小島烏水ゆかりの地 横浜階段地帯

2017.09.18(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 23
休憩時間
3
距離
5.9 km
のぼり / くだり
197 / 196 m
2 23

活動詳細

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小島烏水(コジマウスイ 1873年12月29日-1948年12月13日)という方をご存知でしょうか。 横浜正金銀行に勤めるサラリーマンながら、随筆家、文芸批評家、また登山家として日本山岳会初代会長だった人です。 映画にもなった「劒岳点の記」にも登場します。 生まれは香川県だそうですが、父親の転勤で子どもの頃から横浜に居住していました。 著名人の割には、ゆかりの地等の情報がほとんどありません。(お墓は文京区の常泉院にあることがわかりました) 住んでいたのはどのあたりでしょう。 石川啄木の日記や住所録には、小島烏水の住所が「横浜市西戸部町八九八」と記されています。 都合よいことに横浜市立図書館デジタルアーカイブに1911年(明治44年)発行の「横浜市西戸部町戸部町伊勢町老松町番地図」があり、898と読める地番があります。随筆「亡びゆく森」に「今私の住居してゐる山王山附近である」とあり、地図にも山王山の記載があります。また、隣接して税関官舎がありますが、烏水の父親が税関職員だったこととも関連付けられます。現在の地図で西戸部町1-45か46の、三角の地割りがそうではないかと思われます。 「亡びゆく森」には当時の様子が垣間見られる記述がいくつかあります。 「私は中学校の裏から、久保山へ抜ける森の中の落葉道で・・・」 この中学校は烏水が通っていた横浜商業高等学校(野球が強いY校)とも考えられますが、学校の裏から久保山に抜ける道があるとすると、旧制県立第一中学校ではないかと思われます。 「豚谷戸だの、乞食谷戸だのといふ綽名があつて、特殊の部落も、その窪地にある・・」 豚谷戸は西戸部にあったとされていますが、正確な場所はわかりませんでした。乞食谷戸というのは現在の南太田~久保山付近にあった、戦前まで日本最大の貧民街といわれた一帯のことです。その地の生活者についての記述もあり、谷戸の住民が木を切り倒してしまうことを嘆いてもいます。 「森林の壁一重を隔てゝ、内には寺院があり、墳墓があり、孤児院と救護所があり・・」 明治39年の地図に既に救護院と孤児院の記載があります。現在の地図で救護院はありませんが、孤児院があった場所には三春台公園と保育園が確認できます。 「亡びゆく森」が書かれたのは、地図が作成された昭和7年頃と言われています。この頃既に、丘陵地の斜面にしか森は残っていなかったのだと思いますが、「私の宅の周囲も・・染色硝子(ステンドグラス)を立てゝゐたが、一角だけを残して、殆んど全部が、(谷戸の住民に)滅茶滅茶に破壊された」とか「この森の中で、首縊(くびくゝり)が二人ばかりあつた・・」とあります。無法者が住み付き、人目を避けて首吊りできる程度の樹木はあったようです。  尚、烏水の著作は青空文庫や横浜市立図書館デジタルアーカイブ等で読むことが出来ます。 前書きが長くなってしまいました。烏水が歩いたであろう、西戸部から庚台あたりを行ってみます。

横浜市 中央エリア 1911年(明治44年)発行の「横浜市西戸部町戸部町伊勢町老松町番地図」より。赤枠に898と読めます。
1911年(明治44年)発行の「横浜市西戸部町戸部町伊勢町老松町番地図」より。赤枠に898と読めます。
横浜市 中央エリア 昭和7~9年の地図。この地図は横浜市建築局都市計画課サイト内横浜市三千分一地形図からKLM形式でグーグルアースで閲覧できます。赤線は今回のトラックログ、青塗が久保山墓地、緑塗が乞食谷戸があった場所。
昭和7~9年の地図。この地図は横浜市建築局都市計画課サイト内横浜市三千分一地形図からKLM形式でグーグルアースで閲覧できます。赤線は今回のトラックログ、青塗が久保山墓地、緑塗が乞食谷戸があった場所。
