ガイドの下見(叡福寺)

2018.09.19(水) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
40
休憩時間
0
距離
888 m
のぼり / くだり
19 / 19 m
41

活動詳細

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いい天気ですねえ。絶好の登山日和ですよ。 なんだけど、日曜にガイドのお仕事があるので(山岳ガイドじゃないよ、観光ガイド)、きょうは予習やら資料準備に充てました。 今回私の受け持ちは叡福寺。 叡福寺とば称徳太子の御廟があるお寺です。 つまり、太子町観光のメインになる場所とも言え、ここを受け持つのは初めてなのでかなりドキドキです🤯 で、午前中に資料準備をすこしして、森さんの天気予報を観たあと、案内のポイントや手順の確認に叡福寺を少し回ってきました。 で、観光ガイドなんだから、当然建物とかを見ながらの説明になるんだけど、それ以外にどんな話を盛り込めるか、これから準備してみます。 さてはて、どうなるか😰

金剛山・二上山・大和葛城山 聖徳太子の御廟がある叡福寺です。寺伝では、太子の御廟を守護するために一堂を構えたのが始まりで、神亀元年(724年)聖武天皇の勅願で伽藍が造営されたそうな。
聖徳太子の御廟がある叡福寺です。寺伝では、太子の御廟を守護するために一堂を構えたのが始まりで、神亀元年(724年)聖武天皇の勅願で伽藍が造営されたそうな。
金剛山・二上山・大和葛城山 南大門への階段です。三十三段あるとか。これは西国三十三所に関連してるとか。
南大門への階段です。三十三段あるとか。これは西国三十三所に関連してるとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 南大門です。扁額には聖徳廟とあります。
南大門です。扁額には聖徳廟とあります。
金剛山・二上山・大和葛城山 阿吽の阿さんですね。
阿吽の阿さんですね。
金剛山・二上山・大和葛城山 阿吽の吽さんですね。
阿吽の吽さんですね。
金剛山・二上山・大和葛城山 境内です。正面に太子御廟があります。宝塔や金堂は左側に並んでます。
境内です。正面に太子御廟があります。宝塔や金堂は左側に並んでます。
金剛山・二上山・大和葛城山 南大門から入りすぐ左に多宝塔があります。承応元年(1652年)江戸の三谷三九郎という方により再建されました。国指定重要文化財になっています。
南大門から入りすぐ左に多宝塔があります。承応元年(1652年)江戸の三谷三九郎という方により再建されました。国指定重要文化財になっています。
金剛山・二上山・大和葛城山 金堂です。享保17年に再建されました。本尊は如意輪観音坐像で、脇侍は不動明王と愛染明王で、共に弘法大師の作と伝えられています。府指定文化財です。
金堂です。享保17年に再建されました。本尊は如意輪観音坐像で、脇侍は不動明王と愛染明王で、共に弘法大師の作と伝えられています。府指定文化財です。
金剛山・二上山・大和葛城山 聖霊殿は太子堂とも呼ばれ、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により再建されました。祀られている太子十六歳植髪等身像は、父用明天皇のご病気平癒を祈願されたお姿で、孝養像と呼ばれます。
聖霊殿は太子堂とも呼ばれ、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により再建されました。祀られている太子十六歳植髪等身像は、父用明天皇のご病気平癒を祈願されたお姿で、孝養像と呼ばれます。
金剛山・二上山・大和葛城山 擬宝珠には
擬宝珠には
金剛山・二上山・大和葛城山 内大臣 豊臣朝臣 秀頼卿 奉
と刻まれてますね。
内大臣 豊臣朝臣 秀頼卿 奉 と刻まれてますね。
金剛山・二上山・大和葛城山 聖霊殿の前にある三鈷の松です。高野山から移植されたとか。
聖霊殿の前にある三鈷の松です。高野山から移植されたとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 松葉は三つに分かれてます。これを財布に入れとくとお金が貯まるとか😁
松葉は三つに分かれてます。これを財布に入れとくとお金が貯まるとか😁
金剛山・二上山・大和葛城山 いよいよ御廟所へ入っていきます。こちらは二天門というそうな。元禄8年(1695年)に丹南藩主により回廊、鐘楼、上の御堂と一緒に再建された。
いよいよ御廟所へ入っていきます。こちらは二天門というそうな。元禄8年(1695年)に丹南藩主により回廊、鐘楼、上の御堂と一緒に再建された。
金剛山・二上山・大和葛城山 左が持国天さん?
左が持国天さん?
金剛山・二上山・大和葛城山 右が多聞天さん?
ちゃんと確認しとかなきゃ😅
右が多聞天さん? ちゃんと確認しとかなきゃ😅
金剛山・二上山・大和葛城山 御廟の入り口です。用明天皇の皇后で太子の母穴穂部間人皇后(アナホベノハシヒトノコゴウ)、妃の膳郎女(カシワデノイラツメヒメ)、そして太子の三人のお墓です。よって、三骨一廟と呼ばれています。
