百万石の大名行列が通っていたとはにわかに信じられません
(´⊙ω⊙`)
親不知。崖です崖!こんなところを、加賀百万石の大名行列が通っていたとはにわかに信じられません (´⊙ω⊙`)
富山市 親不知を抜けてたところ。胸をなでおろした事でしょう。でもこれから向かう人にとっては…泣
親不知を抜けてたところ。胸をなでおろした事でしょう。でもこれから向かう人にとっては…泣
富山市 市振の関まで来ました
市振の関まで来ました
富山市 弘法の井戸。弘法大師が地元の人の好意に感謝して杖で地面を突くと吹き出したという言われ。
弘法の井戸。弘法大師が地元の人の好意に感謝して杖で地面を突くと吹き出したという言われ。
富山市 市振の宿場町。松尾芭蕉が奥の細道で
「一家に遊女もねたり萩と月」を歌った場所
市振の宿場町。松尾芭蕉が奥の細道で 「一家に遊女もねたり萩と月」を歌った場所
富山市 市振の関がかつてあった場所。この後の境の関所は加賀藩の管轄、市振の関所は高田藩の管轄だったらしいです
市振の関がかつてあった場所。この後の境の関所は加賀藩の管轄、市振の関所は高田藩の管轄だったらしいです
富山市 市振、境は家の屋根側が玄関の「入り妻」が多い。これが独特の風情を生んでいます。家と家の間もさほど広くなく、雪下ろしの際どうするんだろう…海だから積もらないのかな?
市振、境は家の屋根側が玄関の「入り妻」が多い。これが独特の風情を生んでいます。家と家の間もさほど広くなく、雪下ろしの際どうするんだろう…海だから積もらないのかな?
富山市 宮崎海岸へ。つい数日前にこの鹿島神社の横からトレッキングしたんですよね〜(^-^)
また来ることになろうとは…
ここは北陸街道の一里塚が置かれていた場所でもあります
宮崎海岸へ。つい数日前にこの鹿島神社の横からトレッキングしたんですよね〜(^-^) また来ることになろうとは… ここは北陸街道の一里塚が置かれていた場所でもあります
富山市 宮崎海岸から泊までの海沿いの道。この辺りは穏やかでいいですね
宮崎海岸から泊までの海沿いの道。この辺りは穏やかでいいですね
富山市 気持ち良い道なので行き過ぎてしまいました。戻って、この踏切を渡って北陸街道に入ります
気持ち良い道なので行き過ぎてしまいました。戻って、この踏切を渡って北陸街道に入ります
富山市 実に旧街道らしい曲がり方の道
実に旧街道らしい曲がり方の道
富山市 親鸞聖人の腰掛石とケヤキ。越後に流罪になる時腰掛けて地元民に説法したいわれがあります。立派なケヤキです
親鸞聖人の腰掛石とケヤキ。越後に流罪になる時腰掛けて地元民に説法したいわれがあります。立派なケヤキです
富山市 横尾、脇子八幡宮。雰囲気のある神社です
横尾、脇子八幡宮。雰囲気のある神社です
富山市 泊まで来ました。北陸街道はこと泊の交差点で下回り、上回り、に分かれます。黒部川が四十八滝と呼ばれ、川を渡ることが難しかったため、上流、愛本橋への迂回ルートが出来ました。いずれ上回りも探索してみます
泊まで来ました。北陸街道はこと泊の交差点で下回り、上回り、に分かれます。黒部川が四十八滝と呼ばれ、川を渡ることが難しかったため、上流、愛本橋への迂回ルートが出来ました。いずれ上回りも探索してみます
富山市 入善に入りました。
入善に入りました。
富山市 入善のかつての宿場町。
入善のかつての宿場町。
富山市 入善 持専寺。富山らしく浄土真宗のお寺が多く目につきます。
入善 持専寺。富山らしく浄土真宗のお寺が多く目につきます。
富山市 街道沿いに整備された松の木。かつては幕府の命で一町(109m)毎に植えられ、旅人はそこで暑さをしのいだそうです
街道沿いに整備された松の木。かつては幕府の命で一町(109m)毎に植えられ、旅人はそこで暑さをしのいだそうです
富山市 奥の細道記念碑。黒部川の東岸。江戸時代、黒部川の下流は蛇行して川幅4キロ近くあったそうで、遥か離れた入善、古黒部地区はその名残りのようです。芭蕉が通った時は夏だったから大丈夫だったのかな?
