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山登り・アウトドアの新定番

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お地蔵様の調査、完結編。

ノドクサリさん YAMAP Meister Master

  • YAMAPマイスター:マスター
  • 自己紹介:地元(島根)の低山を徘徊しております。
    ホームは出雲北山

    ノドクサリ(ネズミゴチ)砂地でよく釣れる外道の名、触るとヌメリ,異臭が手に着き、嫌われる魚ですが、他魚と同様、一つの命という意味をこめて。
    2014年の夏頃近所の山を歩き出し、秋からYamapを開始。

    魚釣りに20年以上没頭しておりましたが、子供の成長など家庭の用事には逆らえず、ついに深夜の釣りしかできなくなる。悶々とした日々を送っていたが、健康診断ではメタボの診断を受け、運動の為、近所をトボトボと散歩する。ウォーキングを近所の人に見られるのが恥ずかしく、山道を歩くようになった。目標となる山頂へやっと到達するだけだったのが、少し体力がつき、様々な脇道,マニアック道に興味がわいてくる。

    ずーっとソロで獣道のような所を歩いていたが、ある日、子供たちが歩きやすいようにと、整備されている人と出会う。それ以来、リュックには、「赤テープ,ノコギリ,鎌,ゴミ袋」を常備しており、整備を兼ねた登山をするようになった。自然豊かな山は、多様な生物の居住地でもありますので、なるべく手を加えず、人が歩ける最低限の道だけ確保させてくださいと山へ向かって言う。近くの山は保守的に、遠征先では自由気ままに歩きます。
    山の中で、よく「整備の方ですか?」と聞かれますが、私は、ただの登山者です。登山者は多かれ少なかれ、みんな整備の人だと言いたい。下へ転げ落ちそうな石があれば道端へ避け、トゲのツルが垂れ下がっていたら、除けておく。道を間違えれば、後続の人が同じ目に遭わないようにテープなどで印を付けておく。山道は荒れない程度に少しずつ整備し続けるのが良い。

    次の世代を担う子供たちに、自分で山道を歩いて何かを感じていただきたい。山は管理された施設ではないので、危険だ!何かあったらどうする?などと問われがちですが、多少の怪我はしても良いではないか。人だけでなく、動植物までも思いやる人になってほしい。
  • 活動エリア:
  • 性別:男性
  • 生まれ年:1965
  • 出身地:
  • 経験年数:3年未満
  • レベル:初心者
  • その他 その他

日御碕

2015/12/19(土) 22:02

 更新

お地蔵様の調査、完結編。

公開

活動情報

活動時期

2015/12/19(土) 11:17

2015/12/19(土) 17:14

アクセス:512人

軌跡・時間・距離

軌跡データをダウンロード
累積標高上り 3,233m / 累積標高下り 3,234m
活動時間5:57
活動距離39.44km
高低差159m

写真

動画

道具リスト

文章

前回(11/28)は、途中で日が暮れてしまい、ゴールを確認できなかった。
今回、再度挑戦ですが、このまま、進むだけでは、おそらく撃沈だろう。
入念な下調べを行った。
最終地点を調べる前に、まず、スタート地点はどこだろう?。という疑問がわいてくる。

事前に、古道に詳しい方に、斐川地方のお地蔵様について聞きに伺った。
「出雲巡礼」とは、出雲国内三三か寺に祀られている観音を拝して廻る巡礼。
(1番)長谷寺-(2番)養命寺-(3)鰐淵寺と続いて行き、今回の道は、この(5番)岩根寺~(6番)蓮台寺への順路に置かれた丁地蔵だと推測される。

岩根寺:現在の出雲市朝山町に存在したが、明治五年に廃仏毀釈運動の為に廃寺となり、本尊である十一面観音菩薩は出雲市塩冶町神門寺に移されました。
その後、明治22年に信徒の強い願いにより、以前あった場所にお堂が建てられました。
これが、現在の岩根寺です。

当時の巡礼者たちは、観音経や般若心経をあげたり、「お札」を、取り付けられた箱に納めたりする。この観音巡礼のことを「札打ち」と言うようになった。
観音は現世来世の救済のために、聖観音・十一面観音・千手観音などと、三三態をとって現れるとされる。

