"b"「勝尾寺・西国・小野原・山田街道」今宮バス停→勝尾寺街道→今宮会館・墓地道標→西国街道→大鳥居→小野原西常夜灯→正念寺→小野原街道→理照寺→ 小野原墓地→千里北公園→三つ辻→山田街道→三旧竹中邸馬上門→紫雲寺→伊射奈岐神社→園照寺→アズキ火山灰層→万博記念公園駅

2017.10.20(金) 日帰り

活動データ

タイム

05:05

距離

12.1km

のぼり

149m

くだり

197m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 5
休憩時間
59
距離
12.1 km
のぼり / くだり
149 / 197 m
5 5

活動詳細

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箕面市東~吹田市へ街道を歩いた。 今宮交差点からまず西国街道を少し西へ勝尾寺街道に入る南へ行く。今宮墓地から東へ戻り再び西国街道へ今度は東へ大鳥居から小野原へ。 笹川良一ゆかりの正念寺へ小野原街道で南に進み理照寺、小野原墓地を通り千里北公園を経由して三つ辻へここからは山田街道。 紫雲寺から伊射奈岐神社を参詣して更に園照寺から万博外周道路に出てアズキ火山灰層を見学して万博記念公園駅へ到着。

竜王山・阿武山 阪急バス今宮バス停
阪急バス今宮バス停
竜王山・阿武山 今宮交差点の歩道橋に上って箕面の分水嶺を確認する
今宮交差点の歩道橋に上って箕面の分水嶺を確認する
竜王山・阿武山 今宮は分水嶺である。 西方向僅かに下り坂
今宮は分水嶺である。 西方向僅かに下り坂
竜王山・阿武山 東方向も僅かに下り坂
東方向も僅かに下り坂
竜王山・阿武山 京都府長岡京市にある楊谷寺の柳谷観音は、眼病の治癒に霊験があるとして信仰されていた。わざわざそこまでお詣りに行くのが大変なので、地区の人たちが講を結んで、明治38年に、ここに碑を立てて参詣したものである。
京都府長岡京市にある楊谷寺の柳谷観音は、眼病の治癒に霊験があるとして信仰されていた。わざわざそこまでお詣りに行くのが大変なので、地区の人たちが講を結んで、明治38年に、ここに碑を立てて参詣したものである。
竜王山・阿武山 この地区の中西家が寄進された
この地区の中西家が寄進された
竜王山・阿武山 西国街道を少し西へ
西国街道を少し西へ
竜王山・阿武山 勝尾寺街道を南へ 今宮の庚申塔(1713年)
勝尾寺街道を南へ 今宮の庚申塔(1713年)
竜王山・阿武山 勝尾寺参道の燈籠があった。 倒れると危険なので壊された。
勝尾寺参道の燈籠があった。 倒れると危険なので壊された。
竜王山・阿武山 南は勝尾寺街道
南は勝尾寺街道
竜王山・阿武山 北も勝尾寺街道があったが今は無くなっている
北も勝尾寺街道があったが今は無くなっている
竜王山・阿武山 勝尾寺街道を南へ行くと 今宮会館
勝尾寺街道を南へ行くと 今宮会館
竜王山・阿武山 今宮会館前の道標 右大坂 左野 野とは野道の事か? 
大阪へ向かう三叉路にあったものを移動させたと思われる。
今宮会館前の道標 右大坂 左野 野とは野道の事か? 大阪へ向かう三叉路にあったものを移動させたと思われる。
竜王山・阿武山 沼田池
沼田池
竜王山・阿武山 今宮墓地の道標を見る
今宮墓地の道標を見る
竜王山・阿武山 右 かちおうじ   左 ○けた 池田と思われる。
右 かちおうじ   左 ○けた 池田と思われる。
竜王山・阿武山 宝珠を両手で持つ地蔵菩薩坐像
宝珠を両手で持つ地蔵菩薩坐像
