硫黄尾根 冬季 単独登攀

2018.03.25(日) 5 DAYS

活動データ

タイム

53:23

距離

50.1km

のぼり

4038m

くだり

3898m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 15
休憩時間
4
距離
21.7 km
のぼり / くだり
1530 / 795 m
39
1 32
1 54
2 41
DAY 2
合計時間
12 時間 6
休憩時間
0
距離
4.5 km
のぼり / くだり
975 / 262 m
DAY 3
合計時間
10 時間 6
休憩時間
1 時間 29
距離
3.4 km
のぼり / くだり
401 / 450 m
DAY 4
合計時間
9 時間 58
休憩時間
0
距離
3.4 km
のぼり / くだり
541 / 240 m
DAY 5
合計時間
10 時間 56
休憩時間
4
距離
17.0 km
のぼり / くだり
585 / 2146 m

活動詳細

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硫黄尾根~西鎌尾根(ソロ) 山岳冒険倶楽部 星と焚火 IK(58歳/M) 2018年3月25日~29日(5日間) 【きっかけ】硫黄尾根は登山学校の教え子であり、現在は登山仲間でもあるピナクル山の会のTA君と想山会のTU君ペアが2014年に登ったことをきっかけに興味がわいてきた。いつも僕の背中を追いかけてきた彼らが僕に追いつき、超えていく。嬉しさと少しの寂しさが交錯する。槍ヶ岳と言えば北鎌尾根が有名で、ある種ヤマ屋の目標とされているけれど、その傍らで赤く荒々しい出で立ちで「そんなメジャーな尾根より僕を登ってごらん」と挑発してくるのが硫黄尾根だ。北鎌尾根より長大で、ルートの複雑さとエスケープも難しいことから槍ヶ岳へのルートでは最も難しい尾根とされている。 僕はとても慎重で、硫黄尾根には、まず妻とゴールデンウィークに登り、昨年の正月にも夫婦で冬季に挑戦した。その帰路、次はソロで挑戦したく密かに計画を育んできた。今年の正月は県連の冬山交流登山の話もあったが、いろんな人との調整がめんどうになり、昨年6月にソロでの硫黄尾根行きを決意し、妻にうちあけた。最近は年齢による体の衰えを実感することが多く、今年正月、僕の登山の総仕上げ的な気持ちでトライしたが時間切れで敗退してしまった。2月中にリベンジ山行を計画したかったが、家庭や仕事の都合で今回の3月にまでずれ込んでしまった。 【トレーニング】計画を決めてから月100㎞のランニングを目標にトレーニングに励んだ。10月までは流行りの糖質制限で体重も落としたが筋肉にはすこぶる悪い影響を与えることを実感した。会員で医者のNさんのアドバイスで、朝食にどんぶり飯と卵2個、鶏やソーセージで糖質とタンパク質をしっかりとった。さらに25㎏の荷を担ぎ45㎝踏み台昇降も取り入れてトレーニングを行った。太ももと尻にはみるみる筋肉がついて、ボッチラッセルの自信もついた。春に農作業中悪くした膝の調子も回復した。 【計画】タイトなスケジュールでは近年ますます悪化する天候不順は乗り越えられない。今回は9日分の燃料と7日分の通常食+2日分の非常食を担いだ。10月からふだんの山行に食事サンプルを取り入れ、エネルギーは足りるか・空腹感は満たせるかなどをテストしながら体を慣らした。最終的に朝・昼チョコとクッキーで400Kcalずつ、夜ラーメンとナッツで500Kcal、1日1300Kcalで食糧計画を立てた。体重は1日500gづつ減って、10日間で5㎏以上減る計算だが、正月は7日間で3㎏ほど減っていた。ただ行動中に空腹で動けなることはなかった。2日目まではクッキーとラーメンではさみしい思いもあったが、それ以降は慣れてしまった。