熊野古道 紀伊路5 糸我王子(有田市)〜高家王子(日高町)

2016.09.19(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
10 時間 47
休憩時間
2 時間 51
距離
29.2 km
のぼり / くだり
823 / 821 m
4
22
6
15
6
15
22
4
25
1
47
8
6
22
8
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9
7
15
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14
2
1 18

活動詳細

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日付けが9月20日になっていますが9月19日の記録です。 昨日の疲れからか大寝坊してしまいました(¯―¯٥) ともあれ電車に揺られること2時間少々で紀伊宮原駅に到着。昨日の続きからのスタートです。 ただでさえ寝坊でスタート遅れてるのにも関わらず昨日廻れなかった熊野古道民族歴史資料館や湯浅の古い街並みでテンション上がって悪い癖が出てみちくさしまくり(笑) 途中でこれはマズイと我に返って昨日の転倒で腰を負傷してるくせに距離を稼ごうと無理をして峠越えしましたが当然途中で日が暮れ思いっきりナイトハイクになってしまいました。 挙句はどんどん天候悪化し最後は暴風雨のおまけ付き。待避していたら雨がマシになるかとしばらく待ちましたが弱まる気配もなく、、、夜間の雨で駅までが時間かかってしまい帰りの電車に間に合わず予定外の宿泊というオチでした(;´д`)トホホ…

熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 大寝坊スタートで紀伊宮原駅に着いたのは昼過ぎ。
(;´∀`)
大寝坊スタートで紀伊宮原駅に着いたのは昼過ぎ。 (;´∀`)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 昨日は暗くてよく見えなかった有田川。
連日の雨のせいか水量多めでした。
昨日は暗くてよく見えなかった有田川。 連日の雨のせいか水量多めでした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 有田川を渡ってしばらくいくと藤原不比等の孫娘、中将姫ゆかりのお寺、得生寺があります。
中将姫はその出生からは考えられない不幸な少女期を過ごした女性で奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を一人で織り上げ若くして入滅したとされ、入滅の際には25ものの菩薩に導かれ極楽浄土へ旅立たれたそうです。
その故事にちなんで毎年5月には25菩薩の面をつけ緋の衣を纏った児童が練り歩く中将姫来迎大会式が営まれるそうです。
有田川を渡ってしばらくいくと藤原不比等の孫娘、中将姫ゆかりのお寺、得生寺があります。 中将姫はその出生からは考えられない不幸な少女期を過ごした女性で奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を一人で織り上げ若くして入滅したとされ、入滅の際には25ものの菩薩に導かれ極楽浄土へ旅立たれたそうです。 その故事にちなんで毎年5月には25菩薩の面をつけ緋の衣を纏った児童が練り歩く中将姫来迎大会式が営まれるそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) その得生寺にあった掲示板の御言葉
山ではまだ拾うほうですが街なかでは中々出来ていませんm(_ _;)m
その得生寺にあった掲示板の御言葉 山ではまだ拾うほうですが街なかでは中々出来ていませんm(_ _;)m
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 得生寺からほどなく糸我の一里塚があります。
一昔前までは立派な松と塚が完全に残る一里塚だったそうですが度重なる台風で樹齢330年の黒松が幹から折れ枯死したそうです。
現在の松は三代目
得生寺からほどなく糸我の一里塚があります。 一昔前までは立派な松と塚が完全に残る一里塚だったそうですが度重なる台風で樹齢330年の黒松が幹から折れ枯死したそうです。 現在の松は三代目
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 一里塚から少し行った先に糸我稲荷神社があり糸我王子社が合祀されています。
糸我稲荷大社の創建は稲荷社の総本山伏見稲荷大社よりも前とされ、それゆえ本朝最初稲荷社と云われているそうです。
一里塚から少し行った先に糸我稲荷神社があり糸我王子社が合祀されています。 糸我稲荷大社の創建は稲荷社の総本山伏見稲荷大社よりも前とされ、それゆえ本朝最初稲荷社と云われているそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 糸我稲荷社の横にある熊野古道歴史民族資料館内部の展示ゾーンです。
熊野古道を歩く参拝者の休憩や熊野古道の資料などが展示されています。
入り口には毘沙門天が拝されていました。
小栗判官からきているのかな?
