11/16 高野山金剛峯寺

2017.11.16(木) 日帰り

活動データ

タイム

05:47

距離

8.1km

のぼり

119m

くだり

114m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 47
休憩時間
2 時間 25
距離
8.1 km
のぼり / くだり
119 / 114 m
11
3
10
14
1
14
11
3
8

活動詳細

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母の七回忌法要の準備の為、妻と高野山金剛峯寺に行って参りました。 高野山の宿坊にお泊まりになられた方はご存知かと思いますが、宿坊では必ず『朝の勤行』が行われております。任意ですので、絶対に出ないと行けない!という訳ではございませんが……多分ニュアンス的に宿坊側の意向は出てください!という所がほとんどだと思います。 では、総本山の高野山金剛峯寺では『朝の勤行』をしてないの?と思われる方もお見えかと思いますますが、実は金剛峯寺のHP等公には全く何も書かれておりません。 識子さんが本やブログに書かれてから多少お見えの方も増えましたが、実は空海さんにお供えする食事の儀式のみ一般の見学が許されております。 この空海さんへの食事の儀式を『生身供(しょうじんく)』と言いますが、毎日2回(午前6時と午前10時半)に儀式が行われてます。 わたしは何度か参加させて頂いたことがあったのですが、妻が是非一度は見たい!体感したい!という事で今回は一緒に参りました。 6時丁度になると、カンカンカンと鐘を鳴らす音と共に、金剛峯寺のお坊さんが白い紙で口を覆い、白い手袋をして、空海さんの食事が入った櫃(ひつ)を肩に担いで運んで来ます。 燈籠堂に入ると、櫃からいろいろと出して食事のお膳を整えお供えをし、お供えをし終わるとお坊さん5名によって朝のお勤めが始まります。 声明から始まって、読経へと続き7時過ぎまで行われますが…毎日2回、これを1,000年以上に渡って続けられてます。 この朝6時の生身供ですが…燈籠堂に入って目の前にあるお賽銭箱。このお賽銭箱の向こう側に、僧侶しか入れない内陣と、昼間祈祷者しか入れない外陣があります。 まだ写真の通り薄暗い早朝なので、授受所にも受付にも金剛峯寺の方は誰も居ません。居ませんが!…向かって左側から靴を脱いで外陣に上がれます。 はい❗️ 祈祷料を払わず早朝6時の生身供の時だけは特別に無料でどなたでも外陣に上がる事を許されてます。ご焼香も出来ますので、行かれた方は是非真ん中に上がってお座りください☺️ さて、お坊さんの声明が始まると、それまでの灯籠堂とは全く違った堂内の空間になります。何とも言えない不思議な世界なんです。 空間がブレると言いますか、揺れる?と言った、いわゆる仏様の世界です。 この世とは思えない世界であり、仏様の世界にリンクしているので、不思議な感覚になります。 ここで毎回思うのですが、仏様の世界とリンクしていると、真言密教のお経が分からなくても癒される!という事です。何を言っているのか、内容も分からなくても、不思議と効果があって心が癒されていきます。 亡くなった方々がお経の意味が分からなくても、何宗であっても、お坊さんの読経が供養になるのはこういう事なのだろうなと。しかも仏様の管理する彼方の世界では、お経は更に仏様のパワーにより何百もの効果があるのかと思います。 勤行の最後の方、正確に言いますと、お坊さんがお不動様等各種ご真言を唱え始めると、空海さんの大きな顔が灯籠堂の須弥壇(しゅみだん)辺りにデーンと現れます。 とてつもなく大きなお顔で、空海さんがそのまま灯籠堂内に広がります。漫画やアニメで見るいわゆる波動が広がるのではなく、空海さん自身がまるで風船が膨らむように広がっていき、『南無大師遍照金剛』を3回唱え終わった瞬間に、パーンと弾けて堂内にスゥ〜と溶け込まれていきます。 識子さんの言葉をお借りすると、『空海さんの愛情の海』が、その後一日中この堂内に満ちているそうです。 心身共にリラックス出来、魂のリセット、クリーニングにもなりますので、嫌な感情もイライラも消え去り、残るのは感動と幸福感。