テントは1畳ほどのヘリテイジ「クロスオーバードーム」、わずか700gだ。テントといっても細いフレームの入るツエルトと思った方がいい。それに#7のシュラフにユニクロのダウン。ロープはダイニーマ6㎜x50mと2.8㎜ダイニーマスリング。グラム単位で軽量化した結果、ウェアやブーツなど身に着けるものを除いて、ザックは55L-17kg未満にまとめることができた。冬になってから毎日30㎏ⅹ45㎝の踏み台昇降に負荷を増やしていたので、ハイキング装備と同じ感覚で担げた。 【DAY1】 快晴 -2~18℃ 0~10m/s 10時間 8:00葛温泉ゲート~9:56○下高瀬ダム○上10:22~11:37林道終点(ここまで除雪)~12:31名無小屋~15:14湯俣~16:05尾根取り付き~16:53尾根(1550m)~17:58泊地(1680m)~18:30テント入り~21:30就寝 さあリベンジの始まりだ!  3/21春分の日、東京では季節外れの雪が降り御殿場で積雪20㎝を記録した。ここ七倉では新雪が20㎝。この雪が今回の山行のポイントとなった。除雪後の道路はその後の晴天で乾いている。林道終点まで、雪はなく順調に進む。 高瀬ダム下で3人パーティと会う。幕岩の登攀に来たそうだが、ぐずぐずの雪と雪崩のリスクが高く撤退してきたそうだ。一人で硫黄尾根に行くというと奇異の目で見られ、とにかく雪崩には気を付けてと温かいアドバイスを受けた。 林道終点から積雪60㎝。根雪40㎝+新雪20㎝。いきなりモナカ雪が始まる。50mほど歩いてワカンをつけた。沈みにくくはなるが一度踏み抜くと雪が重たく引き抜くのに、余計疲れてしまい、先が思いやられる。名無小屋を過ぎて雪の状態はさらに悪く、ワカンを脱ぎ河原に降りて飛び石伝いに先に進んだ。 前回は尾根のとりつきを間違えたが、今回は上手くいった。雪質のせいで、平坦地よりも傾斜があったほうが気分的に楽に思えた。尾根に上がり込んでもやはりモナカ雪。三歩進んでズボり又三歩進んでズボり。こんな感じが延々と続く。1700m弱で力尽きた。テン場を整地する。 ラジオがよく入る。天気はあと1週間ほど崩れる心配はなさそうだ。今まで、いろんなラッセルを経験してきたし、少々自信もある。しかし、今回の雪は本当に体力を使う。ズボっても膝上まで位なのだが、新雪の腰までのラッセルのほうが間違いなく楽だ。明日は朝早くから行動し、朝の雪が締まってる時間を有効に使いたく、3時起き5時発と決めた。移動の疲れもあり酒も飲まずに眠りに入った。 【DAY2】 快晴 -8~18℃ 0~15m/s 11時間 5:05起床~6:54発~10:19硫黄岳前衛峰群P1~11:17 P3(ラッペル)11:59~14:08 P2246m~14:41小次郎のコル~17:47硫黄岳下ジャンクション2400m~18:40テント入り~21:00就寝 2時に一度目が覚め、あとちょっと寝れると思いきや起きたのは5時。大失敗。急いで水を作りクッキーを1パック(100Kcal)食う。焦ってパッキングも適当にやったせいで、取り出したいものがなかなか見つからないとか、あまり水を飲まなかったせいで、一日中のどが渇き力も出なかった。 テントを出ると北鎌が真正面に広がる。今日もまた独りぼっちの登山が始まる。独りぼっちというのは、勿論ソロ登山のことでもあるが、近くのエリアには誰も人はいないということ。トレースの痕跡でも見つけられるかなと昨日は期待したが、この時期に三俣蓮華周辺をスキーで楽しむ人間はいるが、尾根登りを楽しむアホはまずいないようだ。 陽光が差す前の締まった雪を期待したが、昨日と殆ど変わらなかった。3~5歩でズボり、体勢を崩す。ここから立て直すのに大きなエネルギーを必要とする。新雪のコンスタントなラッセルのほうがずっと楽なのだ。時間だけが進んでいく。 硫黄岳前衛峰群P3で、今回初めてロープを出す。ソロなので、落ちることは許されないから、落ちない前提で、ダイニーマ6㎜x50mを準備した。