奥の細道記念碑。黒部川の東岸。江戸時代、黒部川の下流は蛇行して川幅4キロ近くあったそうで、遥か離れた入善、古黒部地区はその名残りのようです。芭蕉が通った時は夏だったから大丈夫だったのかな?
富山市 この橋の下流辺りに北陸街道の渡し場があったそうです。今でも充分川幅ありますね
この橋の下流辺りに北陸街道の渡し場があったそうです。今でも充分川幅ありますね
富山市 黒部、三日市町へ。その名の通り、市場が模様され賑わっていたようです。
黒部、三日市町へ。その名の通り、市場が模様され賑わっていたようです。
富山市 この交差点で下回りと上回りの北陸道が合流します。上回りの方が1キロほど長かったらしい
この交差点で下回りと上回りの北陸道が合流します。上回りの方が1キロほど長かったらしい
富山市 街道の向こうに見える大きな樹木は…
街道の向こうに見える大きな樹木は…
富山市 三島の大ケヤキ!!樹齢300年以上
三島の大ケヤキ!!樹齢300年以上
富山市 幹の太さは五メートル!
幹の太さは五メートル!
富山市 もともとは隣にある八心大市比古神社の境内の木だったようですが、県道を作る際に分断されたのだとか
もともとは隣にある八心大市比古神社の境内の木だったようですが、県道を作る際に分断されたのだとか
富山市 片貝川を渡っていよいよ魚津市
片貝川を渡っていよいよ魚津市
富山市 真宗大谷派 大徳寺。美しい参道です
真宗大谷派 大徳寺。美しい参道です
富山市 魚津中央通り。ここも北陸道の宿場でした
魚津中央通り。ここも北陸道の宿場でした
富山市 江戸まで100里→400km Σ(-᷅_-᷄๑)
歩くのか…
江戸まで100里→400km Σ(-᷅_-᷄๑) 歩くのか…
富山市 銀座商店街。魚津城の城下町と言ったところでしょうか…
銀座商店街。魚津城の城下町と言ったところでしょうか…
富山市 魚津城跡。今は大町小学校。ここはかつて上杉軍と織田軍が熾烈な戦いを繰り広げた地。
魚津城跡。今は大町小学校。ここはかつて上杉軍と織田軍が熾烈な戦いを繰り広げた地。
富山市 北陸街道はミラージュランドのすぐ横まで来ていました。それにしても観覧車ってたてで見ると何かよくわかりませんね
北陸街道はミラージュランドのすぐ横まで来ていました。それにしても観覧車ってたてで見ると何かよくわかりませんね
富山市 ミラージュランド。魚津水族館
ミラージュランド。魚津水族館
富山市 早月川を渡った北陸道は海沿いのなだらかな道となります
早月川を渡った北陸道は海沿いのなだらかな道となります
富山市 一里塚跡。かつての旅人は遠く見える立山連峰を、どんな思いで眺めたのでしょうか…
一里塚跡。かつての旅人は遠く見える立山連峰を、どんな思いで眺めたのでしょうか…
富山市 一町松。枝ぶりが素晴らしい。街道筋らしい景観
一町松。枝ぶりが素晴らしい。街道筋らしい景観
富山市 坪川の一里塚。盛り土を含めてこんなに綺麗な形で残る一里塚は越中でここだけらしい。
坪川の一里塚。盛り土を含めてこんなに綺麗な形で残る一里塚は越中でここだけらしい。
富山市 滑川に入りました。滑川本陣跡。大名行列が休憩した場所
滑川に入りました。滑川本陣跡。大名行列が休憩した場所
富山市 滑川の宿場通り。雰囲気ありますね
滑川の宿場通り。雰囲気ありますね
富山市 一町松がまだ残っている古い町並み
一町松がまだ残っている古い町並み
富山市 滑川から見た富山湾。あの山の端まで歩くのですね〜
滑川から見た富山湾。あの山の端まで歩くのですね〜
