活動データ
タイム
07:23
距離
19.0km
のぼり
729m
くだり
725m
活動詳細
すべて見る朝倉街道はよく通るのに、ポポクジラさんの 活動日記で初めて知り、古代・山城と聞けばじっとしてられない❗ 童男丱女岩…怪しげな名は何…❓❓ …っと直ぐに GO go 🎵🎵 天山の登山口入って直ぐに、右の林の中から不気味な音、声… 何と、罠にイノシシがかかっていた。 人家近くのこんな所に出るのか……と、少し気を引き締める❗ 道表示は地元のボランティアの方により、しっかりしている。 少し登ると、童男丱女岩(どうなんかんにょいわ)があり、巨石が人工的に組まれたようだ……秦の始皇帝の命により、徐福が立ち寄ったとの伝説があり、三大巨石の一つだそうです。 前は伐採され、筑紫野市がよく見え、遠く 九千部山、脊振山…等が霞んで見える。 春が近づいているのだろう。 そして、すぐ先に烽火台跡があり、長崎フェートン号事件を契機に設置されたとか…。 帰って調べて見ると、フェートン号事件の後、ロシア船の接近に備え、長崎の烽火山…朝日山(佐賀)~宮地岳(旧天山)~四王司山~しょうけ越を経て豊前小倉領の霧ケ丘(足立山)へ烽火を繋げたとか…。 ただ、実際に使われたかは不明だそうです。 十数年前に長崎の烽火山に登ったことがあり、足立山もあるので、不意なことで歴史の繋がりを感じた。 蘆城(あしき)城の跡にも寄ったが、それを示す痕跡など分からず、また鹿毛馬で見たような神籠石もよく分からなかった。 今後の発掘や整備に期待したい。 下山は中阿志岐の方を採ったが、途中から獣道らしき所に進みちょっと難儀しました。 その後、歩いて天拝山まで足を伸ばした。 天拝山からは宮地岳(旧天山)~四王司山の 間隔が分かり、ショウケ越へと烽火を繋げたのが地形的にもよくわかった。 身近な山でしたが、イノシシと出会い、徐福伝説、フェートン号事件による烽火台の設置…等、歴史の一端にも出会い記憶に残る山行となりました。
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