恒屋伊賀守の野望

2018.12.15(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 45
休憩時間
29
距離
14.1 km
のぼり / くだり
554 / 556 m
35
1 13
24
1 7

活動詳細

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* * * 天正3年(1573)、恒屋伊賀守は、一族の肥前守(※1)や、諸侍、被官、郎従を従えつつ、 意気揚々と、炊煙あがる夕暮れの恒屋城下を出発した。 顔ぶれには、宍粟の宇野政頼からの援将も加わっていた(※2)。 目指す先は置塩城(※3)。 播磨守護、赤松氏の本拠である。 彼らはこれを奪い、播磨に覇を唱えんと挙兵した。 勝手知ったる棚原山をすぎ、 彼らは息をひそめて夜道を南条山(※4)へ進んだ。 南条山には、山岳寺院の跡があるが、 これを赤松方は置塩城を守る城郭として取り立てていた(※5)。 恒屋勢は闇夜の南条山城を急襲した。 そして、その勢いのまま急坂を下り、置塩城へと取付いた。 置塩城は、南条山の西方に張り出した支尾根上に築かれていた。 南条山との間は、両方に急斜面を持つ鞍部で仕切られていたが、 比高差で言えば、ここが一番の弱点と言えた。 この城は播磨国守護赤松氏の本拠らしく、広大な城域を持ち、 矢倉や屋敷が立ち並び、高い石垣や土塁をめぐらせ、庭園まで備える壮麗な城郭だった(※6)。 しかし、赤松氏は内憂外患が打ち続いて求心力が失われていて、 この城も守備が十分とはいえなかった。 そこを、彼ら恒屋勢が夜襲を掛けたのである。 初めは、不意の夜討ちとあって赤松勢は混乱した。 しかし、急斜面による攻めにくさや、最新の矢倉(※7)を活かした防戦で時間を稼いだことが、 状況を変えた。 近隣から、白国次太夫、上月満秀、芥田氏と言った味方たち(※8)が、 御屋形たる赤松氏を守るべく駆け付け、次第に恒屋勢は押し戻された。 南条山と、その斜面は恒屋勢の撤退を拒むように立ちはだかった。 後ろから迫る赤松勢と、矢の雨。 伊賀守は命からがら尾根に抜けたが、肥前守は白国次太夫に討たれた(※9)。 そして、恒屋伊賀守の播磨奪取の野望はついえた。 * * * ※1:多くのサイトでは肥前守を恒屋城主=家督としているが、 たまたま見た文書での刷り込みと、卒論の思い出から、私は恒屋伊賀守を城主にしておきたい。 ※2:宇野氏は恒屋正友の実家との説があるらしい。   また、宇野名字は赤松氏の一門を示す名字で、分家が名乗る。   この時代、一門も敵になりやすい。同じ血筋での財産争い、と考えれば現代に通じる。 ※3:現在の読みはおきしお。当時はおじお/おしお。国指定史跡。 ※4:三角点名:谷山 ※5:南条山城。また、置塩古城とも。 ※6:発掘成果より。 ※7:塼(せん)列建物を指す。塼とはタイルみたいな焼き物。   土蔵的機能の建物とされているが、シンボリックだし、矢倉機能がもしあったらって、ね? ※8:いずれも兵庫県史収録。赤松則房の感状が残る。 ※9:肥前守が討たれるところの筋書きは、播磨屋さんのブログからのアイデア。 * * * (城登ってるとき、文書と成果と伝承と組み合わせて、 大体こんな妄想しながら登ってる。やっぱり危ないやつだw) さて山登りの本題に。 ●主家赤松氏に夜襲を掛けた恒屋氏の恒屋城と、その夜襲ルートを体験しに棚原山へ。 溝口駅~恒屋~恒屋城~恒屋~墓地横「棚原登り口」~(自然歩道経由) ~御香之場~八葉寺分岐~棚原山~坂地峠~(林道塩田線経由)~恒屋~溝口駅 ■恒屋城 卒論執筆時に、わずかに触れた恒屋氏。「恒伊」。 赤松に反逆し、夜襲を掛けた恒屋氏の城郭であることと、畝状竪堀群が存在することで、前から行きたかった。 (前から行きたかった、を最近多用するのは、逆に言えば、今その機会を得ているから。 あれだけ失った代わりに得た、今をチャンスと思っている。) 見たところは、恒屋氏が秀吉に下ったあとの城と思う。 正直、畝状竪堀はよくわからない。 大半が藪に埋もれている、という意味でも、畝の掘り方が甘い、という意味でも。 長大な横堀や、明瞭な通路・虎口構造が、この城の特徴で、本当の魅力。 ■棚原山へ 恒屋からの道は荒れていた。通行不能ではないが、快適とは言えない。 Web上にある、H16(2004)、H21(2009)、H28(2016)の山行記録と比較すると、格段に荒れている。 2016春時点でも、問題なく通行できていたようなので、近年急速に荒れたことになる。 御香の場手前の鞍部での立ち枯れ+倒木がひどい一方で、雑木が路上に生えることは少ないので、 今年の台風が主要因かもしれない。 本当は、南条山(南条山城もしくは置塩古城、三角点名:谷山)~城山(置塩城)への縦走で、 恒屋勢の置塩城夜襲ルートを再現したかったのだけれど、 大阪出発が遅れたのと、棚原山までで気力をそがれたから一切未練なく撤退。 眺めも悪かったが、藪山経験の一つと思って納得。