これが空海さんの御廟がある奥の院の朝の勤行です。 奥の院から一の橋への帰り道に妻から聞かれた事がありました。 『この戦国時代の有名武将や現代の有名大手企業のお墓は何で?ホントにお骨がココにあるの?』と。 なるほどと思ったので、私ごときですが分かる範囲で書き記したいと思います。 まづ、一の橋から奥の院までの参道は、古い墓地です。 参道を外れて奥の方へ行く時、つまり舗装された参道から、舗装されてない地面に入って行く時は、気をつけた方が良いと思います。 土のところはその下が昔はお墓の一部だったりするからです。 壊れたり、粉々になってる暮石や供養塔なら分かりやすいですが…昔は土に直接埋める土葬がここ高野山でも一般的です。 私事ですが昔、まだ分かる力も無い時代に、奥まった戦国武将のお墓を写真に撮りに無言でドカドカと入った事がありました…が、直ぐに激しい頭痛がして、その後高野山を降りるまで体調が悪かった思い出があります。 どうしても奥まった場所に行きたい方は、つまり舗装されてない土の道を歩く時は、『踏んでいたらごめんなさい』『失礼致します』『お邪魔致します』と心で絶えず謝って断って歩くと大丈夫かと思われます。 何万何十万ものお墓ですが、全ての暮石にお骨があるとは見えませんでした。 例えば、『武田信玄公の供養塔』です。 この武田信玄公の供養塔は本人とは全く繋がってませんでした。供養塔はお墓ではなく、供養の為にのちに建てられた物なので、多分本人の意識の中で墓地とは思ってないのかと思われます。おそらく信玄公は山梨の菩提寺にお見えなのではと思われます。 ただし、武田勝頼公はしっかり繋がってます。配下を信じてやる事が出来なかったという後悔の念が今だにあるご様子でした。 『伊達政宗供養塔』も、本人とは全く繋がっておりません。本人とは繋がっておりませんが!……史実より、伊達政宗公には殉死した律儀な真面目な忠誠心の厚いご家来衆が20人居たそうです。そしてその20名の家臣の供養塔が、政宗公の供養塔の周りに建てられており、こちらがしっかり繋がっております。 つまり忠誠心の強い家臣達が、何百年経とうとも、例え繋がってない殿の供養塔であっても、後年殿の為に建てられた供養塔を守って居ますので、入る時は『失礼致します』と断って手を合わすべきです。いきなりドカドカと踏み込んで、手も合わせないと、『殿の供養塔に何たる無礼者!許さん!』と怒られます。 『上杉謙信・景勝霊屋』は、お二方ともやはり全く繋がっておりません。 『石田三成供養塔』は、しっかりご本人と繋がってます!三成公は30歳の時に生前葬をして自分でこの場所に五輪塔を建てたそうです。 『明智光秀供養塔』は、全く本人とは繋がっておりません。繋がってないんですが……ここは行かない方が良いかと思われます。 ここだけ所謂邪念の空間であり、重たい暗い黒い空間になってます。 『豊臣家墓所』ですが…秀吉公は以前も活動日記に書いた通り京都の『豊国廟』にしっかりお見えです。 じゃあここは何方かお見えなのかな?と階段を上がろうとすると…上がる途中から上を見ると、しっかり弟の秀長さんがスッーと立ってお見えでした。そして『かたじけない』と深々とお辞儀をしてくれるのです。 慌てて私も手を合わせて深々とお辞儀しました。 成仏されてしっかり仏様になってお見えの秀長公には私達人間のことが全て見えてお見えのご様子で、京都の豊国廟へ秀吉さんの神様修行の応援参拝に行かれた方々には、このように秀長さん自らが丁寧にお礼をされているそうです。 あの大和国100万石の大納言秀長公自らです。 ほっそりとされた、でもキチンと着物をシュッと着られた優しそうなお方です。 という事で、参道脇にある沢山の墓地ですが、全てにお骨があるわけではなく、また墓所だからと言って、明智光秀公の場所以外は、空海さんの力のお陰かスッキリとした清らかな空間になっておりますのでどうぞご安心を🍀 今回も長々と長文を、 大変失礼致しましたm(_ _)m ありがとうございました。

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