横浜市 中央エリア 明治39年測量の地図。今昔マップから作成しました。
明治39年測量の地図。今昔マップから作成しました。
横浜市 中央エリア スタート地点の京浜急行戸部駅
スタート地点の京浜急行戸部駅
横浜市 中央エリア 細街路を狙って行きます。基本的に自治体のマンホールがある場所は、公有地かそれに順ずるものです。道と考えて良いかと思います。多分。
細街路を狙って行きます。基本的に自治体のマンホールがある場所は、公有地かそれに順ずるものです。道と考えて良いかと思います。多分。
横浜市 中央エリア 西戸部町2-128付近。狭いです。
西戸部町2-128付近。狭いです。
横浜市 中央エリア 西戸部町2-133付近。道に電柱が生えています。
西戸部町2-133付近。道に電柱が生えています。
横浜市 中央エリア 鉢猫がいました。思いっきり警戒されています。
鉢猫がいました。思いっきり警戒されています。
横浜市 中央エリア 西戸部町2-145付近の階段を上がります。
西戸部町2-145付近の階段を上がります。
横浜市 中央エリア 西戸部町2-142付近ヨリみなとみらい方面。ランドマークタワーはこの辺の大抵の場所から見えるので、進行方向の目安になります。
西戸部町2-142付近ヨリみなとみらい方面。ランドマークタワーはこの辺の大抵の場所から見えるので、進行方向の目安になります。
横浜市 中央エリア 西戸部町1-38の階段を下ります。向かいの山は野毛山動物園。
西戸部町1-38の階段を下ります。向かいの山は野毛山動物園。
横浜市 中央エリア 階段地帯住民の工夫。多分公共用地に勝手に設置していると思われます。
階段地帯住民の工夫。多分公共用地に勝手に設置していると思われます。
横浜市 中央エリア 階段の突き当たりが、小島烏水の居住していたと思われる場所です。が、推定が誤っていたことが判明しました。それは後程。
階段の突き当たりが、小島烏水の居住していたと思われる場所です。が、推定が誤っていたことが判明しました。それは後程。
横浜市 中央エリア 水道みちです。先日の「激走 横浜水道みち」では、この坂を自転車で走りました。昼間見てみると凄い急坂です。「尻こすり坂」の通称があります。
水道みちです。先日の「激走 横浜水道みち」では、この坂を自転車で走りました。昼間見てみると凄い急坂です。「尻こすり坂」の通称があります。
横浜市 中央エリア 飼い猫なのに目付が悪い。
飼い猫なのに目付が悪い。
横浜市 中央エリア 西戸部町1-103羽沢稲荷
西戸部町1-103羽沢稲荷
横浜市 中央エリア 羽沢稲荷のすぐ脇の稲荷階段を登ります。
羽沢稲荷のすぐ脇の稲荷階段を登ります。
横浜市 中央エリア 稲荷階段を登った一本松小学校裏手から。ランドマークタワーが正面に見えます。
稲荷階段を登った一本松小学校裏手から。ランドマークタワーが正面に見えます。
横浜市 中央エリア 西戸部町1-105付近の階段。ここにもお手製のスロープが。
西戸部町1-105付近の階段。ここにもお手製のスロープが。
横浜市 中央エリア 一本松小学校の正門側に素敵な階段があったのですが、通行禁止。迂回します。
一本松小学校の正門側に素敵な階段があったのですが、通行禁止。迂回します。
横浜市 中央エリア 霞ケ丘108(水道局公舎跡地)
霞ケ丘108(水道局公舎跡地)
横浜市 中央エリア 霞ケ丘102(丘友坂・キュウユウザカ)右から来て左の丘友坂を登ります。
霞ケ丘102(丘友坂・キュウユウザカ)右から来て左の丘友坂を登ります。
横浜市 中央エリア 霞ケ丘101付近の階段。
霞ケ丘101付近の階段。
横浜市 中央エリア 階段を上ると狭く長い道です。火事になったら逃げられなくなりそうです。郵便バイクはともかく、宅配便はどうしているのでしょう。
階段を上ると狭く長い道です。火事になったら逃げられなくなりそうです。郵便バイクはともかく、宅配便はどうしているのでしょう。
横浜市 中央エリア 途中にカワイイ家がありました。
