大雪山系、旭岳。トムラウシ山

2013.08.09(金) 4 DAYS

活動詳細

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大雪山縦走 二〇一三年八月九日、私を乗せた旭岳ロープウエイはあっという間に大雪山の懐へといざなってくれた。北海道のほぼ中央に位置する大雪山は旭岳二二九〇mを主峰に二〇〇〇m級の山々が連なる国立公園である。 古代アイヌの人達は、大雪山をカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と呼んでいた。 この日はあいにくの雨で、確か昼頃に姿見終点から雨具を着け、旭岳へと登って行った。 雨がしとしと降っていて、展望はあまりなくただ足元のみを見ながらの登山であった。 樹木一つない旭岳を登り、頂上に立つのに三時間も掛ってしまった。 山頂には誰ひとりいなくその日最後に旭岳を登る私を含めて三人の内、若者二人は既に白雲岳避難小屋に向け、立ち去った後だった。 大雪山は憧れの山で、いつか必ず登ってみたいと思いながら何年もの月日が流れていた。 思えばこの二ヶ月前、娘と些細なことで喧嘩をし「お父さんとは、今後決して山には行きません。」と宣言されてしまった。 そうだ!今年の登山は単独行なんだ~? だとしたら長年温めていた大雪山に登ろう。 一人分の航空券なら予算を組めそうだし。 三年続けて娘とは槍ガ岳表尾根縦走、劔岳から欅平縦走、そして昨年は白馬岳雪渓を登り朝日岳から日本海、親不知までの縦走をしてきた。 旭岳頂上を踏み、ガレ場を下る途中に足を滑らし転けてしまった。 前日の睡眠不足で疲れがあったのか?まださほど歩いていないのに? できれば、白雲岳避難小屋まで歩けたら?と思いながら雪渓の先の天場を探したが ガスの中見つからず、適当な広さのスペースを見つけ天幕を張る準備にかかった。 丁度運悪く風が強く吹き始めの中、急いでザックから荷物を出した。 収納していた袋の中には内張りがあるだけで、フライシート(外張り)が見つからなかった。 確かに何度も何度も荷物の確認の為、何日も前からザックに入れては出し、出しては入れて必要なもの、不要なものをチェックしたはずなのに?心が落ち着かず、なんてことをしてしまったのだろう? もう後戻りできない。 内張りだけでもなんとかなるだろう?これくらいの雨ならば! 強風の中、天幕がバタバタ風にあおられ、凧揚げをしているように空中に天幕が浮いている状態で、二本のポールを通し終えた時に、風が急に穏やかになったので天幕を地面に置き、まずペグを一本打ち付けた、風が落ち着いていたので、ついうっかり、もう一本ペグを打ったら、荷物を早くいれよう、雨に濡れることが少い内に、気が緩んだのか?、もう一本のペグを取ろうと腰をかがめ天幕から手を離した瞬間に、また風が吹き我が天幕はゴロン、ゴロン、ふわふわと風に煽られ、それは二、三十m飛ばされた。 疲れた足で必死に追いかけ、捕まえるまで三mくらいの雪渓の手前で私を待っていてくれたが、手を伸ばした瞬間、無情にも風がまた吹き雪渓の上をお鉢に向かいガスの中、それは見えなくなっていった。 まるで、乳母車に乗っていた子供がふと風船の糸を手から放し、青空の中、放された風船が風に乗りふわふわ空高く舞い上がり、泣きながらどうするすべのない子供の様だった。 その間、荷物は雨に打たれるまま放置されていた。 とりあえず荷物をただ夢中でザックに放り込み避難の為、振り出し地点にある避難小屋へと旭岳を登り返し、しおしおと誰もいない小屋に着いたのが六時半を回っていた。 ザックの中からすべての品物を乾かすために椅子の上に並べていたら、ザックの中からフライシートが出てきた。 あの時は雨と風の中、急いでの仕事で以前使っていた天幕はインナーとフライが一緒の袋の中に収まっていたのでてっきり家に忘れてしまったと思っていたのだ。 何時間か前に起こった様々な出来事や失敗、あの時荷物を全部出して並べたとき、なんでもう一度ザックの中を丹念に手を入れ探さなかったのか?