生駒市の端点を巡る 東端の巻

2018.12.10(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 6
休憩時間
0
距離
7.0 km
のぼり / くだり
252 / 252 m
1 2

活動詳細

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生駒市の西端、南端を決定して、東端の番になりました。ここは山の中ではありません。鹿畑地区から東流する山田川の支流が東に膨らんだ部分のようです。こういうところは河川の状況が時代によって変わるため、権利関係が難しい。当然、市町村境界も現在の河川状況からは理解困難な場合が多いのですが,地図で見る限りでは単純のようです。とにかく現地に行って境界標を確認しましょう。 おまけの散策は河川東の京都府精華町柘榴地区を歩いてみることにしました。生駒市外のことは全く知りませんし、適当な案内書も見つかりません。検索してみると、極楽寺、三十三所観音像、東谷神社、日出(ひので)神社というのが見つかりました。これらを回りましょう。ついでに四等三角点柘榴も訪ねてこよう。しかし三十三所観音像は観音山となっていますがその観音山がわからない。さてどうなることやら。 (蛇足の追記)写真6のコメントで山田川支流の名前がわからないと書きましたが、生駒市誌を捲ると「北川」となっていました。この川沿いの道を「北川越」と呼ぶのはこのためなのですね。もっともこの道はふぁんトントコメントにあるように、東畑三角点南の谷が通行不能にされているようです。倒木やヤブなら何とかなりますが、フェンスで施錠されていては私の及ぶところではありません。困ったもんだ。

