活動データ
タイム
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距離
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のぼり
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くだり
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活動詳細
すべて見るこれまでの日本百名山完登記録を作成することにした。 山の順番は、登頂順でなく北から南へ・・・・ 2015年6月29日~7月12日の14日間、のんびりとフェリーとマイカーを利用して、個人(ソロ)で鳳凰山・赤城山・武尊山・谷川岳・苗場山・巻機山・恵那山の7座、そして時間的余裕があれば、日本百名山生みの親「深田久弥氏」の終焉の地である茅ヶ岳をまとめて登る山旅に出た。 登山後は、出身地の大阪に立ち寄り、久しぶりに友人・親戚と再会し、旧交を温めることにした。 [7月1日] (移動) 🚙マイカー 東横イン前橋駅前→南アルプス市芦安温泉郷 昨日の南アルプス林道の通行止め解除を確認し、関越道、圏央道を走行し現地へ向かうも・・・・通行量が多く、こちらの高速道が不慣れなため、中央道へ入りきれず、圏央道を真っ直ぐ行ってしまった。相模原ICで係員に事情を説明し、Uターンさせてもらい、中央道に引き返した。係員いわく、このような間違いが、多いと話をしていた。 大月IC周辺を走行中、宿泊先の「夜叉神の森」から電話がかかってきた。「先ほど、また南アルプス林道が、規制雨量の為、全面通行止めになったので通れない。」との内容だった。 もっと早く、連絡があれば、向かのを中止できたのに・・・・ もう近くまで来ているので、とにかく芦安温泉郷へ向かうと回答。当然明朝には通行止めが解除になるものと思ってのことだった・・・・ 今日通れない「夜叉神の森」をキャンセル。 明朝から鳳凰山を登るので、芦原温泉郷に到着後、すぐに今晩泊まる宿を数件、直接あたるも、他に宿泊者がなく、一人では無理との冷たい対応・・・・・で困っていたところ、「南アルプス温泉ロッジ」が、夕食は不可だが、宿泊と入浴だけならOKということになりひと安心! 夕食がない為、弁当・アルコール・つまみ、翌日の朝食と昼食をここから、かなり離れたコンビニへ仕入れに行った。 宿泊棟は少し離れた山手にあり、屋根がガタガタ音がしてうるさかった! 気になったので確認したら、野生の猿の集団が走り回っていた。自然そのものの宿だった! [7月2日] 鳳凰山登山準備をして、南アルプス林道の山の神ゲートに行くと、まだ通行止めになっている。ゲートの係員に聞くと、「全ルートの点検パトロールをしてから、その結果に基づいて本部が決めるので、まだ解除の見通しはたっていない。」との回答だった。 市営芦安Pに降りると、北岳などに行く数名の登山者が、バス運行を待機していた。 このような状況下で、いつ通行止めが解除になるか分からないし、これ以上待機しても時間の無駄であるので、鳳凰山は諦め、この足で茅ヶ岳へ移動した! 今回、宿泊するところは全て予約していたので、鳳凰山取り止めにより、計画が大きくズレてしまった。 【翌月の盆明けに、鳳凰山だけに飛行機と電車で行くことになる・・・・・そこでもまたハプニングが・・・・】 百名山の中で一番苦労した山は、鳳凰山である! また、現地まで行って登れなかった百名山は、唯一鳳凰山だけである! 優雅な裾を覆う広葉樹林が素晴らしい独立峰! 文筆家であり登山家でもあった、日本百名山の「深田久弥氏終焉の地」の石碑が設置されている。 昭和46年3月21日、深田久弥氏はこの山の頂上直下で、脳溢血で死去した。 日本百名山とは、深田久弥氏が日本全国の山を実際に登頂し、山の品格・歴史・個性から選んだ百の山。 (コース・タイム) ピストン 深田記念公園P 9:47 13:17 女岩のコル 11:15 12:17 山頂 11:35 12:05 昼食 折角登るのだから、ピストンではなく、茅ヶ岳から金ヶ岳へ、周回コースを歩きたかったが、下山後群馬県みなかみ町へ移動。時間的にタイトなので、ピストン登山とした。 登山道は、最初はずっとゆるやかな登りが続く。女岩~女岩のコル~山頂は、急坂を登って行く! 深田氏は石川県大聖寺町(現在の加賀市)の出身である。 私は若い頃、金沢に転勤で10年余り住んでいたが、登山に関心がなかったので、深田氏の存在を知らなかった。 「深田久弥氏終焉の地」の石碑に向かって、「石川県は、私にとっても故郷であり、こよなく石川県を愛しています・・・・」とお参りをした! 加賀市に「深田久弥山の文化館」があるので、金沢に行った時には、是非とも訪れたいと思っている。 山頂からは、金ヶ岳は望めたが、ガスが発生して、全体の眺望はなかった。 また山頂では、ハエのような虫が多い! 赤城山に続いて、ここも山頂一人占めだった! (下山後移動) 🚙マイカー 深田記念公園P→群馬県みなかみ町藤原 明日登山する武尊山の登山口である武尊神社Pを下見した。 (宿泊) 民宿 関ヶ原 翌日の昼弁当はサービスだった。
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