富山市 上市川。ここを渡ると富山市です
上市川。ここを渡ると富山市です
富山市 上市川河口
上市川河口
富山市 富山市水橋の一里塚
富山市水橋の一里塚
富山市 白岩川河口。当時はこんな堤防無かったろうから、どんな風景だったのか…
白岩川河口。当時はこんな堤防無かったろうから、どんな風景だったのか…
富山市 常願寺川河口まで来ました。橋を渡って浜黒崎、岩瀬に行くのが北陸街道の本道。常願寺川を遡り新庄から富山城に入るルートに分かれます。今回は富山城ルートへ向かいます
常願寺川河口まで来ました。橋を渡って浜黒崎、岩瀬に行くのが北陸街道の本道。常願寺川を遡り新庄から富山城に入るルートに分かれます。今回は富山城ルートへ向かいます
富山市 常願寺川水橋側は田畑が整備され、かつての街道のはよく分からなくなります。多分、右側の農道がそれではないかと…左側は常願寺川堤防の道路
常願寺川水橋側は田畑が整備され、かつての街道のはよく分からなくなります。多分、右側の農道がそれではないかと…左側は常願寺川堤防の道路
富山市 常願寺大橋を渡ったところに北陸街道は斜めに横断していたらしいです。常願寺川は平素は水の量も多く無かったろうから渡りやすかったのでは?
常願寺大橋を渡ったところに北陸街道は斜めに横断していたらしいです。常願寺川は平素は水の量も多く無かったろうから渡りやすかったのでは?
富山市 常願寺川左岸を遡り、針原方面へ。この松は一町松っぽい…
多分この道であってるはず。
常願寺川左岸を遡り、針原方面へ。この松は一町松っぽい… 多分この道であってるはず。
富山市 これも一町松。気にしないとただの松なんですが、こうやって街道筋の大事な役目を担ってると思うと感慨深いものがあります
これも一町松。気にしないとただの松なんですが、こうやって街道筋の大事な役目を担ってると思うと感慨深いものがあります
富山市 針原です北陸街道ば国道8号線で分断されました。道祖神が街道筋である事を物語ります
針原です北陸街道ば国道8号線で分断されました。道祖神が街道筋である事を物語ります
富山市 新庄銀座交差点。フャニチャーパークk3が右側にある41号線の右側斜めに北陸街道は続きます。
新庄銀座交差点。フャニチャーパークk3が右側にある41号線の右側斜めに北陸街道は続きます。
富山市 ここにも道祖神
ここにも道祖神
富山市 禅宗の全福寺。道がクランクになってるのは、城下町で敵の侵入を防ぐためか?
禅宗の全福寺。道がクランクになってるのは、城下町で敵の侵入を防ぐためか?
富山市 「これより東 大いわみち」
大岩不動へ向かいますという事でしょうか?
「寺の方 江戸」
江戸って、なんともざっくりな(笑)
「これより東 大いわみち」 大岩不動へ向かいますという事でしょうか? 「寺の方 江戸」 江戸って、なんともざっくりな(笑)
富山市 旧金岡邸。薬種商で明治維新後、富山の水量発電の祖として、現在のファーストバンクの設立者として、インテックなどなど富山になくてはならない産業の始祖になった人です
旧金岡邸。薬種商で明治維新後、富山の水量発電の祖として、現在のファーストバンクの設立者として、インテックなどなど富山になくてはならない産業の始祖になった人です
富山市 新川神社。日も暮れて来たので、今回はここまで。
次回はここからスタート
新川神社。日も暮れて来たので、今回はここまで。 次回はここからスタート

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