活動データ
タイム
09:34
距離
15.2km
のぼり
987m
くだり
1850m
チェックポイント
活動詳細
すべて見るこんにちは。 あっという間に時間は過ぎ去り、新しい年を迎えましたね。 お待たせいたしました。トロン・ラ・パスにたどり着いてからの続きでございます。 3日目と4日目+カトマンズでのぶらぶら街あるきをつづります。 **11月28日(トレッキング3日目後半) パスにたどり着いてからは、ツアーの団体さんたちと一緒に下りました。 結構なスピードでしたが、しっかりと休憩しながら進むので、途中でお別れしました。 5400mのトップから、今日はいっきにムクティーナートに下る予定です。たどり着いた場所で泊まるかは、そのときの気分次第だなーと考えながら。 パスを越えてからは、一層赤茶けた砂埃が目立つ広大な大地を歩みます。それでも日本の山よりも歩きやすいなぁと感じたのは、大きな段差がほとんどなく、本当に「道」みたいなトレイルだったからだと思います。 途中、四軒ほど道なりにあったロッジで小休止。 今日はどうしようかなー…と考えながらぶらぶらと歩いていたら……しまった( ゚д゚)ハッ! 小さな村なので、あっという間に村の入り口にたどり着いてしまう(涙) まぁいいや。 今日はジョムソンまでジープで進んじゃおう。ということで、ジープ乗り場で待つことに。 ちなみに、地球の歩き方では、ジープは9時・12時・15時の出発というようなことが書かれていましたが、需要があり、人がそろえば出発するような感じです。 時刻は14時頃。ジープ乗り場にはわたしのほかに3人。「10人くらい集まったら出発するから40分くらい待っていて」と、ジープ兄が言い、1000Rpを支払う。うん、時間通りには出発はしないな、うん。と思いながら、暖かな陽がさす中重いザックを脱ぎ捨てて、ごろりと横になりました。メールやSNSをチェックしたり、日本のニュースを見たり。って、時間があっという間に2時間近く過ぎている(涙 するとやってきたのは、オーストラリア人のひょろっぽい男性1名と男女の香港人2名のメンバー。 「ジープを貸しきるからジョムソンまで行こうぜ。貸切だと5500Rpだからひとり550Rpだ。」 という。 「なにそれ、もうお金払っちゃったんだよ。こっちはさっきからジープ待ってんのよ。」 「いくら払ったんだ」 「1000Rp」 「だったらジープ兄に返してもらって来いよ。1000Rpなんてぼったくりだ」 という。 すっごく節約して遊んでいるバックパッカーなら450Rpの差は大きいと思う。 えぇ、そりゃ、安い宿一泊できるほどですから! けれどそんなことで目くじら立てる必要もないし、オーストラリア人には「わたしはこのまま待つから乗らないわ」と伝える。 するとオーストラリア人は集まってきていたほかの外国人たちにも550Rpで行こうぜ。的に強引な感じで声をかけている。けれど集まっている人たちはもうみんな1000Rp払っていた。そして結構な時間待ちぼうけしていた・・・・・・。そしてそろそろわたしも待つのが限界になってきた(理由はSIMカードのパケットがなくなってしまって、ネットが出来なくなってしまったから) 「ちょっとー!ジープはいつ来るの?!寒くなってきたよ!」 と、ジープ兄に声を掛けると、「もうそこの山を走っているから来る」と山の中を指差している。どう見てもジープなんて見えないw ジープはようやく到着し、わたしたちは乗れましたが、残念ながらオーストラリア人グループは乗れませんでした。 ムクティナートからジョムソンまでは、ジープではおよそ1時間半ですが、歩くと6時間。 この道も、しっかりとしたジープ道が続いているようですが、途中から結構な水量の川を渡ったりするので、雨季に雨が沢山降った場合には通れなくなってしまうのでしょう。 ジョムソンに到着したのは18時。すっかり暗くなってからでした。 飛行場がある大きな街ですが、夜になると街灯もなく道は真っ暗。宿の明かりもほとんど消えていたので、一番明るいダイニングが目立った宿にチェックインしました。 宿のおにいちゃんがお出迎えしてくれ、一番に聞いたことは「シャワーは熱い?激熱?!」ってことでした。 陽が暮れると寒すぎて、ぬるいシャワーはどうしても入れる気がしませんでした。 一晩600Rpで、ちょっとお高くてびっくりしましたが、それにはシャワー代金も含まれていることを知り、山の宿とそれほど変わらないんだなーという感じ。毛布から猫の匂いがしたのを覗けば、綺麗なツインのお部屋も宿もわたしひとりで快適でした。もちろんシャワーも熱くて4日ぶりに浴びたシャワーは最高でした! 