活動データ
タイム
04:05
距離
5.2km
のぼり
405m
くだり
403m
活動詳細
すべて見る朝まで雨☔が残り、天気がハッキリしないので、取りあえず近場の山に登る事にし、山のてっぺんに鳥居が見え、その山容から「五ヶ所富士🗻」と呼ばれる五ヶ所浅間山に登ることに! 浅間山は、江戸時代に盛んになった富士信仰の山で昔の田舎には地名の付いた浅間山が数多くも祀🙏られていました。 自分も子どの頃、お祖父さん👴に連れられ、地元の浅間山に「六根清浄」を唱🎶えながら登った事を覚えています。 この近場だけでも浅間山と名が付く山が五山もある。 切原浅間山(230m) 宿浅間山(181.9m) 五ヶ所浅間山(172m) 相賀浅間山(169m) 田曾浅間山(163m) 五ヶ所浅間山も富士🗻信仰の山で浅間碑は延宝六年(41678)のもので、町内では最も古く、富士山が四方から拝まれることから四面に菩薩像を彫ってある。 また、宝永山「宝永四年(1708)の噴火で出来た山」をも祀ってある。 浅間山には 愛洲の館🅿🚗に🚙を止めて登り口に向かう🚶。 県道脇の登り口から20分程で山頂に到着、展望所👀で昼食🍙🍜☕を食べて休憩後、次の目的地🚩の馬山に登る為に一度愛洲の館🅿🚗に戻ります。 2時に🅿🚙に戻り、愛洲の館裏にある城址へ直登できる「鍛錬の段」と名付けられたきつい階段を登り 五ケ所城跡へ、 余分 ※五ケ所城 五ヶ所城は伊勢南朝方として活躍した愛洲氏の居城、 愛州氏は元亀年間(1570-73)以降、天正4年(1576)頃までに、南伊勢を押さえ田丸城に入った北畠信雄(織田信長の次男)によって亡ばされたといわれる。五ヶ所城も愛州氏滅亡と共に廃城となった。 ※愛洲一族 清和源氏の武田氏の孫とされるが、その詳細な系譜は明らかでない。 続群書類従では一条忠頼が愛洲氏祖とある。 本貫地については伊勢国、紀伊国の両説がある。 剣道の陰流の祖である愛洲久忠(号は移香斎)は伊勢国愛洲氏の一族であり、剣聖として名高い上泉伊勢守信綱の「新 陰流」、つまりは柳生一族の「柳生新陰流」の源流である「陰流」の創始者です 五ケ所城跡を散策し、馬山へ向かう、前回は、役場から登ったので城跡から登る🚶ことにした。 城跡を過ぎると道標と馬山と書かれた立て看板、二本道がある、矢印の指している方向、右に向かう。 暫くすると道が途切れたが尾根を目指して歩くことにする。雑木林を歩くこと20分程で正規のルートに 合流、目印テープと案内板に従い無事に馬山に到着、風景をカメラ📷に収め正規のルートで城跡に戻る。 両方の山とも片道30分前後で登るので気楽🎵なハイキンクと 言ったところです。
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