火迺要慎の愛宕山 未就学児が多い理由は・・・

2018.10.14(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 45
休憩時間
20
距離
9.4 km
のぼり / くだり
949 / 950 m
2 6
1 32

活動詳細

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 20年前に京都に2年間住んだことがって、愛宕山のことは知っていた。その後も、新幹線で京都を通るたび、京都盆地の西の奥、聳えると言うほど高くないけど、存在感のあるこの山が気になっていた。そしてこの夏、関西在住となってから、3山目に選んだのは愛宕山。20年来の課題の解決というわけ。  紅葉シーズンには早いけど、あいも変わらず賑わう嵐山から、京都バスに乗って清滝に入る。京都の周辺はどこもそうだが、盆地を取り囲む山々に少し足を踏み入れると、いきなり仙境の気配がする。カラス天狗みたいなのが、昔は本当にいたのかも知れない。後で知ったことだが、嵐山から清滝を経て愛宕山にはかつて鉄道路線があって、愛宕山の山上にはホテル、スキー場があったらしい。嵐山から清滝は通常の鉄道線(清滝トンネルが異様に狭い理由も納得)。清滝から愛宕山の区間はケーブルカーで、標高差約640mもあったらしい。開業が1929年というから、高野山ケーブルカーの翌年である。標高差では高野山の2倍近い。昭和初期にこんなものがあったとは驚きである。ちなみに、戦時中の金属供出でレールを失い、その後は廃墟となり、自然に還っているようである。参考までに、フニクリフニクラで知られるヴェスヴィオ火山のケーブルカーは1880年竣工、日本最初のケーブルカーは1918年の生駒山らしい。  さて、昔の喧噪は今いずこ、登山口の清滝は、清流のほとりの数軒しかない集落である。鳥居をくぐって、最初は杉の人工林の中の急傾斜のコンクリート道を登る。金剛山もそうだったなぁ〜関西の山の取り付きの共通点か??と思いつつ登ると、道はやがて礫まじりの階段になる。土の柔らかい感触はなく、整地した岩盤と砂礫の入れ混じった地面。泥や水たまりは皆無だったが、麓から山頂までず〜っと同じように道の表面を砂礫が覆っているのは、もしかして、何らかの意図があってそのように整備しているのだろうか???ちゃんとした登山用の靴でなければ足裏が痛くなると思う。  登山道脇には100mおきに、消防団が設置した看板がある。そう、愛宕神社は火の用心の神様。登山道の全長が4kmということで、この看板には「○/40」のナンバリングがしてある。最初のうちはきつい急斜面が続くので、この分数の進みが遅い。つい約分してしまって、「まだ1/4か〜」となってがっかりする。ちなみに、20/40以降は傾斜が緩くなり、数字の進みが早くなるのでご安心を。ただし、分数は最後には仮分数になっちゃうので悪しからず(笑)  ということで、20/40の頃から傾斜は緩み、時折展望が開けるポイントが出てくる。南東方向に開ける景色は、足元で蛇行する桂川、京都市街の南半分だ。しかし不思議なのだ。この山の登山者の年齢構成がおかしい。普通はシニア層が最大勢力で、小学生くらいの層は多くない。しかし、どういうわけか未就学児がやたらと目立つのだ。もちろん親に連れられて。自力で登る子、ベビーキャリーや抱っこ紐、パパの肩車。何かに変身してパパと戦いながら登る子。これまたなぜだろう、未就学児と言っても年長クラスは少なく、どう見ても年少程度なのだ。パパママもみな若いが、それにしても大変だ。しかしなぜだろう。京都では小さい子を山に連れて行く習慣があるのか?何だか分からないけど、「さすが京都!」と無理やり理解する。  年少さんもシニア達も、やがて登山者は平坦になった山頂部で、驚くほど立派な石の階段と、立ち並ぶ石灯籠に迎えられる。標高900mにあるとは思えない、愛宕神社の境内である。他の山で山頂に立派な構造物がある場合、多くは自動車を発見するものである。しかしこの愛宕山には自動車道はない(昔はあったのかも知れないが)。宮司さんも歩いて登って来るのだろう。今も生きる信仰の力ということだろうか。周囲は基本的に杉林であり、大展望がひらけた場所はないが、京都の街並みが垣間見れる。そして最後の最後、急な石段を登って、とても立派な愛宕神社本殿に着く。  登山客はかなり多い。みな広い境内で思い思いに昼食をとっている。年間通して登られる山なのだろう。金剛山より標高差が大きく、雪も積もるだろうから、金剛山ほどの回数は無理だろうと思っていると、5,000回登頂の石柱があった。すごいことである。  いくつもルートはあると思うが、迷わず往路をそのまま下る。○/40の分子はどんどん減り、登りの半分の時間で清滝に戻った。足元が岩と砂礫で硬いこと、大展望が望めないことなど、△ポイントはあるが、標高差もほどほどに大きく、登り甲斐のあるいい山だった。 さて、下山後に、Wikiにこんな記述を見つけた。 「火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われる。」 疑問氷解! あの子達は3歳だったのね!

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