12/8 姫路 慶雲寺 比翼塚

2017.08.28(月) 日帰り

活動データ

タイム

00:14

距離

590m

のぼり

0m

くだり

0m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
14
休憩時間
4
距離
590 m
のぼり / くだり
0 / 0 m
15

活動詳細

すべて見る

今年の真夏8月28日に伺った寺院です。 ある方から『お仏壇の件』について直接メッセージを頂いたので、これは慶雲寺さんのことをお話ししなくちゃ❗️と思い、公開させて頂きます🙇 登山日記ではございませんので、ご興味の無い方にはご迷惑をおかけ致します🙇💦 まづこの『慶雲寺(けいうんじ) 比翼塚』をお話しする為には、井原西鶴や近松門左衛門が描いた小説や戯曲、歌舞伎でも演じられる悲しいお話、 『お夏・清十郎』 のお話しをさせて頂きます🙇 このお2人は実在された人物であり、まづウィキペディアから引用です。 『姫路城下の旅籠の大店、但馬屋の娘・お夏は、恋仲になった手代・清十郎と駆け落ちをするが、すぐに捕らえられてしまう。 清十郎は、かどわかしに加え、店金持ち逃げの濡れ衣まで着せられ打ち首となる。 お夏は狂乱して行方をくらませ、誰も二度とその姿を見ることはなかったという』 次に、慶雲寺さんにある解説文から引用です。 『お夏は、姫路城の大手門にあたる本町の米問屋但馬屋九左衛門の娘に生まれ、 清十郎は姫路の西方、室津港の造り酒屋和泉清左衛門の息子で、何不自由ない家庭に育ち、錦絵にも優る美男であったが、故あって清十郎は19才の時、但馬屋に勤める身になり、明け暮れ律儀に勤めたので万人から好かれるようになった。 いつしかお夏と清十郎は深い相想の仲となったが、九左衛門はこれを許さなかった。 思いもよらぬ濡れ衣に依って、あたら25才の時、清十郎ははかなくも刑場の露と消えたのである。 この事を知ったお夏は、墨染めの衣に身を包んで読経三昧に暮らし、ひたすら清十郎の冥福を祈った。 但馬屋も二人の純愛に打たれ『比翼塚』を作って、その霊を慰めたと云う』 そしてこれは姫路市の公式サイトからの引用です。 『井原西鶴・近松門左衛門の小説や戯曲などで有名な『お夏・清十郎』の霊を慰める比翼塚が、姫路城の北東にある慶雲寺にあります。 許されぬ恋ゆえに、清十郎は刑死し、お夏は狂乱する哀しい恋物語に、刑死の墓が禁じられていた当時、 『せめてあの世で‥…』 と、誰となく2つの石を置いて祀ったのがはじまりと言われております』 わたくし事ですが、 実は私、西国三十三観音霊場の中先達(なかせんだつ)をさせて頂いており、姫路には西国第27番札所 書写山 圓教寺』さんがございます。 『圓教寺』さんや、牛頭天王がお見えになる『広峰山 広峰神社』を巡礼した時に、実際慶雲寺に行ってみました。 いつ見ても素晴らしい『姫路城』を横に、昔ながらの城下町を漂い出す狭い路地を進むと、住宅地の中に慶雲寺があります。 静かで派手な装飾は全くない寺院。 正門が空いてましたので入ります。 簡単な案内図と解説文を読んだ上で、正門を入って左手に曲がって進んで行くと、お庭に通じる門があります。 勝手に入っても良いのかな? と立ち止まって考え覗き込んでいると、お庭の奥手辺りから、何とも言えない気持ち良い優しい『気』を感じます。 寺院の方が誰もお見えならなかったので、心の中で『慶雲寺の仏様、失礼させて頂きます』と断ってからお庭に入ってみました。 塀づたいにお庭を進むと、ございました🍀 『比翼塚』です。 ご灯明とお線香がされていましたので、わたしも持参のご灯明とお線香を☺️ 後ろ手に観光客休憩用のベンチも置かれてましたので、どなたでも入って良いご様子です。 登山山頂時と同じように、一人ブツブツと般若心経を唱え、ベンチに座ってぼっ〜と眺めていると、やっと波長が合ったのか見えて来ました☺️ 私などには言葉が見つからないので、識子さんのお言葉をお借りすると、 『崇高な愛の波動』です。 清十郎さんは死後、鬼のような般若の顔をし、凶暴な荒々しい禍々しい『怨霊』になろうとしてました。 それほどまでに『恨み、祟りの念』が強かったんだと思われます。 お夏さんは清十郎さんの死後、誰とも接することなく静かに深い悲しみに暮れてましたが、言い伝えられているように『狂乱』などなさっておりません。 ( 神社やお寺にある縁起、ネット上の情報、小説等は、こういう風に後の時代に誰かが過大評価されるよう偽造された『後付け』がほとんどです。お気をつけなさった方が良いかと思われます。) お夏さんは、毎日静かに清十郎さんの菩提に手を合わせます。 来る日も来る日も、暑かろうと寒かろうと静かに手を合わせております。 これはお夏さんが、いつまでもいつまでも変わる事なく清十郎さんの事を『好きです。愛してます。』と言葉で、口で言うのではなく、清十郎さんのことを『好きです。愛してます。』という『気持ち、感情』をそのまま伝えてます。 目を閉じて、静かに手を合わせて合掌しながら、楽しかった頃の清十郎さんとの思い出や優しかった清十郎さんの事、私はどんなに月日が経とうとも、やっぱり清十郎さんを愛してる。という感じです。 これをお夏さんは、毎日毎日行いました。 ここで驚きの風景が私には入ってきました。 怨霊・悪霊になりかけていた清十郎さんが、毎日毎日送られてくるそのお夏さんの愛という念に、少しずつ穏やかになってくるんです。 生えかけていた鬼の角も徐々に浄化され、表情も穏やかに、生前の清十郎さんのお顔に。 しかも❗️驚きました。 生前の清十郎さんに戻ったところで止まらずに、仏様特有のオーラが射し始めたんです。 自分に濡れ衣を被せて処刑された、その恨み辛みを一切浄化された上に、仏様になる道に進んで行かれます。 空海さんでも、最澄さんでも、一生を修行に捧げて尊い仏様になられました。 清十郎さんは、生前修行なさっておられません。 怨霊・悪霊・邪鬼になるくらいの強い恨み辛みを抱えて亡くなった魂は、どんなに神様・仏様が説得しようとも、お声は届きません。馬の耳に念仏です。 落ちる世界が、違うからです。 閻魔王庁は仏様の世界です。閻魔大王様は、とてつもなく高いレベルの優しさに溢れた仏様です。 (わたしも過去、過ちを犯しているので、死後必ず閻魔王庁に向かいます。) でも、閻魔王庁は仏様の世界ですので、神様・仏様のお声は届きます。 怨霊・悪霊・邪鬼の世界は、実在します。 真っ暗な闇の世界であり、例えば織田信長公は今この闇の世界に捕らわれてます。 お夏さんの清十郎さんへのこの愛という祈り、愛という感情・念。 つまりイエス・キリスト様が生前常々言ってお見えだった、『愛』は奇跡を起こす。 これは本当の事だと思いました。 お夏さんの愛してますという念、2人で楽しかった思い出という感情が、清十郎さんを魔から仏へと推し進めたんです。 そこで、お仏壇です。 お仏壇、お墓の前で、 例えば、故人の事が気がかりで 『何か欲しいものある?』 『私に何か言い忘れてない?』 『あれは何処にしまってあるの?』 と言った心配の念を送り続けてしまうと、故人にも心配の念が届きます。 『亡くなって哀しい』 『なんで私よりも先に行っちゃったの』 と悲しい念を送ってしまうと、故人にも悲しいという念が届いてしまいます。 『愛の念・楽しい念』は、故人を仏の道へと押し上げて行きますが、心配や悲しみ、不満の念は、故人の行くべき道を止める、むしろ足を引っ張ってしまいます。 何度も『愛』という言葉を繰り返しましたが、実は書いてる私自身が少し照れ臭く感じてます😓 わたしも毎日朝夜と、神棚・お仏壇に手を合わせておりますが、こうされると良いと思います。 生前、故人との楽しかった思い出、一緒に旅行に行ったとか、美味しいものを一緒に食べたとか。 楽しかった念や、ありがとうという感謝の念を送ってあげる事で、故人もきっと喜ばれるかと思われます☺️ わたしの場合、小学生の時の夏休みの宿題を夏休み最終日まで忘れていた思い出が😓 でも亡くなった母は、私を叱ることもせず、楽しく一緒に徹夜して手伝ってくれたその優しさに感謝の念を毎日送っております☺️ 登山とは全く関係ない部類ですので、公開しておりませんでしたが、 こんなわたくしなんかに、『お仏壇で手を合わす時、どう思って手を合わすべきですか?』 と聞いて頂いた方がお見えでしたので、これはご存知無い方もお見えでは?と思い、わたくし如きで恐縮ながら公開させて頂きました。 長々と誠に失礼致しました🙇 また最後まで読んで頂いた方々、ありがとうございます🙇

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。