標高が上がるにつれて空気の乾燥が進み、夜にべタベタにクリームを塗って就寝しても、翌日にはカサカサになっているような状態。・・・・・・湿度計があれば、10%くらいなんじゃないかなぁと思います。 さて、明日は此処からどうやって帰ろうか。 夕食のダルバートを食べながら、宿のお兄さんにカトマンズまで帰りたい旨を話す。あまり英語が通じなかったために、お父さんを呼んできてくれる。 「カトマンズまでナイトバスが出てるよ。明日の12時出発だよ」 とのこと。ジョムソンからだとジープではなくバスが出ているけれど、何度か(3,4回くらい)乗り換えしなければいけないと地球の歩き方情報に載っていましたが、ナイトバス1本で帰れるとのこと。 なんて嬉しい!! 「ちなみに何時間かかるの?!」 「だいたい18時間くらいだよー」 「えッ!!えッ?!」 「だってカトマンズ、ベリーファー(遠い)ね。12時に出発して、翌日の6時ごろに着くよー」 とのこと。 うあー。もう飛行機乗って帰ろうか……と思いましたが、まぁ、せっかく来たんだからのんびりバスで帰りましょうかと・・・・・・。 翌日。 バス乗り場は7時から空いているとのことで、ナイトバスの予約をするために、宿のお兄さんに聞いたバス乗り場へ。 ジョムソンのバス乗り場は意外にも混雑していました。こういうローカルなバス乗り場の受け付けって誰がスタッフで客なのかわからないので、とりあえずカトマンズに行きたい旨を伝えたら、確かに12時出発のバスがあるようでした。 で、目の前にもバスが停車していたので、あれは何処まで行くのかたずねたら、ポカラまでいくとのこと。 しかも今出発するとの話。 ちなみにこれは、バス担当スタッフではなく、スタッフの隣に座っていたお客さんが教えてくれました。 ・・・・・・紛らわしいー、けど、ありがたい。 今は朝の7時すぎ。 この狭い街で12時まで時間が潰せない!!とにかくわたしは今日、山から下界に下りたくて仕方がありませんでした。まず寒いのが耐えられない!暖房にあたりたい。猛烈に和食が食べたい!肉も食べたい!ってことで、急いでチェックアウトしてポカラ行きのバスに乗り込みました。 いつもいつも無計画ですが、このあたりから無計画さがあだとなってきます・・・・・・。 それにしてもジョムソンは広い街でした。わたしが泊まった場所は、ジョムソンの外れの場所だったらしく、バスは長い間ジョムソンの街道を、バス停ごとに停車しながらひた走っていきます。 「さぁ!バスキマシタ!」 ちょうどジョムソン空港過ぎたあたりから乗車してきたのは、日本語を喋るガイドを連れた日本人女子3人組でした。 わー。 こんなところに日本人いるんだなーと思いましたが、彼女たちとはバスのトイレ休憩や食事休憩中でもお話はせず、何故かわたしはインドか何処かのツアーの女子達と一緒に行動していました。 バスは座席が指定されていましたが、そんなものは関係なく、みんな好き勝手な場所に座っていました。 揺れ方が半端ないです。 こんな道を日本の車が走ったら、10kmも走らず壊れてしまうのではなかろうかと言うくらい。もうひたすら揺れます。 身体が揺れるというよりも、ずっとジャンプをさせられているような感じです。 「ウハー。すごいねーうねうねー。」 「ハハハー。」 ってな感じで、お隣のおじちゃんが笑って言ってきますが、それでも慣れてしまうのか、いつの間にかウトウト。 出発して8時間ほど過ぎた頃でしょうか。 バスのエンジンが上り坂で空回りしだし、ついには動かなくなってしまいました。どうやらバス、エンジントラブルらしい。何もない山道の真ん中で、バスが止まってしまいます。 きっと此処が日本だったら「遅刻するだろー!」って騒ぎ出す人がいるはずなのに、ここはネパール。 みんな、仕方ないよねーくらいに外に出て、バスがどうなるかを見届けます。 運転手は誰も乗っていないバスを動かそうとしますが、やはり坂道を進むことは出来ず……。 8時間ほど走りましたが、ポカラまでまだ3分の1も進んでいません(涙 わたしー。今日ポカラに到着できるかも怪しい。けれどそれほど急いでもいないから仕方がないなぁーと思いながら待ちました。 バスを修理できるというネパリが隣村からバイクで来ましたが、すぐにはバスは動かせない状態とのこと。 もう、ひたすらに待つ、しかありません。 しかし、午後になってどんどん日が傾き始めます。暇つぶしにみんなそれぞれおしゃべりしていましたが、わたしがお話していたネパリの男の子が、通りかかった派手ダンプを停車させました。 「あのダンプがベニまで乗せて言ってくれるって。ベニ。行こうよ。カトマンズまでのナイトバスが出ているよ!」 なにー。 これは行くしかない。行くぞ!