竜王山・阿武山 両面に石仏の供養塔 前面はお地蔵さまか
両面に石仏の供養塔 前面はお地蔵さまか
竜王山・阿武山 背面は不動明王
背面は不動明王
竜王山・阿武山 文化三年(1806年)
文化三年(1806年)
竜王山・阿武山 北の箕面の山々 雲に煙っている
北の箕面の山々 雲に煙っている
竜王山・阿武山 北へ戻る 今宮のコーナンが見える
北へ戻る 今宮のコーナンが見える
竜王山・阿武山 再び西国街道 今度は東へ
再び西国街道 今度は東へ
竜王山・阿武山 郷之久保川 この辺りから川は東へ流れる 豊島郡と嶋下郡の郡境を流れている。
郷之久保川 この辺りから川は東へ流れる 豊島郡と嶋下郡の郡境を流れている。
竜王山・阿武山 大鳥居近くになると 路面が綺麗になる
大鳥居近くになると 路面が綺麗になる
竜王山・阿武山 勝尾寺大鳥居 勝尾寺表参道が西国街道から分岐する地点に石造の大鳥居がある。鎌倉時代の寛文3年(1245)に初めて建てられた。扁額は清和天皇のご宸筆。
勝尾寺大鳥居 勝尾寺表参道が西国街道から分岐する地点に石造の大鳥居がある。鎌倉時代の寛文3年(1245)に初めて建てられた。扁額は清和天皇のご宸筆。
竜王山・阿武山 鳥居の下に、表参道36町に1町ごとに立てられた町石の、最初の36町石がある。
鳥居の下に、表参道36町に1町ごとに立てられた町石の、最初の36町石がある。
竜王山・阿武山 西国街道を更に東へ
西国街道を更に東へ
竜王山・阿武山 軒先に並ぶ木桶。瀧安寺の護摩だきの灰を稲にまくと虫よけになることから、かつてその灰をこの桶に入れて持ち帰った。今も瀧安寺への感謝の気持ちを込め、軒先につるされている
軒先に並ぶ木桶。瀧安寺の護摩だきの灰を稲にまくと虫よけになることから、かつてその灰をこの桶に入れて持ち帰った。今も瀧安寺への感謝の気持ちを込め、軒先につるされている
竜王山・阿武山 小野原の棚田
小野原の棚田
竜王山・阿武山 箕面にも棚田があったんだ
箕面にも棚田があったんだ
竜王山・阿武山 小野原の西の常夜灯
小野原村を東西に貫く西国街道の西の村境に建てられた石灯籠の常夜灯で、村に疫病や盗賊が侵入しないようにとの祈りを込めたものである。東の村境の常夜灯と同時に寛政8年(1796)に建てられたもので、こちらには金比羅大権現の銘がある。
小野原の西の常夜灯 小野原村を東西に貫く西国街道の西の村境に建てられた石灯籠の常夜灯で、村に疫病や盗賊が侵入しないようにとの祈りを込めたものである。東の村境の常夜灯と同時に寛政8年(1796)に建てられたもので、こちらには金比羅大権現の銘がある。
竜王山・阿武山 笹川良一が小さいとき預けられたと云う正念寺に立ち寄る
笹川良一が小さいとき預けられたと云う正念寺に立ち寄る
竜王山・阿武山 大日堂 堂内を拝観する。大日如来の石仏やその他周辺のお寺に有った仏様が沢山安置されている。
大日堂 堂内を拝観する。大日如来の石仏やその他周辺のお寺に有った仏様が沢山安置されている。
竜王山・阿武山 笹川家の菩提寺 理照寺
笹川家の菩提寺 理照寺
竜王山・阿武山 小野原公園
小野原公園
竜王山・阿武山 新田・山田の道標  説明板が無いので気が付かない
右しんでん  左やまた
新田・山田の道標  説明板が無いので気が付かない 右しんでん  左やまた
竜王山・阿武山 小野原墓地
小野原墓地
竜王山・阿武山 与兵衛の泣き地蔵
嘉永3年(1851)に建てられた「与兵衛の泣き地蔵」と呼ばれる地蔵。村外れの西国街道で与兵衛と云う飛脚が盗賊に襲われて落命した時、村人たちは、日頃から可愛がっていた与兵衛の霊を慰めるために地蔵を作ったが、何度刻み直しても泣き顔になったと云う。
