交通事故骨折の副産物、難治の病気、CRPSだって!  ’17 10/23 & 10/9の山友との茨木散策

2017.10.09(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 9
休憩時間
15
距離
6.8 km
のぼり / くだり
338 / 363 m
34
7
31

活動詳細

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8/8の交通事故以来、いろんな方に励ましとお見舞いのメールや電話を戴いてありがとうございます。リハビリに通院に、自分の病気を調べるのに、随分忙しい毎日を過ごしており、すっかりご無沙汰失礼をしております。 長く歩く事も、山に登る事もできないうちに山の記録を読んでも、焦って治療の為には良くないと言われて納得、ヤマップや他のSNSも入らないのが続いています。退院直後は夢の中で、山に登っていたが、この頃は流石に見ません。くれぐれも焦らないように、山は逃げないからと、何度もいろんな山友に言われてきました。 8月最後の山日記のやまたいらさんへのリコメントのところで少し書きましたが、簡単に振り返り、その骨折がきっかけで、後に発症し今に至っているCRPSの事を書きます。初耳の方、この難病で苦しんでいる人が沢山います。原因がわからないこの病気、知ろうとして下されば嬉しいです。 長い文章ですみません。 ***** 8/8、バイクに乗って 上り坂を左側通行の直進していた。 突然、赤い格子のシャツの男子が乗っている自転車が見えた、途端にバイクは転倒! 起き上がれず、周りの誰か何人かが起こしてくれたんだろう、すぐ左の酒屋の広い駐車場へ運ばれて、救急車で日赤病院へ運ばれた。 あちこちレントゲンだのCTだの撮ったみたい。 左足首骨折、左顎の奥、骨折、左頬骨の耳の下と頬骨真ん中も骨折!とのこと。 相手は、14歳の中学生だと、後で聞く。 赤シャツの彼は、車道で立っていたのを見た残像は残っている。 翌週から 9月までアルプスに次々行く予定があったけど、全部、霧散した。それが一番悔しく、救急で骨折、重傷と言われてすぐに言った事!  入院の日までの8日間、松葉杖生活。片足立ちで日に三度の流動食、あるいはジュースや野菜スムージーやスープを作っていた。 左顎骨、頬骨の骨折は、17日全身麻酔で修復固定の手術。食事は、事故以来、9月末まで普通食が食べれず、流動食や、介護食のような柔らかいもの。 9/3までの19日間の入院中、辛かったのは、左顎骨頬骨の骨折で、全身麻酔の固定手術を受けて、口から何も飲食できなかった事、骨折した左脚のギブスが重くて左への寝返りができず、腰が痛かった事など。しかし、色々な看護士や患者の観察は興味深かったし、普段読めなかったが、感動した1冊の本にも会えた。 向かいの人が車を運転してくれたり、友だちや義姉が手術の日に控えてくれたり。友だちのあったかい言葉や遠方からも見舞いに飛んで来てくれたり、本当にいろんな人に助けられてる事に感謝だった。 口から食べられないので、ずっと鼻から胃腸まで通した管を外して、9月3日退院。退院後も、顎骨を安定する為に、流動食、介護食みたいな柔らかいものを日々工夫して作り、やっと5週間で普通食が食べれた。初めて、おかゆやベチャベチャの柔らかいおかずでなく普通のご飯を食べれた時の嬉しかったこと!当たり前に食べていた事、なんとありがたかった事だろう。 しかし、まだ、正常に大きく口を開けるのはできてない。もう5mm開かないといけないそうで、自分の指を使って開けるリハビリ中。 早く山を歩きたくて、足首の骨のリハビリには、ギブスの時から力が入っていた。ギブスを外した日から全体重をかけるように言われたのにはびっくりした(普通は少しずつ日にちを置いて荷重するもの)。外した当日は両松葉杖、翌日は片松葉杖とトントン拍子にリハビリは加速。退院までの数日に、家での生活を考えて、階段や坂道の上がり降りの練習も。回復はさすが早いと言われ、山歩きも無駄でなかったようだ。 しかし、退院後は大変。「痛くなければ何をやってもいい。」という主治医の言葉に、リハビリ科からもどんどんメニューが課され、骨折の後は痛いのは当然と、痛みながらも歩き、足のリハビリは、ややもすればやり過ぎになっては、腫れて・・・又、安静でやり直し。   10月4日、骨折後、一番感動し感謝した日。 山友のYが、元気な顔を見たいからと言ってくれて、家の近くまで来てくれ、私の車で茨木の山間部へ。