途中にカワイイ家がありました。
横浜市 中央エリア 最後は行き止まりでしょうか。
最後は行き止まりでしょうか。
横浜市 中央エリア と思ったら家の隙間を通ってよさそうです。少なくとも宅配便の人は荷物を持って走り抜けていました。車はどこに停めているのでしょう。
と思ったら家の隙間を通ってよさそうです。少なくとも宅配便の人は荷物を持って走り抜けていました。車はどこに停めているのでしょう。
横浜市 中央エリア うわっ狭っ。両側の家の人はここを通る以外アプローチはありません。家が新しかったのですが、工務店泣かせの屋敷です。
うわっ狭っ。両側の家の人はここを通る以外アプローチはありません。家が新しかったのですが、工務店泣かせの屋敷です。
横浜市 中央エリア さらに進むと、くねった階段です。
さらに進むと、くねった階段です。
横浜市 中央エリア 霞ケ丘11の階段を登ります。
霞ケ丘11の階段を登ります。
横浜市 中央エリア 向かいの建物は関東学院中高です。画面下の不自然な緑は何でしょう。
向かいの建物は関東学院中高です。画面下の不自然な緑は何でしょう。
横浜市 中央エリア 戻ってみたら家の屋根が蔦に覆われていたのでした。また階段を登ります。
戻ってみたら家の屋根が蔦に覆われていたのでした。また階段を登ります。
横浜市 中央エリア 遠回りでも道路を走った方が早いと思うんですが。若いっていいな。
遠回りでも道路を走った方が早いと思うんですが。若いっていいな。
横浜市 中央エリア 踏んづけられるよ。
踏んづけられるよ。
横浜市 中央エリア 霞ケ丘23付近。野毛山公園西端
霞ケ丘23付近。野毛山公園西端
横浜市 中央エリア 霞ケ丘16付近の長い階段を下ります。百段坂というらしいです。
霞ケ丘16付近の長い階段を下ります。百段坂というらしいです。
横浜市 中央エリア 藤棚浦舟通りと平行した階段を登ります。
藤棚浦舟通りと平行した階段を登ります。
横浜市 中央エリア 登ってきた階段方向を振り返ります。奥に見える車はこの狭い道を通るしかなさそうです。軽でも相当ギリなはず。
登ってきた階段方向を振り返ります。奥に見える車はこの狭い道を通るしかなさそうです。軽でも相当ギリなはず。
横浜市 中央エリア 霞橋。1928(昭和3)年建造。神奈川の橋100選だそうです。なかなかきれいな橋です。
霞橋。1928(昭和3)年建造。神奈川の橋100選だそうです。なかなかきれいな橋です。
横浜市 中央エリア 脇のトイレも凝ったデザインです。
脇のトイレも凝ったデザインです。
横浜市 中央エリア 孤児院跡地の三春台公園と保育園。写真を撮り忘れたので、後日撮り直したしたものもを使用します。実は職場からチャリで10分程と結構近いです。
孤児院跡地の三春台公園と保育園。写真を撮り忘れたので、後日撮り直したしたものもを使用します。実は職場からチャリで10分程と結構近いです。
横浜市 中央エリア 救護院の跡地。なんの痕跡もありません。こちらも後日撮り直した写真です。
救護院の跡地。なんの痕跡もありません。こちらも後日撮り直した写真です。
横浜市 中央エリア 庚台90付近の坂を登ります。この先が、かつて乞食谷戸と呼ばれたエリアです。
庚台90付近の坂を登ります。この先が、かつて乞食谷戸と呼ばれたエリアです。
横浜市 中央エリア 急傾斜地崩壊危険区域だそうです。
急傾斜地崩壊危険区域だそうです。
横浜市 中央エリア このあたりは、空き地と空き家が目立ちます。建替困難だからでしょうか。
このあたりは、空き地と空き家が目立ちます。建替困難だからでしょうか。
横浜市 中央エリア 庚台93付近を進みます。
庚台93付近を進みます。
横浜市 中央エリア 庚台29の坂道を下ります。とても横浜の中心市街地とは思えません。
庚台29の坂道を下ります。とても横浜の中心市街地とは思えません。
横浜市 中央エリア 庚台29より横浜清陵高校方面。斜面にびっしり建物がありますが、かつての乞食谷戸です。今では痕跡を探すのも困難です。スラム街でしたがB地区ではありません。
