熊野古道 紀伊路4 和佐王子(和歌山市)〜山口王子(有田市)

2016.09.18(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
12 時間 12
休憩時間
2 時間 24
距離
36.1 km
のぼり / くだり
1025 / 1027 m
2
37
17
24
21
19
19
11
17
13
10
35
9
7
10
1
1
1
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6
12
43
9
7
16
2
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活動詳細

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台風接近に伴って天候が悪いですが、ガッツリ山でもないし大丈夫でしょ!って安易な判断で逝ってきました(´゚д゚`) 途中、峠はいくつかあったのですがどれも舗装された斜度も大したことのない場所ばかりで少々食傷気味だったのですが、途中の藤白坂(・・?坂なのに軽く低山並みの道行きで非常に気持ちが良く久々に発散できました。 が、続く拝ノ峠がキツかった(ーー;) 簡易舗装のコンクリート道なのですが急斜の連続!! 雨のせいもあって非常に滑る!!! それでも細心の注意を払ってなんとか進んで行きましたが、、、、爪書地蔵堂を通って有田市に下る道が綺麗に赤く塗られた道で急斜度( ゚д゚) エスケープゾーンもなくどう注意しても滑りまくり ここだけで2度も転倒してしまい打撲に擦過傷(T_T) おまけにお気に入りのレインウェアに穴が、、、 まさに赤く塗られたデスロードと化してしまいました。 なんとか湯浅まで行きたかったけど先の拝ノ峠で時間がかかりすぎ&転倒した時にしこたま腰を打ってペースガタ落ちで有田市に降りたところでタイムアップとなりました。

熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 前回の続き川端王子付近の布施屋駅からスタートです。
前回の続き川端王子付近の布施屋駅からスタートです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) この地域非常にわかりやすい表示版が至るところにあります。MAPなしでも迷わないくらいw
ありがとう和佐歴史研究会さん
この地域非常にわかりやすい表示版が至るところにあります。MAPなしでも迷わないくらいw ありがとう和佐歴史研究会さん
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) この辺りはのどかな田園地帯がずっと続きます。
この辺りはのどかな田園地帯がずっと続きます。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 田畑の畦に咲く彼岸花の群落
根や茎に毒をもつ毒草ですのでモグラやネズミなどの農業にとっては害獣にあたる獣除けとして古来からよく植えられていますね。
田畑の畦に咲く彼岸花の群落 根や茎に毒をもつ毒草ですのでモグラやネズミなどの農業にとっては害獣にあたる獣除けとして古来からよく植えられていますね。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 本日1つ目。
きりよく三十番和佐王子跡の顕彰碑です。
県道を挟んだ高台にありました。
本日1つ目。 きりよく三十番和佐王子跡の顕彰碑です。 県道を挟んだ高台にありました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) なんの花でしょう(・・?
みたことないです。
なんの花でしょう(・・? みたことないです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) アメリカイヌホウズキかな(・・?
アメリカイヌホウズキかな(・・?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 三十一番、平緒王子跡の顕彰碑です。
町中の公民館の前にありました。
三十一番、平緒王子跡の顕彰碑です。 町中の公民館の前にありました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 三十二番、奈久智王子跡の顕彰碑
看板のみで顕彰碑ありませんが、どうもみかん畑内にあるようです。断る人も居らず勝手に行くわけにもいかないので断念(;´Д`)
三十二番、奈久智王子跡の顕彰碑 看板のみで顕彰碑ありませんが、どうもみかん畑内にあるようです。断る人も居らず勝手に行くわけにもいかないので断念(;´Д`)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 案内標識横にあった古いブリキ看板です。
由美かおるさんお美しいですが、、、、蚊取り線香の宣伝で何故その格好(・・;
案内標識横にあった古いブリキ看板です。 由美かおるさんお美しいですが、、、、蚊取り線香の宣伝で何故その格好(・・;
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) ここで例の妖怪ポストのスタンプをもらい忘れていることに気付き戻ります!