クライミングとしては誤った使い方だが、濡れないし軽い!ただ欠点はキンクしやすいこと。時間をかけ、きちんと整理をしないと逆に時間ばかり食う。 そもそもダイナミックロープはパーティでの登攀が前提なので、今回の山行ではあまり意味はない。 P3の残置支点はすぐにわかった。この調子だと他の残置支点の発見もさほど難しくはないだろう。ここは2回に分けてのラッペルが基本で途中残置支点もあったが、一気に下ってみた。なるほど5mほどクライムダウンしなければならなかったが、問題なかったし、回収もすんなりできた。ただ、気温上昇で(たぶん20℃位になっていたと思う)雪が解け水がシャワーみたいに落ちていて、ロープ伝いに袖口から水が浸入してパンツまで濡れてしまった。 硫黄岳前衛峰群も体力のいるラッセルが続いた。最後の前衛峰P6は急な雪壁の登攀となる。吹き溜まりが多く、そんなところではクラストした表面を突き破り、その下にぐずぐずの雪があり、そして固い根雪の層になる。雪の浮力で体が浮いて、根雪にはクランポンが効かない。1歩で10㎝しか進まない。 硫黄岳は森林限界を超えており、11時を過ぎるといたるところで表層雪崩が起こり出した。特に南面や南東面で小さなデブリが多い。根雪部分ではなだれ尽くし、3日前に降った新雪が流れているのだ。大きな音を立てて流れる全層雪崩やブロック雪崩と違い「さーっ」と静かに流れていく。起点は幅10~30mの馬蹄形ではじめは速く、5秒くらいして下のほうでしわを寄せながらたまっていく。今回10回ほど見たがすべてがそうであった。だから最上部に乗っている分には、たぶんダメージは受けないんじゃないかなとも思った。 P6の先に小次郎のコルがあるが、下りは急峻でコルが見えない。何回も木の周りのシュルンドに落ち体力を消耗する。小次郎のコルはモミの大木の森で、何かほっとする。ここで泊まれば快適だが、まだ15時前なのでもう少し頑張る。 硫黄岳の登りは急峻な雪のリッジだ。以前ゴールデンウィークに来た時、後続のパーティが滑落し、ヘリでピックアップされたところなので、手ごわいイメージがあったがそれほどでもなかった。ただ昼を過ぎ、異常な高温で雪は最悪の状態だ。独りぼっちのダブルラッセルを行う。こっちのほうが時間はかかるがかなり楽になった。日が沈んだころ頂上下のジャンクションにやっとついた。雪庇が発達し、平らなところは雪庇の上なので、やむなく斜面を切ってテン場を作ったが、かなり傾斜が残ってしまった。滑落防止にアンカーからロープを引き体とテントを固定した。 夜は急激に冷え、テント内が結露で霜だらけになる。今回はテントといってもヘリテイジのクロスオーバードーム。基本ポール付きのツエルトなので通気性はほとんどない。収納すれば2~3人用ツエルトより小さくなる。ツエルト設営のための支柱代わりのストックなどの重さを考えると、こちらの方が軽い。フレーム付きの自立型なので、素早く設営でき居住性も素晴らしい。弱点はすこぶる風に弱いこと。強風下では半雪洞内に設営しなければならない。寒くて頭をスリーピングバックの中に突っ込んで寝てしまったので、テントウォールにできた霜と、自分の息のせいで寝袋はぐっしょり濡れてしまった。 【DAY3】 快晴 -12~18℃ 0~15m/s 8時間 4:55起床~6:55発~8:15硫黄岳~8:50硫黄台地2511P~9:03雷鳥ルンゼへの懸垂下降点~(ラッペル)~9:40雷鳥ルンゼ懸垂下降点~(ラッペル)~(クライムダウン)~(トラバース)~11:02尾根~12:12南峰2459P~13:31赤岳前衛峰群P1・P2の巻き14:15~P2~15:10P3とP4のコル(泊)~16:04テント入り~21:00就寝 さあいよいよ今日は硫黄岳を抜けて赤岳前衛峰群に足を踏み入れることとなる。今日進めば、もう引き返すより登り切ったほうが安全な選択肢となる。