そして、骨折後初めて友と外歩き! サポーターをつけて山間の道を正味歩いたのは往復1時間半。全く痛みがない。普通の速度に近い調子で歩ける。そして、懐かしい店で山を眺めながら美味しい外でのランチ。本当に幸せだった。1回目だから控えめにして、食後は、友と、秋の青空と風の中、能勢まで棚田を見にドライブして夕方まで遊べた。本当にありがたいと思った。 翌日も痛みも出ず、主治医も驚いていた。 ドクターにも了解をとって、その後5日経って今度は、別の山友と、歩行時間正味2時間30分、ちょっぴりだけアップダウンもある街道を、昼食を挟んで2回に分けて歩いた。全然痛くなかった。後は、次の山の駐車場やルートを探しに友と車で出かけて夕方まで過ごす。今回は、更に沢山歩けて嬉しかった、感謝して帰った。 しかし・・・ 翌日10日の午後から腫れて、痛みが出だした。いつもなら4,5日で腫れが収まってくるが、12日経った今日も全然良くならず、むしろ腫れが広がって痛みがきつくなった気がする。わざわざ歩きに出るのは控えているが、買い物などで歩く時は、痛さをこらえながら、でも杖なして今の所は歩けてる。 やはり、CRPSは、厄介だ!  「CRPS(複 合 性 局 所 疼 痛 性 症 候 群)とは,採血,手術,事故,捻挫によ る骨折,組織傷害,神経損傷などを契機とし,感 覚神経,運動神経,自律神経,免疫系等の病的変 化によって発症する慢性疼痛症候群である」と学会の会誌にある。 症候群だし、いろんなタイプのいろんな症状があり、数ヶ月で収まる患者もあれば、痛みも灼熱痛に悪化したり、他の部分に広がり、一生続く患者もいるそうだ。骨折や捻挫、ギブスなどがきっかけで、その後に、傷を負った部分でない所に説明のつかない痛さと長さで疼痛が続くもの。症状や写真を見ると、残念ながら私の症状に良くあてはまる。(骨折後、罹患するのは0.8%という少し前の統計も書いてあった。) 「CRPSは難治例が多く、2期に移行し、病態として固定完成してしまうと治癒の困難なことが多くなる。治療には適切な早期診断と治療が重要・・」と書いてあった。 国際RSD/CRPS財団の専門誌に以下のように書いてあった。 http://www.rsdfoundation.org/ja/ja_clinical_practice_guidelines.html 【 病期 I 外傷部位に限局された疼痛の発生 接触または軽い圧力への皮膚過敏性の増大(触覚過敏) 局所腫脹 筋痙攣 硬直、可動域の制限 発症時、通常皮膚は暖かく赤味を帯び乾燥するが、その後、外見上青くなり(チアノーゼ)、冷たく汗ばむようになる。 発汗の増加(多汗症) 軽症の場合、この病期が数週間続き、その後、自然に治まるか迅速に治療に反応する。 病期 II 痛みはより強く、より広範囲になる。 腫脹は拡大し、柔らかいタイプから固い(盛り上がった)タイプに変わる傾向があ る 体毛は固くなり、その後少なくなる。爪は速く伸び、その後ゆっくり伸びるようになり、もろく、ひびが入り、ひどい溝ができる。 局所的な骨萎縮(骨粗鬆症)は早期に起こるが、より重症化し、拡大する場合があ る。 筋萎縮が始まる。 病期 III 組織の顕著な萎縮が最終的に不可逆的になる。 多くの患者にとって疼痛は耐えがたいものとなり患肢全体に広がる。 患者の数パーセントは全身に広がったRSDとなる6。】 発症の原因も、治療法も確立してない難病で、一生続く例もあり、不安と痛さから生活や心が壊され、うつ病や自殺もあると。それ故、難病指定の申請をしている患者や、医療従事者がいる事を知った。まだまだ知られていない病気で、私も初耳。どちらかと言うと女性に多く、小児もかかっている。是非知ってほしい。 http://www.arsvi.com/d/crps.htm#3 今の整形外科の主治医は経験も3年と浅いし、麻酔科ではないから治療らしい治療もない。「軽いから大丈夫!」と無根拠に言うけど、調べると、初めのうちにしっかり診断し治療にかからないと慢性になってからでは後が深刻なようだし、この前の診察からも痛みは一向に良くならないので、自分の調べた専門医へ行く為に紹介状を書いてもらうつもり。 ★ 「待ってるからね。」と言ってくれる友たちと、 ロングウォークや、山を歩ける日が 又、来るように、早く来るように自分にできる事は全部したい。 あかり 67歳、くじけないよ!       ☆*;♪*~*¨☆¨*~*♪;*☆¨* *9日に来てくれた山友との茨木リハビリおさんぽの写真(6枚目から)とメッセージ、軌跡を24日に追加しました。