スタンプは木の神 伊太祈曽神社にありました。
ここで例の妖怪ポストのスタンプをもらい忘れていることに気付き戻ります! スタンプは木の神 伊太祈曽神社にありました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 木の神らしく木彫りの鶏鳴が主祭神脇に鎮座していました。
木の神らしく木彫りの鶏鳴が主祭神脇に鎮座していました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 先の鶏鳴と合わせ十二支の木彫り木像。
これはチェーンソーカービングで作られたものだそうで、世界チャンピオンの方が奉納彫刻をおこなうのだそうです。
先の鶏鳴と合わせ十二支の木彫り木像。 これはチェーンソーカービングで作られたものだそうで、世界チャンピオンの方が奉納彫刻をおこなうのだそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 三十三番.松坂王子跡です。
案内標識によると江戸期に新たに熊野街道が整備されて、この先の祓戸王子より以北にあった王子社は廃れていったそうです。
三十三番.松坂王子跡です。 案内標識によると江戸期に新たに熊野街道が整備されて、この先の祓戸王子より以北にあった王子社は廃れていったそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 三十四番.松代王子跡地。
春日神社への参拝道に拝されていました。
三十四番.松代王子跡地。 春日神社への参拝道に拝されていました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 春日神社境内です。その昔は熊野詣の際に皇室や位の高い人達が身体を休めたようでたくさん歌碑が残っていました。
春日神社境内です。その昔は熊野詣の際に皇室や位の高い人達が身体を休めたようでたくさん歌碑が残っていました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 雨なので、境内の軒を借りて昼食にしました。
塩バターパンとおにぎりとミルクプロテイン(笑)
取り合わせもクソもなく(¯―¯٥)
雨なので、境内の軒を借りて昼食にしました。 塩バターパンとおにぎりとミルクプロテイン(笑) 取り合わせもクソもなく(¯―¯٥)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 三十五番.菩提房王子跡地
ひっそりと街の片隅にありました。
あまりに目立たなく見落とすところでした。
三十五番.菩提房王子跡地 ひっそりと街の片隅にありました。 あまりに目立たなく見落とすところでした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 祓戸王子跡に行くには裏山のようなところを登ります。沢山のお地蔵様が並んでいて山の斜面にあるため滑り落ちたお地蔵様も、、、
夜は怖くて来れないですね(・_・;)
祓戸王子跡に行くには裏山のようなところを登ります。沢山のお地蔵様が並んでいて山の斜面にあるため滑り落ちたお地蔵様も、、、 夜は怖くて来れないですね(・_・;)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 登りきった先に三十六番.祓戸王子跡地です。
登りきった先に三十六番.祓戸王子跡地です。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 高台にあり眺望が良いです。
晴れていればよかったんですがね(^_^;)
高台にあり眺望が良いです。 晴れていればよかったんですがね(^_^;)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 途中見つけた美味しそうなキノコ(笑)
途中見つけた美味しそうなキノコ(笑)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤白神社近くにあった鈴木さんの家
なんでも全国の鈴木さんのルーツらしいですよ(・・?
藤白神社近くにあった鈴木さんの家 なんでも全国の鈴木さんのルーツらしいですよ(・・?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 三十七番.藤代王子のある藤白神社です。
五体王子(王子社の中でも特に格式の高い)に数えられる王子社だけあって別格でした。
三十七番.藤代王子のある藤白神社です。 五体王子(王子社の中でも特に格式の高い)に数えられる王子社だけあって別格でした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 熊野権現一の鳥居と書かれた石碑
ここからが熊野の聖域ということですね( ´∀`)
熊野権現一の鳥居と書かれた石碑 ここからが熊野の聖域ということですね( ´∀`)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 五体王子らしく藤代王子権現のお社が祀られています。
神仏習合の熊野三社から勧請されたため三躰の仏様が祀られています。
ガラスの映り込みでわかりにくい(T_T)
五体王子らしく藤代王子権現のお社が祀られています。 神仏習合の熊野三社から勧請されたため三躰の仏様が祀られています。 ガラスの映り込みでわかりにくい(T_T)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤白神社には他にも万葉の悲劇の貴公子、有馬皇子が祀られた有馬皇子神社や樹齢数百年ともいわれる大楠をご神体とした子守楠神社などなどパワースポット満載で五体王子である藤代王子に相応しく立派な神社でした。