交野山・国見山 生駒市東端へ向かいますのでついでに、調査報告書所収のの石造遺物の東端のもの、鹿畑地区の仏坂地蔵様です。これは坂の下の仏坂地蔵。
生駒市東端へ向かいますのでついでに、調査報告書所収のの石造遺物の東端のもの、鹿畑地区の仏坂地蔵様です。これは坂の下の仏坂地蔵。
交野山・国見山 仏像の前後に記銘があります。内容は「生駒の古道」のP.94に間違って坂の上の仏坂地蔵の銘文として記載されています。
仏像の前後に記銘があります。内容は「生駒の古道」のP.94に間違って坂の上の仏坂地蔵の銘文として記載されています。
交野山・国見山 山田川沿いまで降りてきました。右岸(南)の163号線は自動車だらけで嫌ですから左岸を進みます。
山田川沿いまで降りてきました。右岸(南)の163号線は自動車だらけで嫌ですから左岸を進みます。
交野山・国見山 163号が嫌でも、ここで右岸に移らないと両国橋が渡れません。
163号が嫌でも、ここで右岸に移らないと両国橋が渡れません。
交野山・国見山 橋の西側に表示があります。今までは大和国、橋の向こうは山城国ということになります。
橋の西側に表示があります。今までは大和国、橋の向こうは山城国ということになります。
交野山・国見山 両国橋の上から北を見ています。この山田川支流がほぼ奈良県と京都府の境界です。この川の名前を探してみましたがわかりませんでした。
両国橋の上から北を見ています。この山田川支流がほぼ奈良県と京都府の境界です。この川の名前を探してみましたがわかりませんでした。
交野山・国見山 橋の西にはこの掲示。
橋の西にはこの掲示。
交野山・国見山 橋の東にこの掲示。では橋はどちらに属するのだろう?1級河川の橋ですので管理は国の所管でしょうが、地籍は国ではないはずですが・・・
橋の東にこの掲示。では橋はどちらに属するのだろう?1級河川の橋ですので管理は国の所管でしょうが、地籍は国ではないはずですが・・・
交野山・国見山 支流の右岸(生駒市側)ほ道が無さそうなので、左岸の精華町の道を進みます。京都府ですが走っているのは奈良交通。
支流の右岸(生駒市側)ほ道が無さそうなので、左岸の精華町の道を進みます。京都府ですが走っているのは奈良交通。
交野山・国見山 流れが東にカーブしています。この辺が生駒市東端のはずですが、地図によると、川が境界でなく、写真の小屋付近は精華町になっています。
流れが東にカーブしています。この辺が生駒市東端のはずですが、地図によると、川が境界でなく、写真の小屋付近は精華町になっています。
交野山・国見山 地図から読み取った東端はこの付近なのですが、境界標なんてものは全くない。
地図から読み取った東端はこの付近なのですが、境界標なんてものは全くない。
交野山・国見山 先の写真の場所から南を見ています。地図を信用する限り、河川でなくこの農道が境界なのですが、境界標が全くない。
先の写真の場所から南を見ています。地図を信用する限り、河川でなくこの農道が境界なのですが、境界標が全くない。
交野山・国見山 今度は北を見ています。農道が続きます。この農道が境界ならば、私の立っている地点が東端なのですが、決定する根拠はありません。地籍簿を参照するしかないのでしょうね。一応ここに決めましょう。34°44′08.77″N、135°45′25.44″と決定。
今度は北を見ています。農道が続きます。この農道が境界ならば、私の立っている地点が東端なのですが、決定する根拠はありません。地籍簿を参照するしかないのでしょうね。一応ここに決めましょう。34°44′08.77″N、135°45′25.44″と決定。
交野山・国見山 かなりウロウロしましたが、境界標は見つからず、あきらめて、精華町側から問題の土地を眺めています。段差の上が農道です。この地形から考えると、境界が決定してから河道が移動しているのかもしれません。それにしても単に市町界というだけでなく、府県界でもあるんですが、何とものどかなことです。
かなりウロウロしましたが、境界標は見つからず、あきらめて、精華町側から問題の土地を眺めています。段差の上が農道です。この地形から考えると、境界が決定してから河道が移動しているのかもしれません。それにしても単に市町界というだけでなく、府県界でもあるんですが、何とものどかなことです。
交野山・国見山 この生駒市の掲示は一段高い農道の法面に立っています。境界上に立てたのでしょうか?しかしこんなのは全然根拠にはなりません。
この生駒市の掲示は一段高い農道の法面に立っています。境界上に立てたのでしょうか?しかしこんなのは全然根拠にはなりません。
交野山・国見山 さて、あきらめてお気楽な物見遊山に移ります。163号沿いにこんな碑が立っていました。交通事故多発地帯のようです。
さて、あきらめてお気楽な物見遊山に移ります。163号沿いにこんな碑が立っていました。交通事故多発地帯のようです。
交野山・国見山 柘榴地区の旦那寺、極楽寺にやってきました。入口右に地蔵堂。
柘榴地区の旦那寺、極楽寺にやってきました。入口右に地蔵堂。
交野山・国見山 左には無縁塚。
左には無縁塚。
交野山・国見山 無縁塚でひときわ目立っています。六字名号碑ではないですね。
無縁塚でひときわ目立っています。六字名号碑ではないですね。
交野山・国見山 極楽寺本堂、中に慶長2年の古い梵鐘があるそうです。
極楽寺本堂、中に慶長2年の古い梵鐘があるそうです。
交野山・国見山 本道脇のお墓の様子。
本道脇のお墓の様子。
交野山・国見山 新しい梵鐘脇の地蔵様。
新しい梵鐘脇の地蔵様。
交野山・国見山 こちらは古い梵鐘を使うと減る恐れがあるので新設された梵鐘。