前回ソロで挑戦したときは、天候による停滞と残りの燃料を考え、ここまでで時間切れで引返した。そのときは下山後して数日間強い冬型が戻り、その選択は正解だった。 今回は、まだ停滞もないし今後3日間は晴天がほぼ確実に続く見通しだ。燃料も食料もそして気力も十分ある。唯一気がかりなのは、昼間の異常な気温上昇だ。南面の風の当たらないところではたぶん20℃を超えていると思われる。こうなると雪崩が心配である。全層雪崩やブロック雪崩の雷のような大きな音は、まだ聴いていない。多分もうなだれ尽くしているはずだ。あと問題は、3/21に降って積もっている10~30㎝程の表層の雪だ。昨日も硫黄岳前衛峰群で、小規模であるが典型的な表層雪崩の跡が数か所あった。リスクはあるが尾根通しに進んでいる分には大丈夫だろう。たぶん。ただ、どうしても巻かなければならないところも出てくるはずだが、その時どういった行動ができるかだ。時間にはまだ余裕がある。いざとなったら夜間や明け方の行動も可能だ。今回の好天のチャンスを逃したくない。何としても今回で決めたい。リスキーだが時間をかけて行動すれば、僕ならやれる。よし行くぞ! 寒くてよく眠れず1時間おきくらいにおきるのだが、寝入ってしまうと1時間は起きない。毎日このパターンで寝坊してしまう。今日こそは早く起きて、雪が締まっているうちに行動と思ってはいるが、まだ1度も成功していない。昨日と同じく、いきなりズボりだす。すぐにザックを捨て、ダブルラッセルからのスタート。 硫黄岳頂上到着。硫黄台地が穏やかに赤岳主峰へと延びる。ハイマツはすべて根雪の下にあるみたいだ。正月に来たときはハイマツ地獄だったのに。標高が高くなり少しは歩きやすくなったが、10~20mほどは締まっており、すぐにまた同じくらいズボりだす。この繰り返しだ。 硫黄台地末端から雷鳥ルンゼへは急な斜面をまず50m降りるが、失敗するとそのまま雷鳥ルンゼへと突っ込んでしまうので、ここは慎重に白樺の木を支点に25mいっぱい懸垂した。それから20mほどクライムダウンするとルンゼ入り口にA4サイズの黒くさび付いたプレートが岩肌に埋め込んである。そこからさらに20mほど下り、最後の白樺の木を支点に懸垂の準備をする。 雷鳥ルンゼの懸垂はクライムダウンもできそうだが、先が見通せずリスクが大きいので、懸垂のほうが正解だ。25mいっぱい降りると、幅1m程のボトルネック状に狭くなったところでロープの末端になった? 残置支点は無く、ピンを打てるようなリスもない。仕方ないので、クライムダウンする。はじめの3mは泥壁状をダブルアックスで慎重に降りる。ボトルネックを抜けたら右岸の壁際を壁のホールドで3m。のちは雪が出てきて雪壁を左岸方向に雷鳥ルンゼを横切る。 側壁基部をぐるっと100m程トラバースすると主稜線に戻れた。岩塔2個を慎重に越えると硫黄台地~南峰間のやや広いコルに出て安心できる。 南峰の登りは雪壁に見えるが10㎝ほどの雪がかぶり表面のクラストの下はぐずぐずの雪だ。新雪のように雪を払いのけ岩を探りながら登ることができない。ピックを何度も、場所を変え突き刺し、岩角に引っかかるところを探して上った。ここの登りに限らず、北側の立った壁はだいたいこんな感じで難しかった。 南峰から赤岳前衛峰群が眼下に見下ろせる。P1はここからは見えず、P2は湯俣側を巻けそうだ。P3は巻きは困難で、直登になる。その先のP4は傾斜の強い壁が見え手ごわそうだ。 南峰の南面は雪が解け、傾斜の強いガラガラだ。雪解けを何度か繰り返して岩はとても不安定だ。冷蔵庫くらいの大きさの岩もぐらつき、だましだまし下降する。P1とのコルに降り立ち、P1とP2は湯俣側を巻き降りた。南峰からはルートラインをイメージできたが、実際踏み込むと、どのあたりからコルに上がり込むのかがつかめず、下り過ぎて崖にぶち当たったので、もう一度登り返す。