与兵衛の泣き地蔵 嘉永3年(1851)に建てられた「与兵衛の泣き地蔵」と呼ばれる地蔵。村外れの西国街道で与兵衛と云う飛脚が盗賊に襲われて落命した時、村人たちは、日頃から可愛がっていた与兵衛の霊を慰めるために地蔵を作ったが、何度刻み直しても泣き顔になったと云う。
竜王山・阿武山 左端が与兵衛の泣き地蔵
左端が与兵衛の泣き地蔵
竜王山・阿武山 泣いている様に見える
泣いている様に見える
竜王山・阿武山 笹川良一の墓 箕面市の名誉市民第一号 
笹川良一の墓 箕面市の名誉市民第一号 
竜王山・阿武山 アメリカ ジミーカーター大統領 参拝記念碑
アメリカ ジミーカーター大統領 参拝記念碑
竜王山・阿武山 千里北公園へ入る
千里北公園へ入る
竜王山・阿武山 水遠池の西側を南へ
水遠池の西側を南へ
竜王山・阿武山 このファミレスで昼食
このファミレスで昼食
竜王山・阿武山 昼食後南へ
昼食後南へ
竜王山・阿武山 中国自動車道の高架を潜る
中国自動車道の高架を潜る
竜王山・阿武山 三つ辻道標
右 をの原村 みのお かちを寺  いけだ 妙見山 中山寺
三つ辻道標 右 をの原村 みのお かちを寺  いけだ 妙見山 中山寺
竜王山・阿武山 旧街道の名残の道標で、小野原、箕面に向かう「小野原街道」と豊中の岡町に向かう「山田街道」の分岐点にあったものである。
旧街道の名残の道標で、小野原、箕面に向かう「小野原街道」と豊中の岡町に向かう「山田街道」の分岐点にあったものである。
竜王山・阿武山 左 上新田村 をか町 いたみ
左 上新田村 をか町 いたみ
竜王山・阿武山 珍しい三角形の道標
珍しい三角形の道標
竜王山・阿武山 山田街道を南へ 山田村の昔ながら家屋 
山田街道を南へ 山田村の昔ながら家屋 
竜王山・阿武山 旧竹中邸馬上門
旧竹中邸馬上門
竜王山・阿武山 江戸時代に山田中村の庄屋、竹中家の表門。
馬に乗ったままで通れるほど丈が高く大きな門であることから「ばじょうもん」と呼ばれてきた。
門の形式は長屋門の一種で、19世紀後半の建築と考えられている。
江戸時代に山田中村の庄屋、竹中家の表門。 馬に乗ったままで通れるほど丈が高く大きな門であることから「ばじょうもん」と呼ばれてきた。 門の形式は長屋門の一種で、19世紀後半の建築と考えられている。
竜王山・阿武山 本瓦葺き 屋根は少し丸みがある
本瓦葺き 屋根は少し丸みがある
竜王山・阿武山 紫雲寺
紫雲寺
竜王山・阿武山 本堂の天井画は、大阪府指定の文化財。江戸時代に、大坂の画家森狙仙によって描かれたもの。
森狙仙(1749~1821年)は、狩野派や円山派を学んだ人で、動物画を得意とした。
本堂の天井画は、大阪府指定の文化財。江戸時代に、大坂の画家森狙仙によって描かれたもの。 森狙仙(1749~1821年)は、狩野派や円山派を学んだ人で、動物画を得意とした。
竜王山・阿武山 松竹堂 吹田市で有名なスイーツの店 
松竹堂 吹田市で有名なスイーツの店 
竜王山・阿武山 伊射奈岐神社
伊射奈岐神社
竜王山・阿武山 延喜式神名帳の島下郡の条に「伊射奈岐神社」が二座あり、その一座とされる。
五社宮、姫宮とも云われている。イザナギ神社であるがイザナミを祀っている。
なお、もう一座は佐井寺に位置しイザナギを祀る同名の神社だといわれる。ややこしい。