表に出した品物を何度も何度もオロオロしながら探したのに? なぜ頑張って白雲岳避難小屋まで足を運ばなかったのか? ここで朝を迎えて一番のロープウェーイで家に帰ろう。 天幕が無いという事は十勝岳までの縦走は出来ないということだから。 縦走するには必ず一日は天幕泊をしなければならないからだ。 家に帰ろう!気持ちが落ちるところまで落ちてしまっていた。 今朝、旭川空港に着いた時はあんなに気持ちが高揚していたのに? 夕食を済ませ寝袋に包まり、やっと落ち着きが戻り、迷妄から抜け、もう一度これからのことを考え始める余裕が出てきた。 何のためにここまでやってきたのだ? 天幕が無くてもトムラウシ山迄の行程に避難小屋が二箇所ある。 早く着きさえすれば自分の寝るスペースは確保できる。 行こう! 翌日六時前に小屋を出て三度目の旭岳頂上を踏んだ。 やはりこの日もあいにくの雨でカムイミンタラの全容は望めなかった。 勿論、我が天幕の居場所ですら。 今日は、気持ちに余裕が出たのか?落ち着いたのか? 雪渓脇の花々を見る余裕が出来た。 トウヤクリンドウに似たクモイリンドウが咲いていた。 間宮岳を過ぎる頃には雨も止み、憧れのカムイミンタラが広がっていた。 そこは登山道、稜線と言うよりも、広々とした草原のようであった。 熊鈴の音と共に時折笛の音が風に乗り聞こえてきた。 北海岳頂上では若い学生達一〇人位がお弁当を美味しそうに食べていた。 ここ四、五年、山に若者が帰ってきた。キバナシャクナゲの咲く向こうの雪渓に小屋程の岩が幾つも転がりヒグマがここに確かにいてもおかしくないくらいの景色が広がっていた。 大正四年冬、天塩山麓で。たった二日の間に開拓民六人がヒグマに襲われた事件が頭をよぎった。 「まず最初に声を上げたのはミヨケの妻だった。窓を打ち破り、炉端に侵入した熊は、息子二人を庇う妻の背中を襲う。 その後、それをそれを見て悲鳴を上げた夫に猛然と襲いかかりその腕の肉をそぐと、ふたたび息子たちに襲いかかる。息子二人をその恐ろしい爪で即死させ、一人に重症の傷を負わせると、ヒグマはもう一人の獲物を発見する。 それは臨月の妊婦であった。 女の味を知ったウェンカムイ(死神)が、これを見逃す術はなかった。 「腹だけは破らんでくれ!」 そう絶叫する妊婦に噛み付くと、胎児を引きずり出し、上半身からむさぼった。 更にヒグマは撲殺した息子たちもぺろりと食らうと、その場を去っていった。 吉村 昭 (羆嵐) より そういえば、今回の登山の件で、もしヒグマに襲われたら骨までかじってもらい跡形も無いようしてもらいなさい。と言われてきた。 見たいけど?怖いし?今夜泊まる小屋が見えてきた。 小屋の手前の沢で水を汲む。 大雪山系一体の水場は必ずエキノコクスと言うキタキツネからの寄生虫の為、煮沸してからでないと飲めない。 そして昼頃に白雲岳非難小屋にたどり着いた。 また雨が降ってきた。 寝るまでに余りある時間を小屋で過ごし、まだ濡れているダウン・シュラフに入り、明日から先の事を考えていた。 そうだ!天幕は飛ばされたが、フライシートとグランドシート、そしてペグ(テントの裾を留める金具)は残った。 細引き(細いロープ)もスペアーがある。 ストックを柱に避難用ツェルトになるではないか? 明日、ひさご池に着いたら、試し張りをしてみよう? 上手く出来たら当初の計画通り富良野岳は無理にしても十勝岳までなら行ける。 段々に落ち込んでいた心に生気が甦って来るのを感じていた。 明日天気にな~れ! 朝、コッヘルに湯を沸かし、餅とラーメンを入れ朝食にし、六時少し前に出発した。 目指すは今日の目的地、ヒサゴ沼避難小屋である。 ヒサゴ沼避難小屋といえば四年前の七月の後半、八人の遭難者を出した事故を思い出す人も多いはずである。 それまで雨にさんざん打たれ、服の乾かないまま、強硬に雨足の強い中、トムラウシ温泉へと向かい、次々に低体温症に陥り倒れていったあの事故である。 