熊野古道 紀伊路6 善童子王子(御坊市)〜叶王子(印南町)

2016.09.20(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
9 時間 19
休憩時間
1 時間 52
距離
28.1 km
のぼり / くだり
370 / 370 m
9 16

活動詳細

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こちらが本当の9月20日のログです。 昨日は暴風雨にやられて已む無く宿泊となりましたが、それもそのはずです。どうも台風16号が和歌山県南部を直撃するルートを取っていたようで台風が前線を刺激したことで暴風雨となっていたようです。しかも今日午後にかけて本体上陸する模様、、 どうするべきか?普段なら間違いなく山にはいきませんが、というか外で遊ぼうなどと考えません(笑 考えられる選択肢は3つ 1:今日は休息日に当てて御坊市に滞在する。 2:日帰り装備なので一旦帰って装備整えて明日出発 3:残りの日程考えると余裕無いので少しでも前進 TVのニュースと窓の外を眺めながら思案。 取った結論は3番少しでも前進でした。 *出来る限り今回の休日で熊野三山に詣でたい。 (今週いっぱいを遅めの夏休みに当てている) 性格上キリの悪い終わり方だとモヤモヤして無理w *幸い風は出てきたが雨は昨日程ではない。 台風直撃の15:00目処に前後を待避できればいけるんじゃないかな? *雨が弱いうちにまずは昨日の続きをやって御坊市内まで来たら最低限必要な装備を整えよう。 山装備は専門店も大型スポーツチェーン店も無いようだから無理。まずはスマホとモバイルバッテリーの充電器。最低限の着換え。洗面具。これだけは御坊市内で調達しよう。 これだけを決めてホテルをチェックアウトし御坊駅から昨日終了した紀伊内原駅まで移動しました。 が!甘かった超甘チャンでした(;´Д`)台風舐めてました。 速度が早まったようで御坊市についた頃には昨日の暴風雨など問題にならないくらいの猛烈な雨と風!!! 橋の上など風が抜ける場所では真っ直ぐに歩くことすらままならない。橋の欄干を抜ける風の音がまるで警報のサイレンか甲高い汽笛のような音が鳴っています。気を張っていても身体が持っていかれること幾度となく、、、、 それでもなんとか家電量販店へ困ったのは私のスマホNexus6Pは接続がCタイプと最新式のため物がほとんど売っていない。やむを得ないので直接AC電源に繋げるアダプターでUSB端子が2口ついたものとUSB↔A端子、USB↔C端子を購入。これでなんとかなるはずです。(結果的に正解でした。) 猛烈な暴風雨のため視界1〜3m程しかない中着換えを求めてシマムラへ(笑)下着とロンTと半袖Tを購入。洗面具はこれ以上ダイソーとか探す気になれなかったので断念して何処かコンビニででも調達します。 両店舗とも全身濡れネズミで町中なのに山の格好した怪しい奴を嫌な顔もせず迎え入れてくれて有難うございました_(_^_)_ ここまで濡れたら一緒と開き直り古道歩き再開。 途中危険な箇所もありましたが自己責任っていうことで黙々歩きます。 上陸予定だった15:00頃には台風が過ぎ去ったようで雨もだんだん小降りになり最後は晴れ間も覗きました。そのおかげで海に沈む夕日を拝むことができました。 難航したのは宿探しで到着した印南町では台風の影響で大規模な停電が起きていたようで片っ端から宿に電話しましたが平日ということもあってどこも営業していないとの返答。 電話して断られた宿の人に聞いてこの状況でも泊めてくれそうな宿を教えてもらい一軒だけ夕も朝も食事無しの素泊まりで良ければと受けて頂きました。 感謝_(_^_)_

熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 昨日終了した紀伊内原駅まで戻って来ました。
まだこの時は風がやや強いが雨はさほどでもなくといった状況。
少し国道42号線を歩き第一萩原踏切を渡り直進すると熊野古道に合流します。
昨日終了した紀伊内原駅まで戻って来ました。 まだこの時は風がやや強いが雨はさほどでもなくといった状況。 少し国道42号線を歩き第一萩原踏切を渡り直進すると熊野古道に合流します。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 本日一つ目 五十五番善童子王子の祠です。
五体王子に次ぐ格式の高い准五体王子だそうです。
面白いのが、年月を重ねる上で名称が変化する王子社はいくつかあったのですが、ここは連同持、田藤次、出王子、出童子、善道子、富安王子と非常に多い。
昔は紙や木簡は高級で口伝が主な伝達手段と考えるとどうも和歌山特有の訛りが作用しているようです。
知ってる人は解ると思いますが和歌山の訛りはざ行をうまく発音しません。だ行になってしまうそうです。
本日一つ目 五十五番善童子王子の祠です。 五体王子に次ぐ格式の高い准五体王子だそうです。 面白いのが、年月を重ねる上で名称が変化する王子社はいくつかあったのですが、ここは連同持、田藤次、出王子、出童子、善道子、富安王子と非常に多い。 昔は紙や木簡は高級で口伝が主な伝達手段と考えるとどうも和歌山特有の訛りが作用しているようです。 知ってる人は解ると思いますが和歌山の訛りはざ行をうまく発音しません。だ行になってしまうそうです。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 続く愛徳山王子は少々難解でした。
善童子王子から道なりに進み民家の前を通る細い舗装路をいくと民家と民家の間に小さな案内板があります。民家の軒下を歩くような畦道で入っていいものか少し躊躇します。
さらに進むと鬱蒼とした竹藪にあたり、その竹藪をどんどん進んだ先にありました。
続く愛徳山王子は少々難解でした。 善童子王子から道なりに進み民家の前を通る細い舗装路をいくと民家と民家の間に小さな案内板があります。民家の軒下を歩くような畦道で入っていいものか少し躊躇します。 さらに進むと鬱蒼とした竹藪にあたり、その竹藪をどんどん進んだ先にありました。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 竹藪内の一画が開けていてそこに五十六番目 愛徳山王子の跡地の石碑が立っていました。
こちらも准五体王子だそうです。
竹藪内の一画が開けていてそこに五十六番目 愛徳山王子の跡地の石碑が立っていました。 こちらも准五体王子だそうです。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 愛徳山王子からもとの熊野古道に戻ってJR紀勢本線側に南下すると吉田八幡神社があります。
ここは宮子姫(髪長姫)にまつわる伝承が残っています。宮子姫とは藤原宮子のことで藤原不比等の娘(養女?)で文武天皇の妃となり聖武天皇を産んだ方で、道成寺建立に大きな影響を及ぼしたとされる人物です。

髪長姫の伝承
①神功皇后の時代、討伐遠征の帰路にこのあたりに逗留され、帰宮に際してお供の者九人をこの地に残され、それぞれに一艇ずつ船を賜られた。
留まった9人の供の者はその船を使って漁業に精を出し少しずつ畑を開墾してこの地に集落をなした。
故にこの地を九海士の里 九艇谷という。ときは流れ、、、(続く)
愛徳山王子からもとの熊野古道に戻ってJR紀勢本線側に南下すると吉田八幡神社があります。 ここは宮子姫(髪長姫)にまつわる伝承が残っています。宮子姫とは藤原宮子のことで藤原不比等の娘(養女?)で文武天皇の妃となり聖武天皇を産んだ方で、道成寺建立に大きな影響を及ぼしたとされる人物です。 髪長姫の伝承 ①神功皇后の時代、討伐遠征の帰路にこのあたりに逗留され、帰宮に際してお供の者九人をこの地に残され、それぞれに一艇ずつ船を賜られた。 留まった9人の供の者はその船を使って漁業に精を出し少しずつ畑を開墾してこの地に集落をなした。 故にこの地を九海士の里 九艇谷という。ときは流れ、、、(続く)
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 吉田八幡神社の本殿。静かな落ち着いた神社です。

②九海士の里長、早鷹と渚夫婦の間には長らく子が出来ませんでした。なんとか子を授かりたいと八幡大神に祈願し続けようやく身籠り女の子を出産する。
八幡宮から授かったので宮と名付け大切に育てました。しかし成長しても宮の頭には一本も毛が生えず両親はずっとそのことを憂いていました。

そんなある年、九海士の里を不漁が襲います。
原因は不漁と前後して現れた内海に見られる怪しい光のせいではないかと噂され、なにかの祟りか天変地異か?誰かを調べにやらせるべきではないか(人身御供?)