延喜式神名帳の島下郡の条に「伊射奈岐神社」が二座あり、その一座とされる。 五社宮、姫宮とも云われている。イザナギ神社であるがイザナミを祀っている。 なお、もう一座は佐井寺に位置しイザナギを祀る同名の神社だといわれる。ややこしい。
竜王山・阿武山 奇妙な狛犬
明治末期山田村の池上氏が中国大連の金州城の屋根に乗っていた動物の置物を購入、帰国後石材店で製作奉納された。
奇妙な狛犬 明治末期山田村の池上氏が中国大連の金州城の屋根に乗っていた動物の置物を購入、帰国後石材店で製作奉納された。
竜王山・阿武山 カエルの様な海獣の様な
カエルの様な海獣の様な
竜王山・阿武山 拝殿
拝殿
竜王山・阿武山 本殿はよく見えないが 千木外削ぎ 鰹木7本の男神仕様
女神イザナミを祀っているのに・・・ 
本殿はよく見えないが 千木外削ぎ 鰹木7本の男神仕様 女神イザナミを祀っているのに・・・ 
竜王山・阿武山 園照寺へ
園照寺へ
竜王山・阿武山 853年(仁寿3年)文徳天皇の勅願を受け、天台宗延暦寺座主の慈覚大師円仁が創建。
本尊の千手千眼観音像は円仁の自作と伝わる。陽成天皇は病気回復を祈り、日光・月光菩薩像を本尊の脇侍として、寄進安置した。また、894年(寛平6年)山城・醍醐寺の聖宝(理源大師)が宇多天皇の勅宣を受け、皇后の平癒祈願のため、当山に入った。以後、当山は真言道場となる。
853年(仁寿3年)文徳天皇の勅願を受け、天台宗延暦寺座主の慈覚大師円仁が創建。 本尊の千手千眼観音像は円仁の自作と伝わる。陽成天皇は病気回復を祈り、日光・月光菩薩像を本尊の脇侍として、寄進安置した。また、894年(寛平6年)山城・醍醐寺の聖宝(理源大師)が宇多天皇の勅宣を受け、皇后の平癒祈願のため、当山に入った。以後、当山は真言道場となる。
竜王山・阿武山 室町中期ごろまでは栄えていたが、応仁年中の兵火で焼失した。かっての寺域は万博のメイン会場のシンボルである「太陽の塔」付近にあった本堂を中心に、4km四方に広がり10余の僧坊があったと伝わる。現在の堂宇は万博が開かれた1970年(昭和45年)に新築再建された。
室町中期ごろまでは栄えていたが、応仁年中の兵火で焼失した。かっての寺域は万博のメイン会場のシンボルである「太陽の塔」付近にあった本堂を中心に、4km四方に広がり10余の僧坊があったと伝わる。現在の堂宇は万博が開かれた1970年(昭和45年)に新築再建された。
竜王山・阿武山 奥の院へ上る
奥の院へ上る
竜王山・阿武山 奥の院 准胝堂
奥の院 准胝堂
竜王山・阿武山 本尊 准胝観音
本尊 准胝観音
竜王山・阿武山 周辺に捨てられていた石仏を集めたと思われる。
周辺に捨てられていた石仏を集めたと思われる。
竜王山・阿武山 万博外周道路へ上る 
万博外周道路へ上る 
竜王山・阿武山 万博外周道路へ出る
万博外周道路へ出る
竜王山・阿武山 外周道路沿いに アズキ火山灰層
外周道路沿いに アズキ火山灰層
竜王山・阿武山 約90万年前に大分県の耶馬溪付近から噴出し、東北地方まで広がっている。
約90万年前に大分県の耶馬溪付近から噴出し、東北地方まで広がっている。
竜王山・阿武山 二つの看板の間がアズキ火山灰層
二つの看板の間がアズキ火山灰層
竜王山・阿武山 少し紫色がかった部分がアズキ火山灰層 紫色だからアズキ
少し紫色がかった部分がアズキ火山灰層 紫色だからアズキ
竜王山・阿武山 ホテル阪急エキスポパーク
ホテル阪急エキスポパーク
竜王山・阿武山 大阪モノレール万博記念公園駅 到着
大阪モノレール万博記念公園駅 到着

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