日々山歩・65(中島みゆき)

2017.01.10(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4
休憩時間
0
距離
153 m
のぼり / くだり
4 / 0 m
4

活動詳細

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1976年の夏から秋。 定かではないが。 鹿児島中央駅とは言わず 西鹿児島駅だった。 40年前は。 宮崎の青島や 韓国岳(からくにだけ)を歩いたり 最後は鹿児島の指宿(いぶすき)に 宿泊する予定で 西鹿児島駅前に僕らはいた。 青春してたんだ。 僕らというのは 中村君 笠君 江口君(故人) 僕の四人だった。 (写真があるはず) 西鹿児島駅に着くと 台風がきているらしく 曇天の空に 駅前の木々が揺れていた。 駅前にたたずむ女性がいた。 まさに、 髪をなびかせて 下はジーンズに 上の服装は忘れたが ただ風の中に立っているだけ。 中島みゆきだった。 僕は 「ヤングギター」とか 「ガッツ」とか フォークソング関係雑誌を 愛読していたから。 一瞬で その女性が中島みゆきだと わかった。 久留米出身の笠くんが 「知っとると?」 と聞いた。 「あれ、中島みゆきやん」 僕は答えた。 三人の連れは まだ中島みゆきを知らなかった。 「アザミ嬢のララバイ」が 少し流行っていたか 「時代」がなんか賞をとって 少し有名になりかけた ばかりだったと思う。 はっきりしないが。 笠くんが 「サインばもらってこんね」 笠くんらしい発想である。 僕は、三人を残して 中島みゆきの近くまで 歩いて行った。 「中島みゆきさんですよね?」 「はい」 「頑張ってくださいね」 「ありがとう」 会話はそれだけだった と思う。 本当に中島みゆきは 頑張って今日に至る。 あれから40年の歳月が 流れ過ぎたらしい。 24才だった中島みゆきは 64才になり 21才だった僕は 61才になっている。 中島みゆきは 「一会」の中で 64才らしい風貌を 隠さず曝して見せ。 時には巫女(みこ)のように 神憑り的な パフォーマンスと歌を 表現していた。 https://youtu.be/Fq-cBpMWScQ 知ってる歌は4曲だった。 知らない歌に聞き入った。 なぜなら 彼女は歌を作りつづけているし それを表現しつづけていたから。 瀬尾一三の集めた ミュージシャンたちも かなりの年配者ばかりだった。 なんか元気をもらった。 中島みゆきの唄は 応援歌的な歌が多いんだと はじめて気づいた次第なり。 https://youtu.be/v2SlpjCz7uE

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