サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ

2016.06.04(土) 日帰り

活動データ

タイム

04:15

距離

99.9km

のぼり

340m

くだり

399m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 15
休憩時間
24
距離
99.9 km
のぼり / くだり
340 / 399 m
9 32

活動詳細

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みなさんお疲れ様です。 ナナ(長女)との約束を果たせぬままずっと行かないつもりだったけど行くなら今しかねぇ♪ という絶好の機会でローマ着アテネ発の航空券を予約、ダメならパーだけどまあいっかーと購入しました。 出発日までの一月いろいろ考えてみると、勢いでイタリアにしたけどずっと行きたいと思ってたのはかつて銃弾と悲鳴が飛び交っていたサラエボでした。 泥沼の内戦終結から21年が経って、既にサラエボは観光地として賑わいのある街になっています。けれど、あのスナイパー通りで子供が殺されたニュースを見た時、どうしてもこの目で確かめたかったこの国の現状、なぜ宗教の違いで殺し合いをするのか? 実際はみんな仲良くやっていたそうです。ただ、独裁者のエゴや西側の思惑とか…ボスニア内戦はたくさん詳しく紹介されています。 ザグレブから1日にたった1本の国際列車に乗りました。2等2両+1等1両の3両編成ですが、2等も1等も関係なく乗れます。乗客は少なく、サラエボまでの乗客は数える程、食堂車もない列車で9時間以上、でもこの目でこの場所を見ながら移動できるので良い選択でした。 東北の夏を旅しているような錯覚に陥りながら、牧歌的な風景を眺めていると本当に内戦があったのかと思ってしまいます。クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナに入ると、ますますのどかになり農家が家族総出で作業をしている風景が目につきます。その家族の雰囲気は、遠くから見ただけだけれど、家族の絆が強そうで深そうなそんな気がしました。 サラエボ駅に到着すると大きな駅は殆ど使われることなく閑散とし、今にも暗い廊下からスナイパーが現れそうな雰囲気はやはりまだたった21年しかたっていないと思わせます。 でも、駅前を出ると空気は丸くてのんびりした雰囲気で、ピリピリした空気は全く感じませんでした。ただ、それだけにかつてのジャーナリストの溜まり場のホリディインホテルと、銃痕が今でも残る(銃痕はスナイパー通りだけではなく、アパートの壁にも凄い数がありました)スナイパー通りは21年まえの実際に起きた事実を見せつけられます。 そして丘の上の墓地へ 出生年は違うのに没年は殆どが1996と1997です。人生これからという人達のたくさんの墓石がありました。 旧市街歴史地区は観光客で溢れ、既に過去は振り返らない雰囲気があります。スロベニアやクロアチアに比べると、まだ復興は途上と思いますが、犠牲になった人達の分まで平和な未来を願いたいと思います。 ***軌跡はあっていますが時間設定は日本時間になっています

動画

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