糸我稲荷社の横にある熊野古道歴史民族資料館内部の展示ゾーンです。 熊野古道を歩く参拝者の休憩や熊野古道の資料などが展示されています。 入り口には毘沙門天が拝されていました。 小栗判官からきているのかな?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 平安期に藤原定家や後鳥羽上皇が何日かけて熊野に詣でたのかが記されていました。
それによると大阪天満橋の八軒屋船着き場から熊野本宮大社まで12日で到着されています。
ムムッかなりの健脚ですねぇ(・_・;)
平安期に藤原定家や後鳥羽上皇が何日かけて熊野に詣でたのかが記されていました。 それによると大阪天満橋の八軒屋船着き場から熊野本宮大社まで12日で到着されています。 ムムッかなりの健脚ですねぇ(・_・;)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 糸我稲荷社からしばらく歩くと山の麓に四十四番目 糸我王子跡の顕彰碑があります。
この山は先の得生寺で触れた中将姫が隠れ住んだとされる雲雀山です。山上には数々の遺跡が残っているそうでいつか登ってみたいですねw
糸我稲荷社からしばらく歩くと山の麓に四十四番目 糸我王子跡の顕彰碑があります。 この山は先の得生寺で触れた中将姫が隠れ住んだとされる雲雀山です。山上には数々の遺跡が残っているそうでいつか登ってみたいですねw
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 糸我王子をすぎると糸我峠にさしかかり登りの地道になります。
木にヘクソカズラが繁茂していました。
糸我王子をすぎると糸我峠にさしかかり登りの地道になります。 木にヘクソカズラが繁茂していました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 七曲りといわれる急な竹藪の登りが続きやっと糸我峠を登りきったところに昔は茶屋があったそうです。この地の名産の蜜柑をもって往来の旅人をもてなしたそうです。
残念ながら今は茶屋も蜜柑が食べれるところもなく、、、(´・ω・`)
七曲りといわれる急な竹藪の登りが続きやっと糸我峠を登りきったところに昔は茶屋があったそうです。この地の名産の蜜柑をもって往来の旅人をもてなしたそうです。 残念ながら今は茶屋も蜜柑が食べれるところもなく、、、(´・ω・`)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 糸我峠からの眺望
あたり一面蜜柑山です。
糸我峠からの眺望 あたり一面蜜柑山です。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) このあたりに時折咲いていたピンクの花。
んー ? サフランモドキ ? 違うかな? ハプランサス ?
このあたりに時折咲いていたピンクの花。 んー ? サフランモドキ ? 違うかな? ハプランサス ?
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 糸我峠を下って北谷池という大きな池を越えると逆川神社があり、ここが逆川王子の跡地とされています。
糸我峠を下って北谷池という大きな池を越えると逆川神社があり、ここが逆川王子の跡地とされています。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 逆川神社境内にあった四十五番 逆川王子の顕彰碑です。
逆川神社境内にあった四十五番 逆川王子の顕彰碑です。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 逆川王子を過ぎて湯浅の町中に入りました。
途中で見つけた楠の枯木です。
逆川の河川工事の際に川底から見つかったそうで推定樹齢800年だそうです。
逆川王子を過ぎて湯浅の町中に入りました。 途中で見つけた楠の枯木です。 逆川の河川工事の際に川底から見つかったそうで推定樹齢800年だそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 湯浅の街並みは素晴らしく古い街並みの中の至るところにこのような史跡があります。
熊野古道の宿場町として栄え、また醤油発祥の地として知られる街並みは国から伝統的建造物群保存地区に指定されました。
湯浅の街並みは素晴らしく古い街並みの中の至るところにこのような史跡があります。 熊野古道の宿場町として栄え、また醤油発祥の地として知られる街並みは国から伝統的建造物群保存地区に指定されました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 江戸時代の町屋を改装して開かれたおやすみ処、立石茶屋さんです。良い雰囲気の店内ではコーヒーやお抹茶、シフォンケーキなどがいただけます。
また色々な醤油や焼き物なども販売されていました。
私はスタンプ押しに立ち寄っただけでしたが、冷たいほうじ茶をご馳走になりました。
感謝_(_^_)_
江戸時代の町屋を改装して開かれたおやすみ処、立石茶屋さんです。良い雰囲気の店内ではコーヒーやお抹茶、シフォンケーキなどがいただけます。 また色々な醤油や焼き物なども販売されていました。 私はスタンプ押しに立ち寄っただけでしたが、冷たいほうじ茶をご馳走になりました。 感謝_(_^_)_