そこで渚は宮の頭に毛が生えぬのは前世の宿業であろう。村の皆の助けになるならばと意を決して海中に身を没します。(続く)
吉田八幡神社の本殿。静かな落ち着いた神社です。 ②九海士の里長、早鷹と渚夫婦の間には長らく子が出来ませんでした。なんとか子を授かりたいと八幡大神に祈願し続けようやく身籠り女の子を出産する。 八幡宮から授かったので宮と名付け大切に育てました。しかし成長しても宮の頭には一本も毛が生えず両親はずっとそのことを憂いていました。 そんなある年、九海士の里を不漁が襲います。 原因は不漁と前後して現れた内海に見られる怪しい光のせいではないかと噂され、なにかの祟りか天変地異か?誰かを調べにやらせるべきではないか(人身御供?) そこで渚は宮の頭に毛が生えぬのは前世の宿業であろう。村の皆の助けになるならばと意を決して海中に身を没します。(続く)
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 吉田八幡神社の近くに五十八番 海士王子の小祠があります。別称クワマ、クハマ、クリマなどと呼ばれ、おそらくは九海士(クアマ)が変じたものと思われる。

③あまりの深さに気が遠くなる中、無我夢中で海底を目指し帰って来た渚の髪には黄金に輝く仏様が絡まっていたという。以降九海士の浦は大漁続きとなる。

ある夜、夢枕にその黄金仏が現れ「我、補陀落浄土の観世音也」という、渚は娘の頭髪が生えない不憫を訴え夢からさめ祈祷すると宮に美しい黒髪が生えたという。

年頃に成長した宮の髪は身の丈より長く伸びそれは美しい黒髪であったそうで、いつしか宮は髪長姫と呼ばれるようになり、(経緯は割愛)それが藤原不比等の目に止まり養女として宮仕えするようになり、ときの帝文武天皇の妃となり後に聖武天皇を身籠るわけです。が、宮子は故郷に残した観音像を常に気にかけていて、そのことが帝の耳に入り紀道成という人物に観世音のために寺を建立し霊場とせよと勅命が下ります。
その時の寺が後の道成寺となったそうです。
吉田八幡神社の近くに五十八番 海士王子の小祠があります。別称クワマ、クハマ、クリマなどと呼ばれ、おそらくは九海士(クアマ)が変じたものと思われる。 ③あまりの深さに気が遠くなる中、無我夢中で海底を目指し帰って来た渚の髪には黄金に輝く仏様が絡まっていたという。以降九海士の浦は大漁続きとなる。 ある夜、夢枕にその黄金仏が現れ「我、補陀落浄土の観世音也」という、渚は娘の頭髪が生えない不憫を訴え夢からさめ祈祷すると宮に美しい黒髪が生えたという。 年頃に成長した宮の髪は身の丈より長く伸びそれは美しい黒髪であったそうで、いつしか宮は髪長姫と呼ばれるようになり、(経緯は割愛)それが藤原不比等の目に止まり養女として宮仕えするようになり、ときの帝文武天皇の妃となり後に聖武天皇を身籠るわけです。が、宮子は故郷に残した観音像を常に気にかけていて、そのことが帝の耳に入り紀道成という人物に観世音のために寺を建立し霊場とせよと勅命が下ります。 その時の寺が後の道成寺となったそうです。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 少し寄り道して安珍と清姫の伝説で有名な道成寺に来ました。
道成寺に伝わる安珍、清姫の伝承は有名なのでご存知の方も多いとおもいますが、、、ざっと端折ると

