活動データ
タイム
04:53
距離
9.8km
のぼり
563m
くだり
1409m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る【5日目】 標高2100mのチョムロンからポカラへ帰る。ポカラで一泊してカトマンズのタメル地区へ。 前日宿についてホットシャワーを浴びた後、異様な寒気がわたしを襲ってきました。 あぁ、まずいコレ( ̄□ ̄;) 何か食べ物に当たったのかもしれない。 それよりも水を飲んだのがいけなかったかな。 と色々考えましたが、吐き気はなかったし、症状は酷い頭痛と寒気だけ。 ネパールに来るために結構キツめな仕事を終えて、丸一日の飛行機での移動や、山の上が寒かった事、4日も続けて歩くのは初めてだったので、疲れが溜まっていたのかもしれない(’ω’)これから熱があがるかもと考え、夕食の時間までシュラフに包まり、一眠りしました。 ドアをノックする音に目覚め部屋を出ると、外には宿のお兄ちゃんが。ご飯の時間になっても来ないから起しに来たと話していましたが、 「ちょっと具合悪くて食べられない。ごめん。いらない」と伝えました。 お兄ちゃん、色々と症状を聞いてくるけど、お兄ちゃんには、病状が上手く伝わらず。 その後「おかーさんが具合悪い時はにんにくスープを飲めと言ってた」と言い、器に並々と注がれたにんにくスープを持ってきてくれました。 も、申し訳ない。ありがとうお兄ちゃん。でも・・・・・・このにんにくスープのにおいが強烈で、吐き気を催してしまうわたし(;´Д`A 小さいスープ皿に、大量に入れたにんにくをしばらく煮込んだスープ。汁はどろどろで、濃厚なにんにくスープでした。ネパリたちは高山病予防や病気の時、かならずにんにくスープを飲むそうです。ニンニクは好きですが、ちょっと今はさっぱりしたものが食べたい。もうダメだ。 こんなんじゃ、明日帰れないかも……。 何かを食べようにも食欲がない。日本から持ってきていた、パック詰めの梅干しを数個食べました。 にんにくスープも食べられないわたしを心配したのは宿のおかぁさんで、今度は焚き火で焼いたにんにくとミカンとりんごを持ってきてくれました。 ありがたや。フルーツなら食べられるかも。 おかぁさん、ありがとう。するとおかぁさん「焚き火にあたって、またロキシー飲む?あったまるよ。ご馳走するよ」と。「いやーちょっと今日は無理。寒気あるし、明日歩けなくなるといけないから、もう寝るわ。」と伝えると、沢山毛布を貸してくれました。ありがとう。本当にありがとう。 2階の部屋でひとり、シュラフと二枚の布団に包まれながら、頭痛と寒気と闘っていると、異様な孤独感が襲ってきます(;´Д`A わたし、なんだってこんな所までひとりで来ているんだろう。 なんで辛い思いをしていつも山に登っているんだろう。 全く、毎日の仕事だってなんであんなに忙しいんだろう。もうヤダー(´-`)と。 そんなことを考えていると、ケシャから電話が入りました。「マリー。何処にいるのー?元気ー?ご飯食べたー?俺らは飲んでるよ。」とのこと。「具合悪くなっちゃって、今ひとりで休んでるの。明日帰れなくなっちゃうかも。どうしようー。」ケシャの声を聞いて、ちょっとほっとするわたし。うわーと泣いてしまいました。身体の調子が悪くなると、精神的にも弱くなるようです。 「Hey Mary.今から行くよー。オレはとても足が速いから、一緒に寝てあげるよ。」 「おまえ本当に無理。」 「Wow~~Mary……That hurts! 」 あはは、と笑うわたし。そしてプラバットにも電話を換わってくれ「具合が悪いときはしっかり食べて、よく寝たほうがいいよー。Jpaneseガールはとても強いねー」といわれましたwwなんだそりゃ。 確かに、4日目に川で遭難している人を見つけた時、「マリー、ロープで此処から降りて助けてあげてよ。」と言われましたから(๑•́ ₃ •̀๑) でも、ありがとう。最後まで励まして(ん?)くれました。 「明日ポカラのホテルに着いたら連絡してね」と言われ、その日はすぐに眠れました。 翌日。 夜中に一度も眼が醒めることもなく、朝までぐっすり入眠。結構な汗をかいていたんだと思います。熱はすっかり下がっていて、頭痛も寒気も全く感じず、いつもの調子に戻りました。朝ごはんを注文する際、お兄ちゃんに「昨日はありがとうね」と言ったら、「また日本から来てね。」と笑顔で返答されました。しかもお会計の際、宿代とホットシャワー代とミルクティー代しか請求されていませんでした。おかぁさんも「元気になってよかったから、また遊びに来てねー。」と言う。なんて優しいの。本当にお世話になったし、申し訳なかったので、チップボックスにちょっと多めにチップを入れて、お兄ちゃんにチップをあげて出発しました。 5日目も快晴。 標高が下がってきたので、日中は歩くと汗ばむくらいです。 