藤白神社には他にも万葉の悲劇の貴公子、有馬皇子が祀られた有馬皇子神社や樹齢数百年ともいわれる大楠をご神体とした子守楠神社などなどパワースポット満載で五体王子である藤代王子に相応しく立派な神社でした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤白神社を後にしてしばらく進むとこのような道にさしかかります。
ここから藤代坂の登り口です。
坂というより山路ですよね~w
藤白神社を後にしてしばらく進むとこのような道にさしかかります。 ここから藤代坂の登り口です。 坂というより山路ですよね~w
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤代坂で見かけたキンミズヒキ
藤代坂で見かけたキンミズヒキ
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) さらにミズヒキ
ピントが、、、、
さらにミズヒキ ピントが、、、、
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) この藤代坂はいわゆる丁石道になっていて一丁ごとにお地蔵様が拝されています。
17丁までしっかり登りが続きます。
7丁のお地蔵様が一番ご立派でしたw
この藤代坂はいわゆる丁石道になっていて一丁ごとにお地蔵様が拝されています。 17丁までしっかり登りが続きます。 7丁のお地蔵様が一番ご立派でしたw
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 途中の眺望から海が見えました。
晴れていればもっとよかったんですがね(^_^;)
途中の眺望から海が見えました。 晴れていればもっとよかったんですがね(^_^;)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) こんなプチガレ場や、、、、
こんなプチガレ場や、、、、
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) こんな竹林もあって変化に富んでいて歩いていて楽しい道でした。
こんな竹林もあって変化に富んでいて歩いていて楽しい道でした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 史跡もあり、筆捨ての松というのだそうです。
その昔、高名な絵師がここで休んでいたとき、どこからともなく童子が現れ絵描き対決をしたそうです。
絵師は鶯を童子は烏を描き、手を叩くと両者共に絵の鳥は飛び立ったそうです。再び手を叩くと童子の烏は描いた場所に戻って絵になったが、絵師の鶯はついに戻らず負けを認めた絵師は無念也と筆を捨てたそうです。
史跡もあり、筆捨ての松というのだそうです。 その昔、高名な絵師がここで休んでいたとき、どこからともなく童子が現れ絵描き対決をしたそうです。 絵師は鶯を童子は烏を描き、手を叩くと両者共に絵の鳥は飛び立ったそうです。再び手を叩くと童子の烏は描いた場所に戻って絵になったが、絵師の鶯はついに戻らず負けを認めた絵師は無念也と筆を捨てたそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) こちらは硯石
先の故事にちなんで紀州藩主 徳川頼宣公が天然石に掘らせたものらしいです。
こちらは硯石 先の故事にちなんで紀州藩主 徳川頼宣公が天然石に掘らせたものらしいです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 14丁過ぎたあたりに何故か生魚の残骸が、、、
残っている部分から察するに推定20cmほどの魚。
いったい何者が?獣の仕業?それとも猛禽かしら(・・;
14丁過ぎたあたりに何故か生魚の残骸が、、、 残っている部分から察するに推定20cmほどの魚。 いったい何者が?獣の仕業?それとも猛禽かしら(・・;
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 藤白坂を登りきった先にある村落に地蔵峰寺はありました。御本尊は高さ3mを超す石仏の地蔵菩薩坐像だそうです。
このあたりで雨がきつくなってきたので境内にあった集会所の軒をお借りして雨宿り。
周辺を清掃されていた地域のお母さん方も雨宿りされていました。このお寺は無住のようですが綺麗に保たれているのは地域に守られているからですねw
藤白坂を登りきった先にある村落に地蔵峰寺はありました。御本尊は高さ3mを超す石仏の地蔵菩薩坐像だそうです。 このあたりで雨がきつくなってきたので境内にあった集会所の軒をお借りして雨宿り。 周辺を清掃されていた地域のお母さん方も雨宿りされていました。このお寺は無住のようですが綺麗に保たれているのは地域に守られているからですねw
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 地蔵峰寺の境内に三十八番目の藤代塔下王子があります。
また、この裏手からは非常に眺望の良い御所の芝と呼ばれる場所があるのですがあいにく雨脚がきつく見るのは断念しました(T_T)
地蔵峰寺の境内に三十八番目の藤代塔下王子があります。 また、この裏手からは非常に眺望の良い御所の芝と呼ばれる場所があるのですがあいにく雨脚がきつく見るのは断念しました(T_T)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 登れば降るのが鉄則w
降りは蜜柑の産地らしくひたすら蜜柑畑の脇道をくだります。
登れば降るのが鉄則w 降りは蜜柑の産地らしくひたすら蜜柑畑の脇道をくだります。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 降る途中で目に飛び込んできた赤い実が沢山ついた樹木です。紅葉にはまだ早い時期に赤が鮮やかでした。
なんだろ〜葉の形状から見てサンゴジュかなぁ(・・?