安珍と清姫の物語あらすじ
①千年ほど昔、奥州白川に安珍という若く美男子な山伏がいた。安珍が熊野詣のおり真砂という地で宿を求めた家に清姫という美しい娘がいたが、清姫は安珍に一目惚れをしてしまう。どうしても想いを告げたい清姫は女だてらに夜這いをかけて安珍に妻として娶るよう迫る。仏に使え修行中の身であることから安珍は断るが、頑として聞き入れない清姫に安珍は熊野詣が終わったら必ず戻ると嘘をつき難を逃れる。
少し寄り道して安珍と清姫の伝説で有名な道成寺に来ました。 道成寺に伝わる安珍、清姫の伝承は有名なのでご存知の方も多いとおもいますが、、、ざっと端折ると 安珍と清姫の物語あらすじ ①千年ほど昔、奥州白川に安珍という若く美男子な山伏がいた。安珍が熊野詣のおり真砂という地で宿を求めた家に清姫という美しい娘がいたが、清姫は安珍に一目惚れをしてしまう。どうしても想いを告げたい清姫は女だてらに夜這いをかけて安珍に妻として娶るよう迫る。仏に使え修行中の身であることから安珍は断るが、頑として聞き入れない清姫に安珍は熊野詣が終わったら必ず戻ると嘘をつき難を逃れる。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 山門には荒々しい仁王像が鎮座していました。
立派な山門ですが江戸期に再建されたものだそうで
国の重要文化財の指定を受けています。

②いつまでたっても戻らぬ安珍に偽られたと悟った清姫は髪をふり乱し草履も脱ぎ捨て足から血を流し鬼女のような有様で安珍を追う。
日高川の手前で追いつくが安珍には人違いだと嘘を重ねられ呪文で金縛りにして、さらに逃げる安珍に激怒した清姫は遂にはその身を蛇身に変えて追いかける。
山門には荒々しい仁王像が鎮座していました。 立派な山門ですが江戸期に再建されたものだそうで 国の重要文化財の指定を受けています。 ②いつまでたっても戻らぬ安珍に偽られたと悟った清姫は髪をふり乱し草履も脱ぎ捨て足から血を流し鬼女のような有様で安珍を追う。 日高川の手前で追いつくが安珍には人違いだと嘘を重ねられ呪文で金縛りにして、さらに逃げる安珍に激怒した清姫は遂にはその身を蛇身に変えて追いかける。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 流石にこの天気だと有名な道成寺とはいえ参拝者はいませんでした(;´Д`)
今でも道成寺には鐘も鐘楼もありませんが安珍清姫の伝承の後日譚として伝わる話に事情が描かれています

③道成寺に逃げ込み僧達の知恵で鐘の中に隠れる安珍を蛇となった清姫が火炎を吐き鐘や鐘楼ごと焼き殺してしまう。死してなお蛇道に墜ちるが法華経の功徳によって解脱し報われる。

というお話です。真砂にはまた少し異なる伝承が伝わっています。機会があればまた紐解くとしましょう。
流石にこの天気だと有名な道成寺とはいえ参拝者はいませんでした(;´Д`) 今でも道成寺には鐘も鐘楼もありませんが安珍清姫の伝承の後日譚として伝わる話に事情が描かれています ③道成寺に逃げ込み僧達の知恵で鐘の中に隠れる安珍を蛇となった清姫が火炎を吐き鐘や鐘楼ごと焼き殺してしまう。死してなお蛇道に墜ちるが法華経の功徳によって解脱し報われる。 というお話です。真砂にはまた少し異なる伝承が伝わっています。機会があればまた紐解くとしましょう。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 道成寺から海士王子へ戻り川沿いを西に進み道標に従って重力橋を渡ってしばらくいくと、湯川子安神社があります。