チョムロンから下は、村が点在していて、民家の庭の中を歩いていくような場所もあったので、迷い込んでしまい、時々進む方向を間違えました。そのたびに村人が道を教えてくれます。ジヌーを通りすぎ、ニューブリッジを抜け、シワイに到着したのは、ちょうどお昼を過ぎた頃。 此処はジープのたまり場なので、これからABCに登る人、降りてきたトレッカーたち、ガイドはいらないかと売り込む現地の人々でにぎわっていました。それほど時間がかからずに降りてくることが出来たので、ちょっとお昼ご飯を食べようとロッジのテラスに座ったら、韓国人の女の子二人組みが「ひとりー?」「今日帰るのー?」と、話しかけてきました。彼女たちは旅の途中でポカラで出逢い、7日間かけてABCを往復し、今日シワイまで戻ってきたとのこと。4日半で行ってきたわたしの話を聞くと、「化け物か!それとも山を仕事にしている人なの?」と驚かれました。違うのよー。時間がなくて、この日程なのよー。と説明すると、「日本人は忙しいからね」と返答されます。 彼女たちのひとりは4日目のABCで、夜中に高山病を発症したようで、その日のうちにMBCまで下ったとのこと。「もう頭が痛くて吐いて吐いて酷かったけど、MBCまで下ったら、嘘みたいになんでもなくなった」と話していました。「わたしは年に4回くらい韓国に遊びに行ってるよー。韓国語もそれで上手くなったよ。東大門のタッカンマリ、いつもひとりで全部食べちゃうくらい好きなの!」と伝えたら、「じゃあ今度、皆で東大門のタッカンマリを食べに行こう!行こう!呑もう!」と話が盛り上がり、そこでメール交換することに。数日後、ひとりは韓国に戻り、仕事を探さなくちゃと話していましたが、もうひとりのアニメ好きのジヨンは、未だポカラでブラブラしているそうです。「羨ましい!!次はヒマラヤ街道に行ったらいいのに」とメールを返したら、「高山病にもなったし、ネパールの飯はまずいから、次はネパールは行かない。次はスペイン巡礼のためにまた働くぞ!」と書かれていました。好きなマイナーなアニメも一緒で、とても気の合う女子です。旅する女子、行動力ハンパないね。こういう子、本当に大好き。 その後わたしは、押し寄せるジープの運転手との、激しい値段交渉合戦を繰り返し……埃っぽいガタボコの登山道を3時間かけて、無事にポカラのホテルまで戻ることが出来ました。プラバットからはゴレパニで温泉に入ったことや、ケシャからはアンナプルナの夜明けの写真がメールで届いていました。彼らも楽しい旅を続けているみたい。日本に戻ってきた今でも、ケシャからは、ガイドしたお客さんたちとの楽しそうな写真が届きます。もちろん、あのキメ顔で。あとはビールを飲んでキレッキレのダンスしてる写真とか、なんか意味不明で返答に困る写真とか……。彼には来年、またトレッキングに行くよと話しています。 (今度はカトマンズからルクラへ飛んで、ナムチェ~ロブチェ~カラパタール5545mへ行きたいと伝えましたが、ガイドでも高山病になるために、日程は余裕を持たないと厳しいそうです。アンナプルナサーキットも素晴らしいよと言われましたが、やはり、比類なきサガルマータをこの眼で観たいのですよね。ケシャの会社ではカトマンからのエア代と宿や3食とティー付きで1500$かかるそうです。た、高いぃぃ。。。と思いましたが、二度目のエヴェレスト登山を目標に働いている友達に聞いたら、カトマン出発のカラパタールまでは、現地で何度もお願いしているトレッキング会社でも1000$はかかるから、全然妥当な値段だといわれました。) もっと面白い、ここでは語れないことも沢山ありましたが、此処は山の記録のSNSなので、あえて省略いたしますΨ( 'ω'* ) わたしのABCまでの旅は、これで、すべて終わりになります。 すべては。 そう、この旅のすべては、たった一通のメールから始まりました。 『そのマムートのフェイスマスク、エヴェレストのてっぺんに連れていったんだよー。』 スノーボード用にフェイスマスクを探していた折、欲しかったマムートのものがネットのフリーマーケットで売られていました。何気なくそれを購入したわたし。そしてそれを売ってくれたのが、高所登山が好きで好きで、そのためだけに働いているという彼でした。ひょんなことからヒマラヤを登っているよと言う話を伺い、世界の山や旅の話しをメールで交わすたび、わたしのヒマラヤへの焦がれはどんどん膨らみ、今日に至るわけであります。今回の旅でも、ポカラやタメルのお奨めのご飯やさんや、地元の酒を沢山教えてもらいました。 山登りを初めてから3年。「不思議」としか表現できない、ひとの繋がりと、様々な素晴らしい出逢いに導かれ、多くの貴重な経験をさせてもらっています。 こんなことがあるから、山登りも、旅もやめられないんですよねヽ(*´з`*)ノ
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