降る途中で目に飛び込んできた赤い実が沢山ついた樹木です。紅葉にはまだ早い時期に赤が鮮やかでした。 なんだろ〜葉の形状から見てサンゴジュかなぁ(・・?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) ヤブランは至るところに咲いていました。
ヤブランは至るところに咲いていました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 林道と交わるような分かれ道にはこのような標識と導き石が配されていて迷うことはありませんでした。
林道と交わるような分かれ道にはこのような標識と導き石が配されていて迷うことはありませんでした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 奥の方の山には風車が沢山並んでいました。
風力発電(・・?
奥の方の山には風車が沢山並んでいました。 風力発電(・・?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 延々と続く蜜柑畑を下りきり集落を進むと阿弥陀寺があります。
延々と続く蜜柑畑を下りきり集落を進むと阿弥陀寺があります。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) その境内には三十九番目、橘本王子の顕彰碑がありました。
なんでも紀州温州蜜柑発祥の地だそうです。
その境内には三十九番目、橘本王子の顕彰碑がありました。 なんでも紀州温州蜜柑発祥の地だそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) さらに集落を進み風情のある木の橋を渡って加茂川沿いをしばらく歩きます。
さらに集落を進み風情のある木の橋を渡って加茂川沿いをしばらく歩きます。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) しばらく進むと橘本神社があります。
この神社には田道間守(タジマモリ)さんが祀られています。日本書紀や古事記によると時の帝 垂仁天皇の命を受け非時香菓(トキジクノカクノミ:今で言う橘)を得るため常世の国(海を渡った先に在るとされる楽園:今のインドではないかとの説がある)に遣わされ、なんとか非時香菓を手に入れ日本に戻ってきたときには天皇はすでに崩御されていて嘆き悲しんだ田道間守は天皇の御廟の前で自ら命を断ったそうです。
しばらく進むと橘本神社があります。 この神社には田道間守(タジマモリ)さんが祀られています。日本書紀や古事記によると時の帝 垂仁天皇の命を受け非時香菓(トキジクノカクノミ:今で言う橘)を得るため常世の国(海を渡った先に在るとされる楽園:今のインドではないかとの説がある)に遣わされ、なんとか非時香菓を手に入れ日本に戻ってきたときには天皇はすでに崩御されていて嘆き悲しんだ田道間守は天皇の御廟の前で自ら命を断ったそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 橘本神社の境内に四十番目、所坂王子があります。
先の田道間守が持ち帰った橘はこの地に植栽され、
日本で最初の蜜柑になり、その蜜柑から菓子が作られたことから橘本神社は蜜柑とお菓子の神社として現代もみかん、お菓子をなりわいとする人々から崇められているそうです。また境内の一画には最初に伝わったとされる橘の子孫となる木が今も大切に栽培されていました。
橘本神社の境内に四十番目、所坂王子があります。 先の田道間守が持ち帰った橘はこの地に植栽され、 日本で最初の蜜柑になり、その蜜柑から菓子が作られたことから橘本神社は蜜柑とお菓子の神社として現代もみかん、お菓子をなりわいとする人々から崇められているそうです。また境内の一画には最初に伝わったとされる橘の子孫となる木が今も大切に栽培されていました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 橘本神社から坪川に沿って上流側にしばらく歩くと山路王子神社があります。
橘本神社から坪川に沿って上流側にしばらく歩くと山路王子神社があります。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) その境内に四十一番目、一坪王子跡の顕彰碑があります。
また、顕彰碑のそばには小さな土俵が配されていますが、これはこの神社の伝統神事である奉納花相撲に使われる土俵だそうで、まだよちよち歩きの赤ちゃんが介添えの氏子さんに抱かれ取組みがなされるのですが、当然知らないおじさんに抱かれ土俵の土をつけられるので子供は泣きじゃくりますwですので別名泣き相撲というそうです。
関西在住の方は秋の時事ニュースなどで見られたかたも多いのではないでしょうか?