と思いましたが、わたしの荷物はバスの荷台。 運転手に荷台の鍵を開けてくれと頼みましたが、ずっと電話をしていて対応してくれず。 お客の荷物は、バスの後ろの荷台か、バスの上に積み込まれます。 上に乗せていたらはしごを上って取れたのですが、さすがに荷台の鍵は開けられず……。 「ダメだー。わたしの荷物後ろなのよー。運転手、荷台を開けてくれないわー。一緒に行けないわー。先に行っていいよー。」 「オー・・・・・・バイバイだ・・・・・・」 彼は随分長いこと待ってくれていましたが、どうしても荷台が開けられなかったためにダンプに乗ってベニの村へ向かいました。 最期まですっごく心配してくれていました。 ネパリは本当に優しいなぁーと感じました。 そして再び待ち時間。同じバスに乗っていた日本人女子たちとおしゃべり。 「日本人ぽいなー。でも中国人かなー。こんなとこにひとりでいる日本人の女性なんているかなー」とも言われました。 彼女たちはわたしと同じ年くらいで、ムスタン王国に行ってきた帰りだったそうです。 お互いに旅の思い出話をして盛り上がって笑っていましたが、あっという間にあたりが暗くなり始めた頃、ようやく代わりのバスが到着しました。 しかもどう見ても小さいバスで、これに全員乗れるのか?!っていう感じでした。 「早く乗らないと席がなくなっちゃうよ!」 とガイドが叫んでおり、日本人女子たちは先に乗っていきます。 故障したバスに新しいバスが横付けされ、上部の荷物が上手にぽんぽん移動されていきます。 が、わたしの荷物はバスの後部……。そろそろわたしもパニックになりかけた頃、ジョムソンの最初から一緒だったお母さんが荷台の鍵を、手持ちのピンを使って開け始めました。 しかも5分ほどで鍵を開けてしまうではありませんか!!「マミーは強いのよ!」とか言ってる母の娘。 みんなで荷物を降ろしましたが、黒いザックは埃で白くなっていて、最初これが本当に自分のザックなのかわからないくらいでした。 わたし達も急いでバスに乗り込みましたが、びっくりしたのが日本女子たちのガイドさんが座席を確保していてくれたこと。 此処まで気の利いたガイドさん、すごすぎます。 ボロボロのバスの中は、無論灯りなんてものはなく、真っ暗。 荷物が通路をふさいで、バスを降りるときには誰かの荷物を踏みつけながら降りる感じです。自分の荷物が何処にあるのかもわからず、降りる際にはみんな荷物を一生懸命確認していました。 そんなときに頭につけていたブラックダイヤモンドのヘッデンがめっちゃ明るくてびっくりされました。 「それナイス~!」って感じでw バスが故障した場所からベニまでは2時間。 結局、ベニからポカラ経由~カトマンズのナイトバスに乗り、ようやくカトマンズへ帰れる目途が立ちました。バスの隣になったネパリのお兄さんと、「疲れた~」「大変だったね~」と言い合いながら、お話。 彼はガイドとチベットに行ってきて、ジョムソンに4日滞在して休暇を使って来たという、ポカラ在住のネパリでした。色白だったから中華系かな?ネパールには、インド系と中華系がいることをしりました。裕福な方なのでしょうかー。 そして、このナイトバスのことを詳しく教えてくれました。 飛び込みで乗った、ポカラ経由のカトマンズのナイトバスは、ポカラからご飯休憩が一回、トイレ休憩が二回ほどあるとのこと。カトマンズに到着するのは朝の5時くらい。私はカトマンズのタメルに帰ることを伝えると、バスが何処で停車するのかも詳しく教えてくれて、さらにはバスの呼び込みお兄さんにも、「この子はタメルに行くから、近くでおろしてあげて」と伝えていてくれました。ありがたい(´pωq`) 10年のパスポートがいっぱいになるほど沢山海外には来ていますが、いつも現地の方には親切にされることばかりで、騙されたりぼったくられたような記憶がないわたし。(・・・・・・気がつかないだけかもしれませんが) 特にネパリは、関わる人みんな優しくて、二年連続でネパールに来てしまうくらいのお気に入りの国です。 初めて海外トレッキングをするよーっていう人には、是非ネパールをお奨めしたいです。 バスは22時ごろにポカラに到着。日本人女子たち、お隣のお兄さんとお別れして、今度は本当にひとりになってカトマンズに出発。途中の休憩場所で、山盛りのダルバートを食べて、バスに揺られたら、朝の5時にはカトマンズのニューバスパークの近くに到着。そのまま荷物を預けていた宿にチェックインして、その日はひたすらごろごろして過ごしました。 翌日。 約束通りにsimカードを受け取りにアップヒルのお店に行く。 けれどアップヒルはいなくて、別のおじさんが対応してくれました。無事にsimカードをゲットン。