意味不明の奇声をあげ、行動不能になったのだ。 この日はわりと穏やかな日で晴れたり曇ったり小雨が降ったりとごく普通の登山日和だった。 登山道脇には縹渺たる花畑、エゾノツガザクラ、イワギキョウ、アオノツガザクラ、ミヤマリンドウ、エゾコザクラ、可憐な花が見渡す限り咲き乱れモザイク模様を織りなしていた。 それはまるで巨大な絨毯を大地に広げたようだった。 忠別岳から五色岳手前のハイマツ帯の上りを喘ぎながら登ると頂上に出た。 丁度雲が切れ、明日登る予定のトムラウシ山が見渡せた。 あまりに気持ちの良い光が差していたので、重いザックを下ろし行動食を口にしていたら、陽の光に誘われたのか、足元をエゾシマリスが通り過ぎていった。 しばらくハイマツ帯を掻き分けるようにゆくと木道に出た。 木道脇には、ニッコウキスゲに似たエゾセンテイカが咲いていた。 化雲岳を右に見てヒサゴ沼避難小屋に着いたのが三時頃だった。 早速荷物の中からフライシートとペグを取り出し天場に行き、張れるかどうか試してみた。 思ったより確り立ち上がった。 風は幾分強いが負けてはいなかった。 その時に、旭川空港で出会った単独行の若者が目の前に現れた。 初日に白雲まで行くと言っていたので、既に此処を発ち十勝岳に向かっていたと思っていたのに? 彼は十勝岳行くことを止め、ここに二日間停滞して天人峡温泉へ明日下山とのこと、 私もこの天幕がうまく立ち上がらないときは、彼の行動と全く同じルートでの下山予定をしていた。 このルートの方が空港に行くには利便が良いのだ。 でも今は十勝岳へのトレールを見たく気持ちが昂ぶっていた。 私、若者に向かい「ここで挫折したらブログで、いいね!や拍手をいっぱいもらえないよ、行きなよ!」 「素晴らしいテントだね。二人用?」若者「いえ、一人用です。」 私「でも二人が前後になれば寝れそうだね?」 若者「おじさん、何考えているんですか?」二人笑いあった。 私「いや、別に、一緒に十勝岳まで行ければ心強いし!」 若者「僕には明日下山するしか日にちがありません」 私「ああ!残念だね」 翌朝、彼に別れの挨拶をして一路トムラウシ山への雪渓を登った。 大きな岩の折り重なったロックガーデンを抜けトムラウシ山の登り この辺からがトムラウシ遭難事件の始まりであった。 一時間半か、遅くとも二時間も下れば小屋に引き返せたのに、なぜ? そう思いながら岩場をトムラウシ山へ向かう。 途中、朝一緒に雪渓を登った室蘭から来た若者が頂上を踏み引き返してきた。 そして頂上に辿り着いたのが十時を少し回っていた。 もう少し空の様子を見よう今日も雨模様のはっきりしない天気だ。 もし十勝岳、トムラウシ温泉の分岐まで行き、天気が良くならないようだったら下山しよう。・ 結局トムラウシ分岐まで下っても天気は変わらず、トムラウシ温泉へと下山した。 一時間も歩いただろうか? 見上げると、ハイマツの稜線の上、空は真っ青に晴れ渡り真綿の様な夏の雲が白く光っていた。 今回の山行はなんとついてない事か!恨めしそうに空を仰ぎ、しばらく立ちすくんでいた。 前トム平では前日ヒグマが目撃されたという情報が後で分かった。 骨まで齧られなくてよかった~。 田んぼのような登山道に足を取られながら長い下山道を下り終え温泉にたどり着いたのが五時半であった。そう十二時間もこれといった休憩も取らずに歩いてきたのだった。予定よりずーと時間がかかったのは心が疲れていたんだろうか? そして今年の夏休みは、初めての遭難での避難小屋使用、目的半ばでの挫折。 憧れの大雪山縦走は終わった。  山のあなたの空遠く (幸)住むと人のいふ。 ああ、われひとと尋ねゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ。 山のあなたになほ遠く (幸)住むと人のいふ。 カール・ブッセの詩から 二〇一三、盛夏 つとむ

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