ひょっとしたら池田恒興は遠い祖先かも。

2018.12.08(土) 日帰り

活動データ

タイム

00:52

距離

1.6km

のぼり

180m

くだり

178m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
52
休憩時間
6
距離
1.6 km
のぼり / くだり
180 / 178 m
9

活動詳細

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小里光忠が天文3年(1534年)に小里川南岸の城山に築いた。 それ以前は付近の興徳寺の西に小里新城が あり、土岐氏や小里氏の居城だったと される。 小里氏は土岐元頼ないしその子の頼連から始まったとされ、元頼の戦死後は諸国を放浪。築城者の光忠が土岐氏の系譜を引くかは 不明とされる。 光忠は織田信長に従ったが元亀3年 (1572年)の武田家の岩村城攻めに伴う 上村合戦に敗れた。 光忠の子・光明は、天正2年(1574年)に小里城に在城しており、 織田信長は岩村城を攻める拠点として 鶴ヶ城 (美濃国)に河尻秀隆、 小里城に池田恒興を御番手として入れ、 改修を行なった。 なお翌年岩村城が落城すると この工事は中止された。 低山登山には楽しい山でした。 初心者さんには良いかも。 県道から少し登った御殿場跡から石垣があってワクワク。 尾根を歩いたり、本丸手前では岩がゴロゴロ。 天守台はしっかりした石垣。 本丸直下の曲輪には工事を中止した?岩がゴロゴロ。 あ、池田恒興公。 織田信長公と乳兄弟。 この恒興さんの子供の池田由之一族が鳥取の米子と山奥の一の貝に住んだ。 某の先祖は一の貝で、亡くなった祖父母、 父親の兄が住んでます。 しかし、池田由之の一族がネットで調べても見つからないんだよな。。( ´,_ゝ`)

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