急なルンゼをP2~P3とのコルに登りあがり、そのままP3の雪壁からリッジに取り付き頂上に抜ける。P3には背は低いがモミの木が生え少しホッとする。 目の前にP4~P8(2416m)そして、中山沢のコルが見える。P4は急な雪壁の登攀になりそうだ。その先は岩を縫うように雪壁を繋げばP8までなんとか行けそうなラインが見える。もう15時近い。テント場を探しながら進む。P3~P4のコルはリッジ上だが岩と岩の間に半雪洞を掘り、テント1張り分のスペースが確保できた。両端切れているのでフィックスロープを張り、体とテントを固定。15時着16時テント設営完了。まだ十分明るいので、フィックスに湿った寝袋やダウンジャケットをかけ乾かす。 お湯を沸かしてコーヒー片手に夕日に染まる北鎌や槍を堪能できた。「ああ、幸せだ!」と言いたいところだが、そんなに僕は強くない。独りぼっちで硫黄尾根のど真ん中にいると思うと、落ちていく夕日とともに、孤独と明日の核心部に潰れそうになる。1日中、アドレナリン出っぱなしの極度の緊張の連続で、気が緩むと一気に疲れが出てきた。夜中、目の前のP4の壁が何度も頭に浮かび、 あまり眠れなかった。 【DAY4】  快晴 -10~18℃ 0~15m/s 9時間 泊地6:30~7:30 P4懸垂8:08~8:41 P7直下雪崩発生8:45~10:02赤岳主峰群P2東尾根の肩~13:23白樺台地~15:35西鎌尾根直下2640m もう進むしかない朝を迎えた。朝風が強くテントがつぶれそうになる。急いで支度を済ませ、ポールを抜く。いきなりP4の登りとなる。急なモナカ雪の雪壁というか、卵の殻のような雪面にピックを突き刺しながら引っ掛かりを探して登っていく。取り付けばもう必死で、怖がっている暇はない。 頂上に着くと南側に残置支点が容易に発見できた。ただ湯俣側と千丈側の2方向にスリングは流れており、千丈側に残置カラビナがかかっていた。あまり気にせず千丈側にロープを投げる。ゆっくり次の支点を探しながら懸垂するも、ロープの末端まで支点は無かった。マズイ、だまされた。下は切れ落ちて見えず、上は途中被っている。ユマーリングで戻る手もあるが、湯俣側に伸びるジェードル状のルンゼがあったので、そのルンゼを登り返すことにする。4級程度の壁だが、途中被っていて仕方なくザックを置いて空身で登る。カムを噛ませて前進すると、湯俣側に出て、何とか下れそうな雪壁が落ちている。ザックを回収し5mほどクライムダウンすると、次の残置支点があった。あのカラビナは何だったんだろう。 懸垂後、穏やかなコルに出てひとまずほっとする。P7・P8(2416m)の地理院地図上の双耳峰をたたえた「赤岳」が正面に見える。鋭く尖ったピークに向け、南面に急な広い雪壁が朝日に輝いて伸びている。ラインはあれで決まりだ。 下部の岩を巻きながら雪壁に取り付いてすぐ、体が浮く感じを受け、目の前の雪面に亀裂が入っていった。雪崩?滑落? 両方のアックスが刺さったまま、雪面ごとダブルアックスの態勢で、そのまま下へスライドしていった。腕が伸び切って滑落停止の体勢に入ろうにも入れなかった。そのうちいったん止まりかけ、また滑り出した。この時、滑落停止体勢に入ることができ、ピックが根雪のクラスト面を引掻きながら、雪崩本体と体が離れ、それでも少し滑りそのうち止まった。 厚さ10㎝程の典型的な表層雪崩であった。どこで起きても不思議でない気象状況だったが、まさかここではと思ってもみなかったので、まったくの不意打ちだった。結局、体が止まったのは50m程滑落した後の、雪崩本体が自然に止まった最上部の雪の堆積のところだった。時間にして1~2分の出来事だと思う。雪崩の規模は、幅が10m弱で、デブリは上端から末端まで30mほど。 よく周りを見回すと、この規模の雪崩がいたるところで起きていて、デブリが数えきれないほどある。この気象状況でも大丈夫と判断し、突っ込んだ自分が未熟だった。リベンジだからやったと思う。