まず、スタート地点である、「岩根寺」について。
島根県出雲市朝山町の神朝山・岩根寺、本堂脇に、ノウゼンカヅラの大きなツルが目印です。
岩根寺は、高さ約20メートルを超える断崖のくぼ地に本堂が建つ。大イチョウはかつて地元住民が植えたとされ、高さ約15メートル、樹齢は約120年(明治28年頃)という。新しく本堂を立てた直後に植えられたものか。

遠距離を進むので、最初から自転車での走行。あえて、同じ景色からスタートで挑む。斐伊川の南神立橋を通過。江戸時代には、数年毎に度重なる洪水に見舞われたせいか、橋が架かってなく、渡し船で料金を徴収していたようだ。さらに自転車を走らせ、出雲市の山あいにある「岩根寺」に到着した。

ここが、お地蔵様調査のスタート地点である、巡礼五番のお寺です。明治初めに寺社が分けられた事により、明治5年にあえなくご本尊を神戸寺へ移し、五番巡礼寺ではなくなったが、地元の信仰は厚く、その後お堂が建立された。

古道が分からないので、GoogleMap1975年の航空写真から、昔の道を推測した。不確かな道を、自転車でグルグル回りながら、丁地蔵を探してまわった。山道の麓にお地蔵様があったが、先へ進めず、あえなく断念。
舗装道路を回り込み、調査を続けたが、斐伊川土手が近づいた頃に、ようやく次の地蔵を発見。同じ巡礼道でも、川の向こう側は、別番号で設置されていたようだ。
斐伊川へ到着した。「船頭さん!せっしゃを渡してござらんか?」って言いたかったが、今は江戸時代ではない、仕方なく、遠回りして対岸へ渡った。

西岸の起点には、私の身長ほどある大きなお地蔵様があり、「文政八年二月建之 従是札祈蓮台寺迫道法六十九丁」と読めた。ここから、道沿いに、通常のサイズで点在しており、順調に一丁ずつ刻まれていった。最近、農道が作られた場所などで、数字がかなり飛んでいたが、それが、まとめて置かれていた。
さらに、狭い旧道を進み、森の中などを通り、再び農道へ出た。仏経山の登山道入口を通過、高速道、斐川インターも通過し、南側の古道へ逸れた。この時点で残り「十丁」残り1kmか。

前回調査の最終地蔵から、蓮台寺方向へ進み、丁度お見掛けしたおばあさんに聞き、あぜ道にあった地蔵「七丁」を発見。そこからの古道は途絶えていたが、蓮台寺の入り口に「五丁」があった。現在の看板にも確かに「あと500m」とある。古道の道筋を進み、お墓を通過すると、倒木や低木が茂った道になった。さらに進むと、石段のたもとに到着した。

石段を登り切ると、終点、蓮台寺があった。手前に鎮座する大きなお地蔵様は、先ほど、斐伊川対岸の起点にあったものと似た大きさ,刻印で、「是 光明寺?道法廿七丁 文政九年三月建」とあった。
本堂の前で、終点まで来ることができたお礼「ありがとう」と一言。賽銭10円(安い?)

続いて、次の(七番)「光明寺」への細い道が見えたので、進んでみた。すぐに、一番目「一丁」の地蔵を発見。さらに「二丁」も発見したので、この先続いて行く事を確信。
けれども、蓮台寺までの刻印とは逆の順になっているぞ?。昔、地元の方の手で、お寺毎に番号を振られたのだろう。

各、丁地蔵には、正面上にXX丁,左右に建てた人名が刻まれていた。
今でも周辺で使われている「青木,後藤,多々納,池田」などの名字が刻まれており、寄贈した家も残っていると思われます。江戸時代でも、寺社に関わる場合は苗字が使用できたようです。
蓮台寺から数えて、1~20ぐらいは、小さめで古めかしい御影石でしたが、後半の40~60,起点の69丁地蔵までは、大き目で、しっかりとした造りでした。
昔、お寺参りの道しるべとして、まずは、近く(2~3km)の檀家などにより設置され、江戸の後期に巡礼が盛んになると、斐伊川起点からお寺まで測量して新設されたような気がします。

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