御廟の入り口です。用明天皇の皇后で太子の母穴穂部間人皇后(アナホベノハシヒトノコゴウ)、妃の膳郎女(カシワデノイラツメヒメ)、そして太子の三人のお墓です。よって、三骨一廟と呼ばれています。
金剛山・二上山・大和葛城山 円額は阿弥陀三尊が刻まれ、中央阿弥陀尊は母を、右の観音菩薩は太子を、左の勢至菩薩は妃とされています。
円額は阿弥陀三尊が刻まれ、中央阿弥陀尊は母を、右の観音菩薩は太子を、左の勢至菩薩は妃とされています。
金剛山・二上山・大和葛城山 上の御堂です。太子四十二歳像(三十五歳像、摂政像)とも言われている。
上の御堂です。太子四十二歳像(三十五歳像、摂政像)とも言われている。
金剛山・二上山・大和葛城山 御廟を囲む結界石です。内側のは弘法大師が建立したと伝えられる。弘法大師がここでの修行の証として一晩で結界石を立てると願をかけたが、あと二三本というとこで鶏がなき、まだまだ修行が足りないとまた旅立ったとか😅それ以来人々は鶏を飼わなくなったとか😅
御廟を囲む結界石です。内側のは弘法大師が建立したと伝えられる。弘法大師がここでの修行の証として一晩で結界石を立てると願をかけたが、あと二三本というとこで鶏がなき、まだまだ修行が足りないとまた旅立ったとか😅それ以来人々は鶏を飼わなくなったとか😅
金剛山・二上山・大和葛城山 外側は江戸中期、享保年間に建立され、三部経が刻まれています。
外側は江戸中期、享保年間に建立され、三部経が刻まれています。
金剛山・二上山・大和葛城山 たぶん、忠禅上人塔と思う。ここから太子の予言石が出てきたとか。
たぶん、忠禅上人塔と思う。ここから太子の予言石が出てきたとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 浄土堂の裏には、太子が廟窟内に刻んだ文を模した廟窟偈碑があります。
浄土堂の裏には、太子が廟窟内に刻んだ文を模した廟窟偈碑があります。
金剛山・二上山・大和葛城山 土台は亀さんですね。
土台は亀さんですね。
金剛山・二上山・大和葛城山 両側面には登り竜と下り竜が彫られています。
両側面には登り竜と下り竜が彫られています。
金剛山・二上山・大和葛城山 最後の二文、ここに一度来れば極楽往生が約束されるとあります。
最後の二文、ここに一度来れば極楽往生が約束されるとあります。
金剛山・二上山・大和葛城山 ありがたいので、みんな石を削って持って帰ったので、下の方が削れてます😅
ありがたいので、みんな石を削って持って帰ったので、下の方が削れてます😅
金剛山・二上山・大和葛城山 浄土堂。慶長2年(1597年)、伊藤加賀守秀盛の再建とされている。本尊は阿弥陀三尊。
浄土堂。慶長2年(1597年)、伊藤加賀守秀盛の再建とされている。本尊は阿弥陀三尊。
金剛山・二上山・大和葛城山 見真堂です。明治45年に見真大師奉賛会が見真大師(親鸞)の参篭を記念して建立したとか。
見真堂です。明治45年に見真大師奉賛会が見真大師(親鸞)の参篭を記念して建立したとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 本尊は、親鸞聖人自らが刻んだ親鸞聖人坐像だそうですが、
本尊は、親鸞聖人自らが刻んだ親鸞聖人坐像だそうですが、
金剛山・二上山・大和葛城山 今は宝蔵の方に移ってるとか。
今は宝蔵の方に移ってるとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 で、こちらは
で、こちらは
金剛山・二上山・大和葛城山 弘法大師堂です。弘法大師は、平石村の高貴寺から百日通ったそうで、その記念に建立されたとか。本尊は自作の弘法大師像とか。
弘法大師堂です。弘法大師は、平石村の高貴寺から百日通ったそうで、その記念に建立されたとか。本尊は自作の弘法大師像とか。
金剛山・二上山・大和葛城山 左に大師像が立ってます。
左に大師像が立ってます。
金剛山・二上山・大和葛城山 奥に見える建物じゃなく、その手前が、
奥に見える建物じゃなく、その手前が、
金剛山・二上山・大和葛城山 融通念仏宗の宗祖良忍のお墓だとか。
融通念仏宗の宗祖良忍のお墓だとか。
金剛山・二上山・大和葛城山 さらにこちらに日蓮上人参篭の記念塔があるんですが、
さらにこちらに日蓮上人参篭の記念塔があるんですが、
金剛山・二上山・大和葛城山 この前の台風で倒木😫
この前の台風で倒木😫
金剛山・二上山・大和葛城山 その向こうにあります。
その向こうにあります。
金剛山・二上山・大和葛城山 彼岸花が咲きだしてますね。
彼岸花が咲きだしてますね。
金剛山・二上山・大和葛城山 これは念仏堂だそう。本尊は阿弥陀三尊ね。
これは念仏堂だそう。本尊は阿弥陀三尊ね。
金剛山・二上山・大和葛城山 こちらは客殿。
こちらは客殿。
金剛山・二上山・大和葛城山 当日は、この後、向こうに見える西方院から、更に色々回るんだけど、私の担当はここまで。
当日は、この後、向こうに見える西方院から、更に色々回るんだけど、私の担当はここまで。

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