双六岳_たおやかな山稜

2015.09.23(水) 2 DAYS

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 37
休憩時間
2 時間 6
距離
15.2 km
のぼり / くだり
1923 / 507 m
DAY 2
合計時間
6 時間 17
休憩時間
1 時間 9
距離
12.1 km
のぼり / くだり
168 / 1593 m

活動詳細

すべて見る

9月22日13時、金峰山の登山メンバー5人は八王子南口に集合した。今回もUさんの高級車に乗車して新穂高温泉に向かった。中央高速は八王子インターから相模湖間ですこしの渋滞があったが、順調に走行できた。 【前回】文蔵は1999年8月8日に笠ヶ岳に登っており、今回が二回目である。その時、深夜高速バスで室堂に入ったが、はじめは31Kgもの重量ザックを背負わなければならなかった。剣岳、立山、薬師岳、黒部五郎岳、水晶岳、鷲羽岳、槍ヶ岳を踏破してからの笠ヶ岳だった。天候がよかったので重度の日焼けを負ったが、7泊8日の縦走で百名山8座をゲットできたのである。とりわけ、笠ヶ岳は楽しい思い出にあふれている。山行の最終目的地であり、登山仲間のGNQさんが前日に弓折岳まで上ってきて一緒に笠ヶ岳を楽しめたのだ。女性らしい笠ヶ岳の美しい山容と稜線漫歩のおだやかな風景を記憶している。 【今回】 八ヶ岳Pで休憩を取り、新島々近くのコンビニで食料類の買い物を済ませた。新穂高温泉の深山荘のある無料駐車場(鎌田川沿い)に1850に到着し、同夜はテント2張と車内に分かれて8時間のじっくり仮眠をとった。 あらかじめ、新穂高登山指導センターに計画書を提出し、翌日の出発点となるゲートのあるHニューホタカの駐車場を下見をしている。この駐車場は前泊の幕営はNGらしいが、夜中に見回りする守衛さんたちから情けをうけ、見逃してもらうのである。 駐車料金1日1,000円の3日分を払って、ゲートを越えて0615に林道を歩行開始した。透きぬける青空にぎらついた陽光が満ち、峻厳な岩肌はその輝きを反射していた。うそのような晴天である。中崎橋まで50分、そこで休息して笠新道の分岐を左に迎える。以前、出来立ての新道だったが、もう石段はすっかり苔むしており、あたかも熊野古道の様相をうかがわせる。「新道」がいつまでも新道であるのはおかしいでしょ。 わさび平小屋で休息し、いろいろな組み合わせになっておしゃべりしながら左俣谷に沿う小池新道(これも50年位も新道?)を進んでいく。道が広いので並んで歩行できるのである。それにしても、大勢の下山者とあいさつを交わすことになる。なぜならこの連続5連休のシルバーウイークに北アルプスに入った登山者数がものすごいのである。彼らはこの日の連休最終日にそろって下山するのである。男子は日焼けした顔をひげもじゃにして。 2日前、黒部五郎小屋では布団2枚に5人、双六小屋でも布団1枚に2人で混み方はひどかったという。隙間なく布団を敷いて、それぞれの山小屋の収容人数を大幅に上回ったらしい。缶ビールも缶ジュースも売れ切れ、槍ヶ岳の頂上では3時間待ちだったと聞いた。文蔵は、鏡平小屋で缶ビールを求めて事前に飲んだのは大正解だった。双六小屋では生ビール(1,000→800に割引)だけであった。 秩父沢を越えて、イタドリヶ原、シシウドヶ原斜上していく。そのたびにゆっくり休息をとった。下山者は途切れることはなかった。中にはとんでもない単独行の年配男性がいた。弓折岳を過ぎたくろゆりベンチで、この日早朝に新穂高温泉を出発して鷲羽岳をピストンしてきた登山者に逢ったのである。彼は日没前に下山できればいいといっていた。なんとも強靭な速力である。 正午前に鏡池山荘に到着し、明るい日差しを受けながらゆったり昼食をとった。そこから弓折岳までの1時間の登高が最後の難所であった。息を切らして寡黙に登るしかないじゃないか。文蔵は久ぶりに重たいザック15Kgを背負っていた。水2Lと余計な着替え類や食料、コッフェルなどのためである。一行は弓折岳分岐で休憩を取り、それからも花見平、くろゆりベンチで腰を下ろして休んだ。正面に槍・穂高連峰が端正に並んでいるだろうが、すっかり黒い雲に隠れていた。その雲は西方に伸びてきて、これからの行く先を塞ぐように降りてきた。 双六小屋到着は1445.であり、8.5時間の歩行であった。ここで係りのUさんは宿泊準備を含めて小屋に待機するので、4人で双六岳を往復することになった。新人さんは、そこで北アルプス核心部に足を踏み入れた感動を得るに違いないとの係りの配慮があったのだ。 ほぼ空身になって小屋から双六岳を往復した。なだらかな稜線に出れば、頂上までは15分くらいの歩行だった。丸山、三俣蓮華岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳の主峰が立ち並び、樅沢岳から先の硫黄尾根が赤く見えた。 記念写真を撮り、KIさんからご褒美の羊羹をありがたくいただいた。往路が55分で、復路の下山が45分だった。 2日目の朝、Uさんが天候の急変を全員に伝えた。山荘玄関にあるTVモニターから午後から雨という気象予報を持ってきたのだ。議論の末に笠ヶ岳山行は中止になり、小池新道を下山して昼前にゲートにたどり着くという計画変更になった。稜線で雨風に晒されて、そのまま笠新道を下山するのは忍び難く、悲痛な思いを味わいたくないという共通の価値観があったのである。ここでは微塵の勇気はいらない。 槍・穂高を眺望しながらの小池新道の下山は、実に快適だった。北A登山の贅沢を身にしみて感じたのである。 ゲートに着くころ雨脚が激しくなり始めた。すでに笠ヶ岳稜線ではよっぽどの風雨になっていたと想像できる。 文蔵たちは、奥飛騨温泉郷上宝の道の駅に立ち寄って買い物をし、ひらゆの森の温泉施設で入浴して東京に向かった。高速道路はめずらしく順調だった。平湯を1445に出発し、八王子に1835に到着した。 みなさま、お疲れさまでした。今度こそ、天候に恵まれて笠ヶ岳にいきましょう。 ・・・文章がいい加減で、推敲も足りずに恐縮です。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。