となるはずが、わたしのsimカードが見当たりません。 おじさんが、忘れ物のsimカードを見せてくれますが、日本製のsimは見当たらず、ベトナム製や韓国製のものばかり(てか、どんだけsimカード入れ忘れているのって話) 「わたしのsimカード、此処で預かっているって話なんだけどー。アップヒルからメール来たの!」 「アップヒル?休んでるよ。彼が持っているんじゃないかな」 「いつお店に来るの?」 「もうしばらく来れないよ。彼ね、足骨折したの。」 「え!!!!」 「金曜日に骨折したの。今入院してると思うよ。キミのsimカードは彼が持っていると思うよ」 意味がわからん(´-` ) なんだ足骨折したって。 ついこの間まで、「髪切ったよ」とか普通にFBにアップしていたのに。新手の何かの勧誘か?!そして何故わたしのsimカードだけ持ち帰っているのー(涙) 即、アップヒルにメール。やはり骨折しているとのこと。 そして一歩も歩けない、とのこと。simカードを家まで取りに来て!と言う。 ガーン・・・・・・。ネパールのお家事情なんてわからんわよー。このトンデモ方向音痴に迷宮のようなネパールの街を歩いて来いと言う(涙 けれどsimカードのために。行きましたともー!! 場所の指定がなんともあやふやで、「Taumadhi Spuareの近くの、Phaimalchuli Roadのエイプリルって家だよ。その辺のお店に家の名前を言えば、誰でも知ってるから、訊ねてきてねー。」という。 宿から歩いて20分ほどのところだったので、翌日、スワンヤブナートにお散歩の帰りに行ってきました。 近所まで歩いて、お店や道端に座っている人に聞いてみるが、皆知らないという。おかしいなーこの辺なのになー。とウロウロしていたら、さっき訊ねたお兄さんが追いかけてきてくれて、「うちの近所だったー」と道を教えてくれましたが、わからず……結局強引にお兄さんを連れて行って案内してもらいました。 自宅の前には(怖い)おばさんが待ち構えていて、アップヒルの部屋まで連れて行ってくれました。 彼は本当に骨折して寝込んでいました(´・_・`) 「うわー。何があったの?」 と訊ねるわたし。 「金曜日に転んじゃって骨折したの。えへへー。ちょっと飲みすぎちゃった」 と。怖いおばさんだなーと思っていた人はアップヒルのお母さんでした。お母さんがチャイを持ってきてくれて、わたしが日本で看護師をやっていることをアップヒルが伝えると、レントゲンも見せてくれました。 おぅわーおそろしい・・・・・・開放骨折。明日再び病院に行って、手術して入院するとのこと。 たまたま前回の旅行で知り合ったアップヒルですが、なんだって彼は毎度、ちょっと怖い系のサプライズをしてくるのか。彼の小さい弟も一緒になって、わたしの旅行の話や、ネパールの病院の話を聴きながら過ごし、次回はわたしの姉を連れてネパールに来るよーという話をして、「お大事に」と、お別れをしました。 10日間の旅行は、本当にあっという間でした。 山歩きがメインだったのですが、今回はカトマンズの街歩きも楽しんだし、現地で知り合ったディープな子とタイ料理屋さんで、びっくりするくらい飲んで食べたり、ネパリの自宅にお邪魔して普段の生活を垣間見たり……。 ちなみに、こんなことを書いているわたしですが、英語は堪能ではありません。むしろ韓国語のほうが得意です。英単語の間違いを恐れず、思ったことは口に出すし、嫌なことは曖昧にしないから、上手くコミュニケーションが出来るのだとおもいます。(だってわならない単語は沢山あるし)間違うことは恥ずかしいことではないです。バンバン話しかけてます。すると、不思議と英語耳になってきますw わたしが本来目的にしていた、カラパタールとゴーキョピーク・EBCという目的は、今回の日程や標高が大丈夫だったことから、行けることを確信してます。(高山病が心配だったので。) けれど、次回のお休みは四川省四姑娘山でのお花見ハイキングや、暑い国、モロッコのメルズーガや、サハラトレッキングでラクダに乗りたいと計画しておりますヾ( ˘ω˘ )ゝ 寒いの辛くて、暑い国に行きたいですね!! 追記…… 2021/06/23 こんな旅をしていたんだなぁと懐かしく思う今日この頃。 Airは必ずCクラスで行くのに、現地ではケチるって、今考えると全くよくわからない旅の仕方をしていますね。 バス代金2000円が高いって思ってしまうなんて。きっと現地クオリティを味わいたかったのでしょうね。 今なら迷わず飛行機チャーターしちゃいます。
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