ソロだからやったと思う。パーティとしては絶対行かない自分が居ると思う。いろんな思いが冷静な判断をかき乱してしまった。まあ仕方ない。いい経験をしたと思い、下山するまでこの教訓を生かそう。 すぐに大きな岩塔の下まで移動し、体を確かめる。大きなダメージはないが、急に力が入ったせいか、右足の大腿四頭筋中央部と右肩が痛い。足は軽い肉離れを起こしたようだが、痛みだけで行動に大きな支障はないようだ。滑落したにもかかわらず全く動揺しなかった。「やれやれ」といった感じだ。たぶん行動中は常時極度に緊張しているので、止まって、むしろ緊張の糸が切れたようだ。 岩陰でクッキーを食い、水とロキソニンを飲んで、休みながらどうしようかと思案する。雪崩の後を登り返すか? しかし雪崩上部に残った雪壁にまた取り付かなければならない。めちゃくちゃ不安定そうに見えた。岩塔を回り込み80m登りあがると、中山沢のコルだ。しかし中段がまた傾斜が強く、雪崩れそう。あそこが雪崩たら規模も大きく、今度は助からないかもしれない。少し傾斜の緩んでいるこの標高を保ちながら、中山沢を一気にトラバースし、向かい側に見える岩塔の下を回り込み、次のピークから東に延びる大きな尾根に乗っかることにした。 急いで中山沢を横切ろうとするが、ズボズボでスピードは上がらない。むしろ慎重にゆっくりと進むことにした。右太ももが痛いがしょうがない。無事60m程先の対岸の小さな岩塔下まで渡れた。すぐまた先はP8の基部岸壁群があり、それを繋ぐように雪壁を登っていった。1時間半かけて赤岳主峰群Ⅰ峰の東に延びる大きな尾根の肩に登りあがった。凛として天を突く槍が目の前に見えた。助かった! さっきはヤバかったなあという感覚が初めて出てきた。大きなため息をつく。 考えようによっては時間のかかるP5~P8、さらに中山沢のコルを通り越して、主峰群Ⅰ峰直下までいっきにたどり着いたことになる。前向きに考えよう。さてここからどうするか。Ⅰ峰までは顕著な岩尾根が伸びているが、南側が雪壁で難しいところは雪壁に移って登れそうだ。何度か小さなシュルンドにはまりながら頂上直下まで達し、あとは緩い雪斜面をトラバースしてⅡ峰とのコルに達した。雪庇の発達したやせ尾根の向こうに白樺平が見え、その先に西鎌尾根が樅沢岳と槍を繋いでいる。 ところどころ岩の出た痩せた雪尾根を慎重に進む。こんなところはコンテで進めれば、ロープはどこかに引っ掛かり、気が楽なのであるが、ソロではそうはいかない。失敗したら湯俣側も千丈側も岩壁だ。最後、急な雪壁を登り問題なく赤岳主峰に到着。あとⅣ峰Ⅴ峰を越えれば、安全地帯の白樺平に抜ける。 Ⅳ~Ⅴ峰間は左右互い違いに雪庇の出る、鋭くとがった痩せ尾根だ。安全地帯直前の最後の難関といった感じ。雪庇をよけて、右に左に尾根を移りながら慎重に進む。アックスを突き刺し引き抜くと、その穴から反対側の斜面が見える。足元のすぐ下には、雪崩れた後の亀裂が走っている。雪稜のエッジを胸で抱きかかえるようにして、モナカ雪の殻を足で蹴破り、その下の根雪の堅い雪面にクランポンの前歯を突き刺す。効いたら次の動作の繰り返し。心臓が心と筋肉の緊張から張り裂けそうになる。何度も深呼吸をしながら、同じ動作を繰り返しながらじわじわと進む。グローブの中が汗でぐちょぐちょになっていくのがわかる。1時間ほどかけてナイフリッジを通過した。あとは緩い斜面を少し上がると白樺平が待っている。 緊張の後、一気に疲れが出てきた。太ももが痛いのを思い出した。息だけが上がって全然前に進まない。何度も休みながらやっと白樺平到着。立派な白樺の木までよれよれで歩き、倒れこむように大休止を取った。緊張から解放され、頭の中が空っぽになり目頭が熱くなった。 のどがカラカラで、ボトルの水を一気に飲み干した。腐った雪をボトルに詰め、ザックの雨蓋に入れる。1時間ほどで水になる。まだ13時半。西鎌まで上がろう。ボチボチ歩き出す。