こちらは古い梵鐘を使うと減る恐れがあるので新設された梵鐘。
交野山・国見山 梵鐘の由緒です。
梵鐘の由緒です。
交野山・国見山 次は33所観音像へ向かったのですが、観音山というのがわからない。極楽寺の裏へ行っても入る道はない。あきらめて三角点へ向かう途中で、地元の人に出会ったのでこれ幸いと尋ねると、三角点山が観音山とのこと、無事到着。
次は33所観音像へ向かったのですが、観音山というのがわからない。極楽寺の裏へ行っても入る道はない。あきらめて三角点へ向かう途中で、地元の人に出会ったのでこれ幸いと尋ねると、三角点山が観音山とのこと、無事到着。
交野山・国見山 記念碑らしいのですが、記銘が読めません。
記念碑らしいのですが、記銘が読めません。
交野山・国見山 ずらりと並んでいます。
ずらりと並んでいます。
交野山・国見山 一段下には不動明王。
一段下には不動明王。
交野山・国見山 四等三角点柘榴ですが、地図に山頂付近まで道が書いてある。ましな道かと思って探した結果、そんな道はなく、結局ろくでもないところを倒竹と戦いながらよじ登るハメになりました。
四等三角点柘榴ですが、地図に山頂付近まで道が書いてある。ましな道かと思って探した結果、そんな道はなく、結局ろくでもないところを倒竹と戦いながらよじ登るハメになりました。
交野山・国見山 三角点すぐ北にこんな施設があって、ここに来る道が地図に書いてあるのでしょうね。とっくに廃道化していました。
三角点すぐ北にこんな施設があって、ここに来る道が地図に書いてあるのでしょうね。とっくに廃道化していました。
交野山・国見山 廃道化した道を倒竹と戦いながら降るとこんな物が・・・新しい物です。
廃道化した道を倒竹と戦いながら降るとこんな物が・・・新しい物です。
交野山・国見山 結局ここへ降ってきました。先ほどのイノシシの置物へ行く道に私有地という掲示があって、はばかったため、遠回りのいらぬ苦労をしてしまった。
結局ここへ降ってきました。先ほどのイノシシの置物へ行く道に私有地という掲示があって、はばかったため、遠回りのいらぬ苦労をしてしまった。
交野山・国見山 次は東谷神社。素戔嗚尊を祀っているということです。鹿畑の素戔嗚神社と同じですね。
次は東谷神社。素戔嗚尊を祀っているということです。鹿畑の素戔嗚神社と同じですね。
交野山・国見山 ここから大分登って本殿です。
ここから大分登って本殿です。
交野山・国見山 いつ頃の物でしょうか?古そうです。
いつ頃の物でしょうか?古そうです。
交野山・国見山 ありゃ、本殿がピンぼけだ。
ありゃ、本殿がピンぼけだ。
交野山・国見山 狛犬がいます。
狛犬がいます。
交野山・国見山 当然反対側にもう一匹います。
当然反対側にもう一匹います。
交野山・国見山 金毘羅さんの社がないのでこの石柱の意味がよくわかりません。記銘の下の方が読めないので謎です。
金毘羅さんの社がないのでこの石柱の意味がよくわかりません。記銘の下の方が読めないので謎です。
交野山・国見山 次へ向かう途中の路傍のお地蔵さん。
次へ向かう途中の路傍のお地蔵さん。
交野山・国見山 そばにはこんな石碑があって、いっぱい文字が書いてあります。読まないとわからないので、結局わからない。
そばにはこんな石碑があって、いっぱい文字が書いてあります。読まないとわからないので、結局わからない。
交野山・国見山 163号を渡り、山田川にかかる橋、神社と同じ名前ですが、橋のほうには「乃」がついています。
163号を渡り、山田川にかかる橋、神社と同じ名前ですが、橋のほうには「乃」がついています。
交野山・国見山 日出神社、ここのご神体は雨乞い石です。
日出神社、ここのご神体は雨乞い石です。
交野山・国見山 お社の右にご神体の雨乞い石があります。
お社の右にご神体の雨乞い石があります。
交野山・国見山 ご神体と由緒書き。
ご神体と由緒書き。
交野山・国見山 由緒書き拡大、鹿畑地区のご神体だったものが大水でここまで流れてきて留まったらしい。石留に木偏をつけて柘榴という地名にしたと書いてあります。
由緒書き拡大、鹿畑地区のご神体だったものが大水でここまで流れてきて留まったらしい。石留に木偏をつけて柘榴という地名にしたと書いてあります。
交野山・国見山 ご神体拡大、このくぼみが霊威の元なのでしょうか。鹿畑龍王社の鹿の足跡石も自然のくぼみのある石がご神体でした。
ご神体拡大、このくぼみが霊威の元なのでしょうか。鹿畑龍王社の鹿の足跡石も自然のくぼみのある石がご神体でした。
交野山・国見山 この橋のところから南へ行くと登美ヶ丘へでます。
この橋のところから南へ行くと登美ヶ丘へでます。
交野山・国見山 途中の道はこんな様子。
途中の道はこんな様子。
交野山・国見山 このお社は坂の上の仏坂地蔵です。この付近が府県界のはずですが、ここにも境界標は見当たらない。
このお社は坂の上の仏坂地蔵です。この付近が府県界のはずですが、ここにも境界標は見当たらない。
交野山・国見山 地蔵様拡大。
地蔵様拡大。
交野山・国見山 登美ヶ丘から見学に行く人のためのサービスで入口の様子。金網フェンスの切れたところが地蔵堂です。
登美ヶ丘から見学に行く人のためのサービスで入口の様子。金網フェンスの切れたところが地蔵堂です。
交野山・国見山 仏坂の上には自転車置き場、ここまで自転車でやってきて、坂を降って駅へ行くのですね。
仏坂の上には自転車置き場、ここまで自転車でやってきて、坂を降って駅へ行くのですね。

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