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 湯浅の街並みに引き込まれて写真も取らず長い時間ウロウロしてしまいました(;´Д`)
是非また時間を作って歩きに来たいです。
画像はまたまたあった立体標識w
湯浅の街並みに引き込まれて写真も取らず長い時間ウロウロしてしまいました(;´Д`) 是非また時間を作って歩きに来たいです。 画像はまたまたあった立体標識w
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 後ろ髪を引かれながら湯浅の街を後にして勝楽寺というお寺の向かいあたりに紀伊國屋文左衛門の碑があります。和歌山出身の商人で小商から大豪商までのぼりつめた伝説の人物ですね。
後ろ髪を引かれながら湯浅の街を後にして勝楽寺というお寺の向かいあたりに紀伊國屋文左衛門の碑があります。和歌山出身の商人で小商から大豪商までのぼりつめた伝説の人物ですね。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 紀文の石碑からほどなく四十六番 久米崎王子の顕彰碑がありました。
今は社もなく石碑を残すのみだそうです。
紀文の石碑からほどなく四十六番 久米崎王子の顕彰碑がありました。 今は社もなく石碑を残すのみだそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 久米崎王子をすぎ広川沿いに歩くと大きな絵画が展示されていました。
江戸時代の画家梶尾薫というかたが書き残した江戸時代末期の熊野古道の様子を描いた絵巻物だそうです。
久米崎王子をすぎ広川沿いに歩くと大きな絵画が展示されていました。 江戸時代の画家梶尾薫というかたが書き残した江戸時代末期の熊野古道の様子を描いた絵巻物だそうです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 広川沿いを歩き国道42号線を越えしばらくいくと四十七番 津兼(井関)王子跡の顕彰碑がありました。
阪和自動車がある影響か案内表示に沿って進むと何度もぐるぐると国道と高速の側道を行き来させられ、ここに行き着くのにすごく苦労しました。
もし行かれる人は要注意です。
広川沿いを歩き国道42号線を越えしばらくいくと四十七番 津兼(井関)王子跡の顕彰碑がありました。 阪和自動車がある影響か案内表示に沿って進むと何度もぐるぐると国道と高速の側道を行き来させられ、ここに行き着くのにすごく苦労しました。 もし行かれる人は要注意です。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 津兼王子を過ぎて井関の集落を進みます。
このあたりは熊野古道の宿場として栄えていたので当時の面影を残す旅籠跡となっている民家がたくさんありました。川べりにオシロイバナが咲いていました。
私が幼少の頃にはうちの近辺でもよく見かけたものですが最近はめっきり見なくなりました。
なんだか懐かしい^_^
津兼王子を過ぎて井関の集落を進みます。 このあたりは熊野古道の宿場として栄えていたので当時の面影を残す旅籠跡となっている民家がたくさんありました。川べりにオシロイバナが咲いていました。 私が幼少の頃にはうちの近辺でもよく見かけたものですが最近はめっきり見なくなりました。 なんだか懐かしい^_^
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 旅籠跡の集落を抜け、斜面にたくさんの朱塗りの鳥居と祠がある丹賀大権現社が目につきます。それを越えると四十八番 河瀬王子の顕彰碑があります。
画像ではわかりづらいですが石組みの奥には巨岩が立ち並んでいました。
旅籠跡の集落を抜け、斜面にたくさんの朱塗りの鳥居と祠がある丹賀大権現社が目につきます。それを越えると四十八番 河瀬王子の顕彰碑があります。 画像ではわかりづらいですが石組みの奥には巨岩が立ち並んでいました。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 広川の支流になるのかな(・・?
感じの良い川です。
ぼくの夏休みパートⅡ(笑)
広川の支流になるのかな(・・? 感じの良い川です。 ぼくの夏休みパートⅡ(笑)
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 河瀬王子を過ぎて支流の川沿いを進みます。
このあたりから徐々に登りに差し掛かり大峠、小峠の難所がはじまります。その麓に四十九番目の東の馬留王子跡の顕彰碑です。
名の示す通りここで牛馬を降りて徒で歩いたようです。
河瀬王子を過ぎて支流の川沿いを進みます。 このあたりから徐々に登りに差し掛かり大峠、小峠の難所がはじまります。その麓に四十九番目の東の馬留王子跡の顕彰碑です。 名の示す通りここで牛馬を降りて徒で歩いたようです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 湯浅で遊びすぎたせいで日が暮れて来ました。
それと降ったりやんだりだった雨が本降りになってきました。この山は自然が深いようでナイトハイクしていると結構出くわしました。
突然飛び出してき鹿数頭や私の歩く音に驚いたのか雉の雄が飛び立ったり、鹿が警戒して鳴く鳴き声やそれを追っているのか野犬らしき吠え声が至近でしたりと
スリル満天。