庚台29より横浜清陵高校方面。斜面にびっしり建物がありますが、かつての乞食谷戸です。今では痕跡を探すのも困難です。スラム街でしたがB地区ではありません。
横浜市 中央エリア 庚台29より。遠方の目立つ焦茶の建物は、南区のランドマーク横浜市大病院です。眼下の低地も乞食谷戸の一部で、同潤会の木造アパート群があったらししです。1945年5月29日の横浜大空襲で焼け野原になり、乞食谷戸も消滅しました。
庚台29より。遠方の目立つ焦茶の建物は、南区のランドマーク横浜市大病院です。眼下の低地も乞食谷戸の一部で、同潤会の木造アパート群があったらししです。1945年5月29日の横浜大空襲で焼け野原になり、乞食谷戸も消滅しました。
横浜市 中央エリア 庚台29の坂の下。右の煉瓦塀も古そうです。
庚台29の坂の下。右の煉瓦塀も古そうです。
横浜市 中央エリア 坂の一番下です。坂の沿道住民の自転車でしょうか。沢山放置されています。
坂の一番下です。坂の沿道住民の自転車でしょうか。沢山放置されています。
横浜市 中央エリア 庚台29の崖の下です。乞食谷戸の中になります。たまにこういう自己中な光景にでくわすと不気味さを感じてしまいます。
庚台29の崖の下です。乞食谷戸の中になります。たまにこういう自己中な光景にでくわすと不気味さを感じてしまいます。
横浜市 中央エリア ドンドン商店街の脇道。道路なのかよくわかりません。
ドンドン商店街の脇道。道路なのかよくわかりません。
横浜市 中央エリア 家が建っているところみると道路なのでしょう。
家が建っているところみると道路なのでしょう。
横浜市 中央エリア 清水ケ丘教会。1947年創立ですから、そんなに由緒あるものではないです。
清水ケ丘教会。1947年創立ですから、そんなに由緒あるものではないです。
横浜市 中央エリア ドンドン商店街の入口。交差点名称にもなっているのですが、名前の由来は近くの「ドンドン川」かららしい。大岡川とか中村川のことでしょうかね。名前はインパクトありますが、かなり寂れています。
ドンドン商店街の入口。交差点名称にもなっているのですが、名前の由来は近くの「ドンドン川」かららしい。大岡川とか中村川のことでしょうかね。名前はインパクトありますが、かなり寂れています。
横浜市 中央エリア ゴールの南太田駅です。最後まで見ていただいてありがとうございます。
ゴールの南太田駅です。最後まで見ていただいてありがとうございます。
横浜市 中央エリア 訪問した小島烏水の居住地は誤りであることが判明しました。参照した「横浜市西戸部町戸部町伊勢町老松町番地図」は上が北ではなかったのです。現在の地図と重ねてみると(青色がトラックログ)訪問地の裏手の西戸部2-197付近が正解のようです。早速昼休みに行ってみます。
訪問した小島烏水の居住地は誤りであることが判明しました。参照した「横浜市西戸部町戸部町伊勢町老松町番地図」は上が北ではなかったのです。現在の地図と重ねてみると(青色がトラックログ)訪問地の裏手の西戸部2-197付近が正解のようです。早速昼休みに行ってみます。
横浜市 中央エリア ここが小島烏水の居住地と思われる場所です。えーやはり何の痕跡もありません。写真右手の白い柵が旧税関官舎で、現在も公務員宿舎西戸部住宅です。
ここが小島烏水の居住地と思われる場所です。えーやはり何の痕跡もありません。写真右手の白い柵が旧税関官舎で、現在も公務員宿舎西戸部住宅です。
横浜市 中央エリア 別の角度から。それらしいものは何もありません。道路からでは判りにくいですが、多分家の2階からだと西方の眺めは良いはずです。「亡びゆく森」には、二階の書斎から森や富士山が見えたとの記述があります。
別の角度から。それらしいものは何もありません。道路からでは判りにくいですが、多分家の2階からだと西方の眺めは良いはずです。「亡びゆく森」には、二階の書斎から森や富士山が見えたとの記述があります。

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