この地を支配していた豪族、湯川氏が開いた神社で名の示す通り子宝、安産の神として有名だそうです。

先の善童子王子が合祀されています。
道成寺から海士王子へ戻り川沿いを西に進み道標に従って重力橋を渡ってしばらくいくと、湯川子安神社があります。 この地を支配していた豪族、湯川氏が開いた神社で名の示す通り子宝、安産の神として有名だそうです。 先の善童子王子が合祀されています。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) この湯川子安神社あたりで台風が本格化してきました。予想よりかなり早い荒天に涙目(T_T)
この湯川子安神社あたりで台風が本格化してきました。予想よりかなり早い荒天に涙目(T_T)
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 湯川子安神社から画像の五十九番 岩内王子までのわずか3kmが今日最も過酷でした。この天候では恐ろしいの一言で画像撮ってる余裕など無く、、、、

県道27号の野口新橋という大きな橋を渡りますが、突風で身体が煽られるので橋の欄干を掴みつつ風に耐えながら渡りました。またサイレンとも警笛とも取れるような普段なら耳を抑えて防ぎたくなるくらい不快な甲高い轟音が鳴り響いています。恐らく強烈な風が橋の下や欄干を抜ける時に発生する音だと思います。

暴風雨が吹き荒れさえぎるものが何もなく真っ直ぐ歩くのも困難なのに雨がきつすぎて顔に当たると痛い。まともに目を開けていられない。さらに河口付近のため波が高く突風で波頭がちぎれて飛んでくるような状態でした。
湯川子安神社から画像の五十九番 岩内王子までのわずか3kmが今日最も過酷でした。この天候では恐ろしいの一言で画像撮ってる余裕など無く、、、、 県道27号の野口新橋という大きな橋を渡りますが、突風で身体が煽られるので橋の欄干を掴みつつ風に耐えながら渡りました。またサイレンとも警笛とも取れるような普段なら耳を抑えて防ぎたくなるくらい不快な甲高い轟音が鳴り響いています。恐らく強烈な風が橋の下や欄干を抜ける時に発生する音だと思います。 暴風雨が吹き荒れさえぎるものが何もなく真っ直ぐ歩くのも困難なのに雨がきつすぎて顔に当たると痛い。まともに目を開けていられない。さらに河口付近のため波が高く突風で波頭がちぎれて飛んでくるような状態でした。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 岩内王子を過ぎて道なりに進み琴の橋を渡り道標に沿って河南中学校前を通過し一つ目の交差点を右(西)へ曲がり道標に従って進むと王子川の手前に塩屋王子神社があります。
岩内王子を過ぎて道なりに進み琴の橋を渡り道標に沿って河南中学校前を通過し一つ目の交差点を右(西)へ曲がり道標に従って進むと王子川の手前に塩屋王子神社があります。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 六十番目の塩屋王子は九十九王子の中でも特に古く格式の高い王子社だったようで、最初にできた七王子のうちの一社とされています。

また別名美人王子と呼ばれていて女性からの信仰が厚い人気の神社なのだそうです。
美人の由来は御神体の天照大神の像が美人であるからとか、海を一望できる美しい景勝地であるからとの説があります。
六十番目の塩屋王子は九十九王子の中でも特に古く格式の高い王子社だったようで、最初にできた七王子のうちの一社とされています。 また別名美人王子と呼ばれていて女性からの信仰が厚い人気の神社なのだそうです。 美人の由来は御神体の天照大神の像が美人であるからとか、海を一望できる美しい景勝地であるからとの説があります。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 塩屋王子からしばらく海沿いの道が続きます。海が近いせいか川のそばだからか蟹がけっこういました。
台風直撃で路も棲み家も荒れてしまったのかな?
塩屋王子からしばらく海沿いの道が続きます。海が近いせいか川のそばだからか蟹がけっこういました。 台風直撃で路も棲み家も荒れてしまったのかな?
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 関西電力の大きな発電所などを見ながら海沿いを延々と進むと清姫の草履塚があります。
昔はこの場所に松の大木があったそうで、中辺路の真砂から安珍を追って来た清姫が松の大木に登り安珍を探すと今にも日高川を渡ろうとしている安珍をみつけ
る。ここで草履を脱ぎ捨てて裸足になって追いかけたとの伝承が残っています。