その境内に四十一番目、一坪王子跡の顕彰碑があります。 また、顕彰碑のそばには小さな土俵が配されていますが、これはこの神社の伝統神事である奉納花相撲に使われる土俵だそうで、まだよちよち歩きの赤ちゃんが介添えの氏子さんに抱かれ取組みがなされるのですが、当然知らないおじさんに抱かれ土俵の土をつけられるので子供は泣きじゃくりますwですので別名泣き相撲というそうです。 関西在住の方は秋の時事ニュースなどで見られたかたも多いのではないでしょうか?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 山路王子神社からしばらく進み沓掛の集落を越えると拝ノ峠に差し掛かります。
昔の参拝者はここで沓を脱いで草鞋に履き替え坂を登ったそうです。実際になるほどとうなずける峠でかなりの急斜面でした。しかも雨に降られているので非常に滑ります。わらじだと滑らずに良いかもしれませんね。
画像は坂の斜度にヘタって一息ついたところにいたゴマダラチョウ。関東の方では外来種のアカボシゴマダラが猛威を奮っているそうですが関西圏ではまだ見かけたことがありません。
このゴマダラチョウは雨のせいで翅が濡れてしまったのか?近づいても飛びませんでした。
山路王子神社からしばらく進み沓掛の集落を越えると拝ノ峠に差し掛かります。 昔の参拝者はここで沓を脱いで草鞋に履き替え坂を登ったそうです。実際になるほどとうなずける峠でかなりの急斜面でした。しかも雨に降られているので非常に滑ります。わらじだと滑らずに良いかもしれませんね。 画像は坂の斜度にヘタって一息ついたところにいたゴマダラチョウ。関東の方では外来種のアカボシゴマダラが猛威を奮っているそうですが関西圏ではまだ見かけたことがありません。 このゴマダラチョウは雨のせいで翅が濡れてしまったのか?近づいても飛びませんでした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) またまた拝ノ峠です。
たかだか標高300m超す程の峠なのですが、斜度のせいか?道が滑るせいか?はたまた今日はすでに雨の中20km越して歩いているので体力を擦り減らしているのか?なんだかとてもキツくて一気に高度を稼ぐことが出来ませんでした。
画像は辛くてヘタっているところにあったヤシャブシの実です。
アクアリウムでは水質維持や栄養供給に役立ち、草木染めの原料としても優秀で、花炭にすれば綺麗に形が残ってくれるので何かと重宝する山の恵ですね。
またまた拝ノ峠です。 たかだか標高300m超す程の峠なのですが、斜度のせいか?道が滑るせいか?はたまた今日はすでに雨の中20km越して歩いているので体力を擦り減らしているのか?なんだかとてもキツくて一気に高度を稼ぐことが出来ませんでした。 画像は辛くてヘタっているところにあったヤシャブシの実です。 アクアリウムでは水質維持や栄養供給に役立ち、草木染めの原料としても優秀で、花炭にすれば綺麗に形が残ってくれるので何かと重宝する山の恵ですね。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) なんとか拝ノ峠を登りきりました。
雨なので残念な眺望ですが晴れていれば素晴らしい眺めが迎えてくれたことでしょう。
また拝ノ峠のあたりには色々な伝承が伝わっていて有名なものでは神武天皇が東征の折に三本足の鳥で今ではJリーグのシンボル八咫烏が道を先導したとされています。他にも鏑矢つがえて鹿を打ちつつ坂を登っただとか天狗の腰掛け岩あたりで申の刻に怪異があり鏑矢で威嚇をしただとか、、、故にこのあたりを別称蕪坂というそうです。鏑矢が蕪に変じたものと思われます。
なんとか拝ノ峠を登りきりました。 雨なので残念な眺望ですが晴れていれば素晴らしい眺めが迎えてくれたことでしょう。 また拝ノ峠のあたりには色々な伝承が伝わっていて有名なものでは神武天皇が東征の折に三本足の鳥で今ではJリーグのシンボル八咫烏が道を先導したとされています。他にも鏑矢つがえて鹿を打ちつつ坂を登っただとか天狗の腰掛け岩あたりで申の刻に怪異があり鏑矢で威嚇をしただとか、、、故にこのあたりを別称蕪坂というそうです。鏑矢が蕪に変じたものと思われます。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 拝ノ峠を登りきり地道を進み、降りに差し掛かったあたりに四十二番目、蕪坂塔下王子があります。
降りに差し掛かりただでさえ滑っていた道行きに危険度が増します。慎重に下っていきます。
拝ノ峠を登りきり地道を進み、降りに差し掛かったあたりに四十二番目、蕪坂塔下王子があります。 降りに差し掛かりただでさえ滑っていた道行きに危険度が増します。慎重に下っていきます。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) しばらく下ると弘法大師が自らの爪を筆代わりに書いたとされる爪書き地蔵のお堂がありました。熊野古道に入ってから何度目かの爪書き地蔵ですが見る限り地蔵様は自然岩に彫られているんですよね!
弘法大師さんはXメンのウルヴァリン並みの爪をもっていた?