湯浅で遊びすぎたせいで日が暮れて来ました。 それと降ったりやんだりだった雨が本降りになってきました。この山は自然が深いようでナイトハイクしていると結構出くわしました。 突然飛び出してき鹿数頭や私の歩く音に驚いたのか雉の雄が飛び立ったり、鹿が警戒して鳴く鳴き声やそれを追っているのか野犬らしき吠え声が至近でしたりと スリル満天。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 大峠、小峠を登りきると熊野古道で現存する最長の石畳があります。その長さ500m余り。
しかし暗くて滑るのを気にかけるのが精一杯で景色を楽しむ余裕はありませんでした。
大峠、小峠を登りきると熊野古道で現存する最長の石畳があります。その長さ500m余り。 しかし暗くて滑るのを気にかけるのが精一杯で景色を楽しむ余裕はありませんでした。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 石畳をすぎると地道となりしばらく進むと金魚茶屋跡に到達。現存していた頃は川から水をひいて金魚を飼って疲れた旅人を癒やしたそうです。
暗くて当時の面影をみつけることは叶いませんでした。やけに鹿が多いと思ったらこの峠の山は鹿瀬山(シシガセ山)というんですね。
石畳をすぎると地道となりしばらく進むと金魚茶屋跡に到達。現存していた頃は川から水をひいて金魚を飼って疲れた旅人を癒やしたそうです。 暗くて当時の面影をみつけることは叶いませんでした。やけに鹿が多いと思ったらこの峠の山は鹿瀬山(シシガセ山)というんですね。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 金魚茶屋を過ぎてしばらく下ると五十番 沓掛王子跡の顕彰碑があります。昔の人はここで草鞋から沓に履き替えたりしたのでしょうね。
金魚茶屋を過ぎてしばらく下ると五十番 沓掛王子跡の顕彰碑があります。昔の人はここで草鞋から沓に履き替えたりしたのでしょうね。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) だんだん雨がきつくなる中またもや爪書き地蔵の祠があったり後鳥羽上皇が休んだ際に残した歌碑があったり、、、
しかし後鳥羽上皇さん在位中に29回も熊野に詣でたとは驚きです。
だんだん雨がきつくなる中またもや爪書き地蔵の祠があったり後鳥羽上皇が休んだ際に残した歌碑があったり、、、 しかし後鳥羽上皇さん在位中に29回も熊野に詣でたとは驚きです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) しばらく進むと五十一番目 西の馬留王子がありました。峠越え終了ですねw
しかし雨風が非常にきつく、、、というか暴風雨になってきました(;´Д`)
このあとにあるはずの五十二番目の内ノ畑王子がどうしても見つかりませんでした(;´д`)トホホ…
しばらく進むと五十一番目 西の馬留王子がありました。峠越え終了ですねw しかし雨風が非常にきつく、、、というか暴風雨になってきました(;´Д`) このあとにあるはずの五十二番目の内ノ畑王子がどうしても見つかりませんでした(;´д`)トホホ…
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 暴風雨の中なんとか高家王子のある内原王子神社に移動してきました。風で傘の骨を折られそうになり傘もさせないのでレインウェアを着ていてもずぶ濡れです。
暴風雨の中なんとか高家王子のある内原王子神社に移動してきました。風で傘の骨を折られそうになり傘もさせないのでレインウェアを着ていてもずぶ濡れです。
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) お参り兼ねて雨宿りしていると私と同じようにずぶ濡れになった狸が一匹迷い込んで来ました。
写真を撮ろうとスマホを取り出しているうちにプイっと何処かにいってしまいましたΣ(´∀`;)
雨宿りの邪魔をしてしまったようでなんだか申し訳ない、、、
お参り兼ねて雨宿りしていると私と同じようにずぶ濡れになった狸が一匹迷い込んで来ました。 写真を撮ろうとスマホを取り出しているうちにプイっと何処かにいってしまいましたΣ(´∀`;) 雨宿りの邪魔をしてしまったようでなんだか申し訳ない、、、
熊野古道 紀伊路①(山中渓駅~湯浅駅) 待ってても全くおさまるどころか酷くなる一方なので意を決して駅まで移動します。
ここも結構探したのですが案内板だけで顕彰碑を見つけることが出来ませんでした。
先の内ノ畑王子と合わせて五十三番 高家王子もこの内原神社に合祀されているそうですので本殿に参拝したのでこれで参詣といたします。
この後、紀伊内原駅までなんとか行きましたが大阪方面行きの列車が終わっていて途中の日根野までしか行かないことが判明_| ̄|○
やむを得ないので次の御坊駅まで電車に乗り駅前のビジネスホテル泊まりました。
待ってても全くおさまるどころか酷くなる一方なので意を決して駅まで移動します。 ここも結構探したのですが案内板だけで顕彰碑を見つけることが出来ませんでした。 先の内ノ畑王子と合わせて五十三番 高家王子もこの内原神社に合祀されているそうですので本殿に参拝したのでこれで参詣といたします。 この後、紀伊内原駅までなんとか行きましたが大阪方面行きの列車が終わっていて途中の日根野までしか行かないことが判明_| ̄|○ やむを得ないので次の御坊駅まで電車に乗り駅前のビジネスホテル泊まりました。

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