しっかし日高川までもかなりありますが、真砂からここまですごい距離です(・・;)
関西電力の大きな発電所などを見ながら海沿いを延々と進むと清姫の草履塚があります。 昔はこの場所に松の大木があったそうで、中辺路の真砂から安珍を追って来た清姫が松の大木に登り安珍を探すと今にも日高川を渡ろうとしている安珍をみつけ る。ここで草履を脱ぎ捨てて裸足になって追いかけたとの伝承が残っています。 しっかし日高川までもかなりありますが、真砂からここまですごい距離です(・・;)
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 風はまだ残っていますが雨が上がり晴れ間が覗いて来ました。
このあたり眺望が良いスポットがけっこうあります。
スッキリ晴れていたら気持ちいいでしょうねー
風はまだ残っていますが雨が上がり晴れ間が覗いて来ました。 このあたり眺望が良いスポットがけっこうあります。 スッキリ晴れていたら気持ちいいでしょうねー
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 和歌山高専のユニークな建物を見ながら、さらに海沿いを進み道標に従って民家の間の細い道をいくと上野王子の旧跡とされる仏井戸があります。

井戸の中の石版に阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩の三仏が彫られているそうです。一説では火災によって当時の本地仏が消失したため二度と本地仏に火災で熱い思いをさせないために一枚岩に本地仏を刻んで井戸の底に沈めたのだそうです。

全国的に見ても井戸の中に設置するのは珍しいのだそうです。
和歌山高専のユニークな建物を見ながら、さらに海沿いを進み道標に従って民家の間の細い道をいくと上野王子の旧跡とされる仏井戸があります。 井戸の中の石版に阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩の三仏が彫られているそうです。一説では火災によって当時の本地仏が消失したため二度と本地仏に火災で熱い思いをさせないために一枚岩に本地仏を刻んで井戸の底に沈めたのだそうです。 全国的に見ても井戸の中に設置するのは珍しいのだそうです。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 仏井戸からしばらく進むと江戸前期にこの場所に移ったとされる六十一番 上野王子跡地の顕彰碑です。

多田漁民センターという施設の敷地横にひっそりとありました。うっかりしてると見落としそうです。
仏井戸からしばらく進むと江戸前期にこの場所に移ったとされる六十一番 上野王子跡地の顕彰碑です。 多田漁民センターという施設の敷地横にひっそりとありました。うっかりしてると見落としそうです。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 印南町に入ったあたりで日が暮れて来ました。

ちょうど海岸沿いで海に沈む夕日を拝むことができました。台風直撃で酷い目にあったけど、この素晴らしい夕日と出逢うにはここまで歩いていないと逢えなかったのですから、無理したかいがあったというところですかね(・∀・)
印南町に入ったあたりで日が暮れて来ました。 ちょうど海岸沿いで海に沈む夕日を拝むことができました。台風直撃で酷い目にあったけど、この素晴らしい夕日と出逢うにはここまで歩いていないと逢えなかったのですから、無理したかいがあったというところですかね(・∀・)
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) 日が暮れて画像イマイチですが本日ラスト六十二番目、叶(津井)王子の跡地です。

叶は叶うにかけて願いが叶うとして地元のかたの信仰が厚い王子社だそうです。
日が暮れて画像イマイチですが本日ラスト六十二番目、叶(津井)王子の跡地です。 叶は叶うにかけて願いが叶うとして地元のかたの信仰が厚い王子社だそうです。
熊野古道 紀伊路②(湯浅駅~切目駅) このような高台にあるのですが、台風で枝や石が散乱して荒れた登り口を地元のかたが整備されていました。
頭が下がります_(_^_)_
このような高台にあるのですが、台風で枝や石が散乱して荒れた登り口を地元のかたが整備されていました。 頭が下がります_(_^_)_

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