何度も何度もズボりながら、急な斜面を登る。時々雪に隠れたハイマツの落とし穴にはまると、涙が出てくる。誰もいないので、「クソ~っ!」と大声で叫びながら、ザックを外し這い上がる。2時間ほど頑張った。小さなピークを越えると、目の前に西鎌の真っ白い尾根が左右に広がった。今日はここまで。風が強いので西鎌までは上がらずここでキャンプにした。 風を遮るものはないし、半雪洞も掘れる状況ではなかったので、クロスオーバードームが壊れないよう、四隅に丁寧にアンカーを埋め、しっかりと張り縄を張った。いつもの事だが、天気がいいとき風は日没と夜明け前後が一番強い。テントに入ると細いフレームが折れそうになる。折れるなら折れろ。もうどうでもいい。いざとなったら西鎌の雪庇の下に雪洞を掘る。なんて考えながらこの山行の出口が見えたのでラーメン2個食い19時に眠りについた。 【DAY5】  快晴のち曇り -6~20℃ 0~18m/s 11時間 3:58泊地~5:22西鎌尾根~5:42左俣岳~8:19千丈沢乗越~10:02槍平小屋~12:42白出小屋~15:53穂高平小屋~15:03新穂高 2時半に起き4時前に出発。雪崩が怖いので、できるだけ安全な時間帯を確保しようと思う。しかし結局1日中行動するので、危険な時間も行動日数分はあるのだが…。出発して100m程で突然体が宙に浮いた。ドスン! また雪崩?と思いきや今度は少し違う。体は動いていない。クレパス状の穴に落ちたみたいだ。着地した際、岩角で右膝をしこたま打った。昨日の雪崩の際の肉離れといい、今日のこれといいなんで右ばっかり…。しばらく痛みでうめいていた。 落ち着いて恐る恐る右足を確かめると、裂傷で出血はあるものの、壊れてはいないようだ。少し安心する。さて何が起こったのか?どうやら雪で隠れた雪庇の割れ目に落ちたようだ。暗いうちから行動し、ヘッデンの光だったので、よく見えなかった。壺状の空間で地表には手が届かない。上まで3m程あるようだ。ザックを下ろしロープを出してザックに結ぶ。空身のダブルアックスで雪壁を登る。ザックを回収し抜け出した。外はもう白んでいて1時間ほどロスした。上に出て少し登ると横穴が見えた。巨大な雪庇が折れ、その上にまた雪庇ができ、それを踏み抜いたようだ。上からは全く分からなかった。 10分弱で西鎌に乗った。槍が青紫の白んだ空を背景にとてもきれいだ。風が強く、鼻水が横にぶっ飛んでいく。空は白み地形も確認できてきた。ヘッデンを消して、目を凝らしながら、さっきの轍を踏まないように慎重に進む。1時間ほどで左俣岳到着。もうすぐ夜明けだ。夏道が出ているところもある。モナカ雪と締まった雪と凍った土とが入れ替わりに現れる。 主に飛騨側を進むが、クラストした雪壁や、時には氷が現れ緊張する。ここまで来て滑落してはシャレにならない。ゆっくり時間をかけ、慎重に慎重に進む。4時間ほどかけて、やっと千丈沢乗越に到着。さて、硫黄尾根の課題は終了した! 槍まで行くかどうするか。家族の事や仕事のことが急に頭に浮かび、槍へと続く西鎌の急な登りが、果てしなく長く思えてきた。槍は何度もきたし、いつでも来れる。山行に華を添える槍のトッピングはないが、目的は達成した! もうここまででいいだろう。 飛騨沢では、今回初めてクランポンの歯がきしんだ。いくつかトレースも確認できる。この山行で、初めて人のにおいを感じた。テンポよく足が進む。急斜面が終わり、対岸へ移った後は一気にシリセードで滑り降りた。楽だあ~。ケツが濡れてもかまわない。そのうち乾く。傾斜が緩くなるとまた壺足が始まる。槍平小屋到着。朝飯を食べる。朝飯といってもチョコバーだ。5日間続いたチョコバーとクッキーとラーメンだけの生活が終わりかと思うと、無性に白い飯とトンカツがほしくなった。あとは右俣谷の水があるので、サーモスのお湯をふんだんに使い、インスタントコーヒーを溶かしゆっくり味わう。 