竜王山・阿武山 のんびり見る青空が無性にうれしい!
のんびり見る青空が無性にうれしい!
竜王山・阿武山 秋を感じたキリシタン街道

にょっきり現れたきのこ、こんな普通の秋の光景を見るのもとても嬉しかった^^
秋を感じたキリシタン街道 にょっきり現れたきのこ、こんな普通の秋の光景を見るのもとても嬉しかった^^
竜王山・阿武山 いろんな人と何度も歩いた優しいこの道を歩けた
いろんな人と何度も歩いた優しいこの道を歩けた
竜王山・阿武山 骨折後初めて見たコスモス
骨折後初めて見たコスモス
竜王山・阿武山 ここの棚田は山の帰りに何度か来ている
ここの棚田は山の帰りに何度か来ている
竜王山・阿武山 ここから追加しました。ここから9日のおさんぽ
ここから追加しました。ここから9日のおさんぽ
竜王山・阿武山 今回も清々しい青空!
今回も清々しい青空!
竜王山・阿武山 うれしいな
うれしいな
竜王山・阿武山 キリシタン街道 やっぱり土の道がいい^^
キリシタン街道 やっぱり土の道がいい^^
竜王山・阿武山 彼方を見ると、棚田の間を歩く人達がいる
彼方を見ると、棚田の間を歩く人達がいる
竜王山・阿武山 「愛とひかりの家」高山右近像のあるここで引き返すつもりでいたが、
後、坂を登って、キリシタン史料館まで歩いた。
「愛とひかりの家」高山右近像のあるここで引き返すつもりでいたが、 後、坂を登って、キリシタン史料館まで歩いた。
竜王山・阿武山 我市の 高槻城のキリシタン城主 高山右近像。2016年、教皇フランシスコにより、右近が福者に承認された。当時の高槻領民の72%がキリシタンだったらしい。

高山右近は「利休七哲の一人」で、右近の茶の湯は、キリシタンの茶の湯であり、徳操、叡智を養う場、祈りの場でもあったそうだ。
我市の 高槻城のキリシタン城主 高山右近像。2016年、教皇フランシスコにより、右近が福者に承認された。当時の高槻領民の72%がキリシタンだったらしい。 高山右近は「利休七哲の一人」で、右近の茶の湯は、キリシタンの茶の湯であり、徳操、叡智を養う場、祈りの場でもあったそうだ。
竜王山・阿武山 キリシタン史料館 ここでトイレとジュース休憩^^

茨木市の千堤寺や下音羽地区は、高山右近の領地であったそうで
「隠れキリシタンの里」として有名なこの地区にある。
キリシタン史料館 ここでトイレとジュース休憩^^ 茨木市の千堤寺や下音羽地区は、高山右近の領地であったそうで 「隠れキリシタンの里」として有名なこの地区にある。
竜王山・阿武山 車で、三好山の登山口を下見に。翌週行くはずだったけど、無理に、いや、暫くおあずけになった。
車で、三好山の登山口を下見に。翌週行くはずだったけど、無理に、いや、暫くおあずけになった。

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