福崎町・加西市・姫路市北部 恒屋城 左:前城、右:後城
恒屋城 左:前城、右:後城
福崎町・加西市・姫路市北部 地元の方に愛されている史跡を歩くと、ほんとにうれしい気持ちになる。
多少間違った整備でも、構わない。だれも見向きもしないより余程いい。
地元の方に愛されている史跡を歩くと、ほんとにうれしい気持ちになる。 多少間違った整備でも、構わない。だれも見向きもしないより余程いい。
福崎町・加西市・姫路市北部 桜の植樹、ニュースになってた。
真ん中の小屋=お堂。恒屋伊賀守光氏を祀る。
桜の植樹、ニュースになってた。 真ん中の小屋=お堂。恒屋伊賀守光氏を祀る。
福崎町・加西市・姫路市北部 植樹場所=畝状空堀群の上。遺構が傷む、、、けど、
これほんとに畝状空堀群?甘い掘り方が妙だ。
植樹場所=畝状空堀群の上。遺構が傷む、、、けど、 これほんとに畝状空堀群?甘い掘り方が妙だ。
福崎町・加西市・姫路市北部 これは明確な横堀。
これは明確な横堀。
福崎町・加西市・姫路市北部 これが一番の見どころの横堀。両端で竪堀・堀切に接続してる。
これが一番の見どころの横堀。両端で竪堀・堀切に接続してる。
福崎町・加西市・姫路市北部 棚原山。
棚原山。
福崎町・加西市・姫路市北部 虎口のひとつ。
虎口のひとつ。
福崎町・加西市・姫路市北部 その虎口周囲には瓦片が多く落ちていて、並べられていた。
その虎口周囲には瓦片が多く落ちていて、並べられていた。
福崎町・加西市・姫路市北部 主郭への通路と虎口。すごくわかりやすい!!
主郭への通路と虎口。すごくわかりやすい!!
福崎町・加西市・姫路市北部 南東方向を望む
南東方向を望む
福崎町・加西市・姫路市北部 主郭は広い。
主郭は広い。
福崎町・加西市・姫路市北部 右の張り出しが非常に攻撃的で、通路遮断に有効。
右の張り出しが非常に攻撃的で、通路遮断に有効。
福崎町・加西市・姫路市北部 前城の畝状竪堀群。これも、言われてみればそうなんだけど、、
前城の畝状竪堀群。これも、言われてみればそうなんだけど、、
福崎町・加西市・姫路市北部 恒屋から自然歩道経由で棚原山へは、墓地横から登る。
獣除けの柵を越えて入ると、早くも踏み跡薄い草むらで・・・
恒屋から自然歩道経由で棚原山へは、墓地横から登る。 獣除けの柵を越えて入ると、早くも踏み跡薄い草むらで・・・
福崎町・加西市・姫路市北部 御香の場まででも、大量の倒木。
御香の場まででも、大量の倒木。
福崎町・加西市・姫路市北部 木が横に生えている、ような感じ。とても生きている道ではなかった。
かなり疲労困憊。
木が横に生えている、ような感じ。とても生きている道ではなかった。 かなり疲労困憊。
福崎町・加西市・姫路市北部 八葉寺への分岐。この直前の登り、道が細くてかつ片側は急斜面で少々怖かった。しかも時々倒木があって。。
八葉寺への分岐。この直前の登り、道が細くてかつ片側は急斜面で少々怖かった。しかも時々倒木があって。。
福崎町・加西市・姫路市北部 これが八葉寺方向。
これが八葉寺方向。
福崎町・加西市・姫路市北部 棚原山へは階段がついています
棚原山へは階段がついています
福崎町・加西市・姫路市北部 着いた!けど草むらしかない・・・
着いた!けど草むらしかない・・・
福崎町・加西市・姫路市北部 林道塩田線で恒屋へ。途中、私設の峠名の看板があったが、、あれは。。
林道塩田線で恒屋へ。途中、私設の峠名の看板があったが、、あれは。。

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