大山 剣ヶ峰・天狗ヶ峰 慰霊碑

2017.12.16(土) 日帰り

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私の大山雑記帳 元米子図書館長の記 「鎮魂の天狗ヶ峰の標柱消える」  縦走路のシンボル、天狗ヶ峰の標柱が、昭和54年8月19日に倒れ、姿を消してしまった。この標柱は、昭和34年8月30日に天狗沢を登はん中、滑落して亡くなった若い二人を悼んで、昭和36年に「米子山の会」「米子西高OB」や遺族らが苦労して建立し、山開き当日に除幕した。ケルンの基礎には、若い山男のカラビナや遺品が納めてあったが、2.5メートルの標柱もろとも谷底に落下した。  足場の悪い縦走路で、資材を持ち上げ、水の運搬など苦心を重ねて建立したものだが、進む崩壊に耐え切れず、19年で姿を消した。 大山今昔(立花書院 平成20年6月16日発行)から抜粋 柱の崩落後に板で標示したものがあったが風雪によりいつのまにか無くなった。 まだ縦走路の崩壊が厳しくなく弥山~縦走~ユートピア避難小屋(コンクリート製)~砂滑り~元谷のルートが楽しめた。 ガスが湧いてくるとこの分岐を直進して槍ヶ峰に行ってしまう登山者もいたとか  大山剣ヶ峰(1729m)の碑は昭和35年の山開き祭に除幕式を行った。これは前年1月6日に遭難された米子南高、山岳部OBのE氏、生徒T君、S君、I君の慰霊を込めて出来たものだった。34年の春から計画が実施された。  まず、山頂の小屋までの資材運搬。小屋から剣ヶ峰までの資材運搬と建設。昭和34年のセメント、砂利、用具などの運搬は、硬式野球部をはじめとして全校の運動部の協力があってでき得た。1日の行動で、20kgの荷物を大山寺部落から剣ヶ峰まで2回運搬した。翌年の水の運搬は、梵字ヶ池、地蔵ヶ池から運んだ。その時の、池の深さは40cm以上、水を掬う柄杓に充分の深さがあった。作家里見氏の来訪登山があり、予定を早めたためにリーダーH君と2人で夜の10時頃まで電灯を点じて剣ヶ峰まで往復した記憶がある・・・ 日本山岳会山陰支部記念誌から抜粋 台の上に立って写真を撮るなぞもってのほか 心静かに手を合わせて        合掌 慰霊碑 【草鳴社ケルン】  「山は大山 お酒はキンポー~」 昭和40年代山陰地方のテレビCMで流れていた。  当酒蔵では安来節で有名な島根県東部の安来市にあり、130 年の歴史をもつ古くからの酒蔵です。地元の方には「山は大山、お酒はキンポー」のキャッチフレーズで愛され、酒造り一筋で今日まで至っております。(金鳳酒造有限会社HP)  次期当主が大山で最初の遭難となり遺族が偲んでこのコマーシャルをつくったとどこかできいたようなきがする。 材はアスナロ 酒屋で働く方々がかつぎあげた 詳細は『回想の山旅』氏のHPの「大山初の遭難」にある。 【山頂碑】 【剣ヶ峰の碑】  別項に記載 【天狗ヶ峰の標柱】  別項に記載 【勝間ケルン】  上宝珠越付近 【山下ケルン】  元谷 【中宝珠越碑柱】 【烏ヶ山】  白い花のように 【振子沢】  われ山に向かいて目をあげん 【一ノ沢】  「大山の便り」 著者の親族の慰霊碑 【ニノ沢】  入口付近 【三ノ沢】  文珠堂の下の空地から少し入る 【三ノ沢】  最終大堰堤から上方300mくらい  別項記載 【ドーリーの墓】  ニノ沢源流付近  別項記載  詳細は加藤氏のHPにある。

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