国取り物語の舞台 古城山

2018.11.25(日) 日帰り

活動データ

タイム

03:13

距離

7.5km

のぼり

614m

くだり

615m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 13
休憩時間
25
距離
7.5 km
のぼり / くだり
614 / 615 m
35
1
4
1 50

活動詳細

すべて見る

戦国時代、美濃の守護大名土岐氏の隣国を巻き込んだ家督争いに、斉藤道三や織田信長が絡んだ国取り物語の舞台となった大桑城があった山です。 至るところに堅堀、堀切、曲輪など山城の地形が残っています。 山頂にはミニチュア天守があり、対峙した岐阜城方面を望むと、当時も同じように眺めていたのではとロマンを感じます。 その後、馬場跡から杉坂峠方面に向かいました。峠道は廃道となっており、祀られた地蔵さんを見る限り、訪れる人も無いようです。 下山後、地元の方から峠道について伺うと、「昔、大桑の校長先生が峠を越えて谷合(旧美山町)通っていた。伊勢湾台風で道が崩れてしまい、今では誰も利用していない。」 と言っておられました。 城址にしても廃道にしても諸行無常を感じた1日でした。

武儀川 大桑城にいた美濃の国守護土岐頼芸の軍と岐阜の斉藤道三の軍との戦いの時、頼芸に力をかした他国の武士たちが壕を掘ったことから四国堀と言うらしい。
大桑城にいた美濃の国守護土岐頼芸の軍と岐阜の斉藤道三の軍との戦いの時、頼芸に力をかした他国の武士たちが壕を掘ったことから四国堀と言うらしい。
武儀川 岩門 番所跡
岩門 番所跡
武儀川 堅堀
堅堀
武儀川 看板が飛ばされていました。
看板が飛ばされていました。
武儀川 この急斜面を下り、霧井戸へ
この急斜面を下り、霧井戸へ
武儀川 霧井戸。400年以上経っています。
霧井戸。400年以上経っています。
武儀川 ミニチュア天守
ミニチュア天守
武儀川 ペットボトル🧴と比較
ペットボトル🧴と比較
武儀川 対峙した岐阜城🏯方面を望む
対峙した岐阜城🏯方面を望む
武儀川 天守に設けられたボックスに有るノート
「くまんばち・・」はウチの子が今年5月に書いたものです。
天守に設けられたボックスに有るノート 「くまんばち・・」はウチの子が今年5月に書いたものです。
武儀川 大桑城年譜
大桑城年譜
武儀川 山頂
山頂
武儀川 城址碑
城址碑
武儀川 右手馬場跡方面へ向かう
右手馬場跡方面へ向かう
武儀川 伝馬場
伝馬場
武儀川 杉坂方面へ向かう
杉坂方面へ向かう
武儀川 ?
武儀川 お地蔵さん。享保とありますが、暴れん坊将軍の時代ですかね
お地蔵さん。享保とありますが、暴れん坊将軍の時代ですかね
武儀川 峠は荒れ果ています。
峠は荒れ果ています。
武儀川 旧美山町へ下る
旧美山町へ下る
武儀川 山県市クリーンセンターに出ました
山県市クリーンセンターに出ました
武儀川 振り返って、来た道
振り返って、来た道
武儀川 峠まで戻り、穴洞方面へ向かう。
なお、市洞方面にも立派な道があるが、前回行ってみたが途中道が無くなっていました。
峠まで戻り、穴洞方面へ向かう。 なお、市洞方面にも立派な道があるが、前回行ってみたが途中道が無くなっていました。
武儀川 しっかりした石積みがあります。
しっかりした石積みがあります。
武儀川 観音菩薩像がありました。
観音菩薩像がありました。
武儀川 時間が無くなっできたので、ここから廃道を外れ、市洞方面の山道を下山します。
時間が無くなっできたので、ここから廃道を外れ、市洞方面の山道を下山します。
武儀川 取矢神社
取矢神社
武儀川 散歩中のおばあさんから昔は峠を利用していたこと、神社では今でも年2日間お祭りしていると聞きました。
散歩中のおばあさんから昔は峠を利用していたこと、神社では今でも年2日間お祭りしていると聞きました。
武儀川 かつての国体馬術会場から古城山
かつての国体馬術会場から古城山
武儀川 六萬墓 大桑城が斎藤道三に攻められ、多くの死者が出たことから200年後建てられた
六萬墓 大桑城が斎藤道三に攻められ、多くの死者が出たことから200年後建てられた
武儀川 土岐氏の菩提寺 南泉寺
土岐氏の菩提寺 南泉寺

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