時々股まではまるが、立派なトレースが助けてくれる。南沢・滝谷・チビ谷・…どこも大きな雪崩でデブリが行く手をふさぐ。緊張しながら急いでデブリを超え、ホッとするの連続。ブドウ谷からは雪崩を避け、本流の沢芯まで降りる。スキーのトレースをたどっていたら白出沢末端近くまで降りてしまった。高度差100m近く登り返す羽目になった。後半に入って、ここで初めてワカンをつける。白出沢を越え、雪のない林道を期待したが見事に外れた。5~6歩あるいては膝までズボりの繰り返し。結局駐車場のすぐ上までワカンをつけて歩いた。 腐った雪の浸水とズボりで、ブーツの中はぐしょぐしょになり、足の感覚が無くなったころバスターミナル到着。たぶんジャンダルムや西穂に登ったのであろうロープウェイから降りてきた満足げな顔をした登山者とともに、荷物を整理し身支度を整え1時間ほどで高山行きのバスに乗れた。 アスリートには必ず引退の時が来る。多くのスポーツでは、それは自らのパフォーマンスのピークを感じた時だろう。では、登山ではどうなのか? フィジカルなパフォーマンスは落ちていくが、登山では重要な要素である「経験」は年とともに上がっていく。自分は今回、これ以上アルパインクライミングを続けることで、経験値によって、伸び悩むファイジカルのパフォーマンスを補える限界に近いことを認めなければならないと感じた。パーティを組み、お互いに命を預けあう登山においてはなおの事、「潮時」というものは厳格に認めなければならない。 【追記 「ココヘリ」の有用性】 この4月からココヘリの労山限定モデルの運用が始まった。僕は以前から加入していたのだが、労山会員にとってはとても朗報だ。1日わずか10円のコストで、ヘリからの捜索が可能な超小型ビーコンを身に着けることができる。計画書内の山域ならば、ヘリでの捜索が始まって発見までは、1時間を超えることはまずないだろう。 僕が、ココヘリのどこに魅力を感じているかというと、携帯や無線機の通じない山域において(硫黄尾根はまさにそんなエリア)タイムリミットを過ぎれば、自動的に探しに来てくれるということだ。ココヘリ依頼のリミットにプラス1~2日分の燃料を残す計画を立てていれば、命を落とすことはない。今回僕が提出した登山計画は下記の通りだ。 3/25入山⇒5日間の実行動+2日の予備日(7日分の食料+9日分の燃料)⇒下山予定3/31(3/31正午に連絡がないときは救助体制を整えつつココヘリに連絡との旨を付記) 連絡の取れないエリアでアキシデントが起きた場合、今までは、どうにかして連絡が取れる場所まで移動するか、いつ見つけてもらえるか当てのない救助を待つしか、すべはなかった。しかしココヘリがあると例えばこうだ。 滑落して足を骨折して動けないが命に別状はない。とりあえず安全な場所までなんとか移動しビバーク体制をとる。ココヘリを近くの木の高い位置につるす。あとは計画通り食料燃料は十分あるので下山予定日が来るまで慌てずに待てばいい。ココヘリが必ず見つけてくれるはずだ。 つまりきちんとした計画書とその通りの装備、そして頼れる会組織があれば、ほぼ確実に救助に来てくれるということだ。これこそ労山組織の本質ではなかろうか。今回、雪崩による滑落やシュルンドへの落下など、ココヘリ出動一歩手前のインシデントを経験したが、ゆっくり待てば何とかなるという安心感があったからこそ、冷静な行動ができたと思う。道迷いや転滑落、病気怪我などによる行動不能における人命救助の方法は、格段に迅速化・効率化し、多くの尊い仲間の命が救えると思う。僕が所属する労山福岡でも、2年前に若い会員が今回自分の登ったエリアで、いまだ行方不明のままだ。もし彼がココヘリを持っていたら…と思うと無念でしょうがない。ぜひ、多くの労山会員がココヘリに入会されることを切望する。

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