なんて罰あたりなことを考えてお地蔵様に適当に手を合わせのがいけなかったのか本当に天罰が、、、、、
この地蔵堂を過ぎてすぐの下り傾斜が結構な斜度なんですが何故か赤く塗られた道で滅茶苦茶に滑ります。
しかも隅にエスケープできる土の場所も無く、必死に姿勢を低くトレシューのエッジを立てて斜めに降りたのですがあえなく転倒(´゚д゚`)腰を強打してしばらく悶絶(T_T)
なんとか立ち上がりさらに慎重に降りましたが二度目の転倒(´゚д゚`)しかも1m程滑落、、、、
今度は腰だけでなく両肘、両手のひらも痛打(TдT)
何より、お気に入りのレインウェアの肘から手首にかけて穴が(ノД`)シクシク
誰もいない山中で思わず「こんな急斜の道!!塗ってどないすんねん(# ゚Д゚)ボケェェェ!!!」
誰に激怒してもしょうがないんですがね(;´Д`)
しばらく下ると弘法大師が自らの爪を筆代わりに書いたとされる爪書き地蔵のお堂がありました。熊野古道に入ってから何度目かの爪書き地蔵ですが見る限り地蔵様は自然岩に彫られているんですよね! 弘法大師さんはXメンのウルヴァリン並みの爪をもっていた? なんて罰あたりなことを考えてお地蔵様に適当に手を合わせのがいけなかったのか本当に天罰が、、、、、 この地蔵堂を過ぎてすぐの下り傾斜が結構な斜度なんですが何故か赤く塗られた道で滅茶苦茶に滑ります。 しかも隅にエスケープできる土の場所も無く、必死に姿勢を低くトレシューのエッジを立てて斜めに降りたのですがあえなく転倒(´゚д゚`)腰を強打してしばらく悶絶(T_T) なんとか立ち上がりさらに慎重に降りましたが二度目の転倒(´゚д゚`)しかも1m程滑落、、、、 今度は腰だけでなく両肘、両手のひらも痛打(TдT) 何より、お気に入りのレインウェアの肘から手首にかけて穴が(ノД`)シクシク 誰もいない山中で思わず「こんな急斜の道!!塗ってどないすんねん(# ゚Д゚)ボケェェェ!!!」 誰に激怒してもしょうがないんですがね(;´Д`)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 気を取り直し痛めた腰を庇いながらなんとか降りた先の集落に四十三番目の山口王子跡の顕彰碑がありました。
この山口王子跡は公園のようになっていてあずま屋や水道が設置されていましたので先程の転倒でできた擦過傷を洗い流し応急処置。レインウェアもついでに破れたあたりの汚れを洗い流しました。
気を取り直し痛めた腰を庇いながらなんとか降りた先の集落に四十三番目の山口王子跡の顕彰碑がありました。 この山口王子跡は公園のようになっていてあずま屋や水道が設置されていましたので先程の転倒でできた擦過傷を洗い流し応急処置。レインウェアもついでに破れたあたりの汚れを洗い流しました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) なんとか今日中に湯浅まで辿りつきたかったのですが、転倒で打った腰が痛むのと拝ノ峠で時間をかけすぎたせいで降りきった時にはとっぷり日が暮れました。次の糸我王子まではなんとか、、、
と、思いましたがヘッデンを忘れてきていました。
なんとか今日中に湯浅まで辿りつきたかったのですが、転倒で打った腰が痛むのと拝ノ峠で時間をかけすぎたせいで降りきった時にはとっぷり日が暮れました。次の糸我王子まではなんとか、、、 と、思いましたがヘッデンを忘れてきていました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 非常用に積んでいた懐中電灯では心許ないのと腰の痛みで戦意喪失(T_T)
熊野古道歴史資料館まで来ましたが来た道を戻ります。
非常用に積んでいた懐中電灯では心許ないのと腰の痛みで戦意喪失(T_T) 熊野古道歴史資料館まで来ましたが来た道を戻ります。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 今日は不本意ながら紀伊宮原駅にて終了といたしました。
今日は不本意ながら紀伊宮原駅にて終了といたしました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 転倒によるレインウェアのダメージ(ノД`)シクシク
リペアテープでいけるかなぁ(・・?
なんだか結構な穴と生地の擦れが出来てます。
転倒によるレインウェアのダメージ(ノД`)シクシク リペアテープでいけるかなぁ(・・? なんだか結構な穴と生地の擦れが出来てます。

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