世界遺産 飛越合掌ライン

2017.02.04(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 6
休憩時間
40
距離
11.5 km
のぼり / くだり
437 / 403 m
3 21

活動詳細

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世界遺産の飛越合掌ラインを参詣訪問 ドライブ&トレック トレック約3.6km 必須アイテムは長靴 雪国では晴れた日にこそ長靴だと知り驚きましたなもし 使用したスマホのカメラアプリ  Vintage Camera(Keen技法)  Chilt-shift Camera Yaycam-Retro 撮影枚数:129枚 相倉では中華人民爆買い集団が大型バスで大挙してました。

人形山 相倉集落。屋根の雪が解け落ちていて少し残念無念でした。
相倉集落。屋根の雪が解け落ちていて少し残念無念でした。
人形山 ユースケ・サンタマリア師匠が開設したショップ「勇助」。ユースケ師匠、こんなところで副業とは。
ユースケ・サンタマリア師匠が開設したショップ「勇助」。ユースケ師匠、こんなところで副業とは。
人形山 合掌造りの便所
合掌造りの便所
人形山 相倉の隣の中畑集落。横浜球団の中畑監督のルーツと思われる。ここから日本海沿岸を北上して新潟を通って福島に入ったのが福島中畑家。福島県西白河郡矢吹町には中畑集落があり。中畑監督も福島県西白河郡矢吹町の出身。
相倉の隣の中畑集落。横浜球団の中畑監督のルーツと思われる。ここから日本海沿岸を北上して新潟を通って福島に入ったのが福島中畑家。福島県西白河郡矢吹町には中畑集落があり。中畑監督も福島県西白河郡矢吹町の出身。
人形山 利賀川第二発電所の美しいホークスホワイトの水路橋。車も渡れます。利賀川第二発電所の近くには小原ダムの小原発電所がある小原集落が。これがクワバタオハラの小原師匠のルーツ。お小夜塚が小原集落にある。お小夜嬢が小原師匠の過去の姿ではないだろうか。「小原師匠、なぜゆえに悲しい恋をなさるのですか?」
利賀川第二発電所の美しいホークスホワイトの水路橋。車も渡れます。利賀川第二発電所の近くには小原ダムの小原発電所がある小原集落が。これがクワバタオハラの小原師匠のルーツ。お小夜塚が小原集落にある。お小夜嬢が小原師匠の過去の姿ではないだろうか。「小原師匠、なぜゆえに悲しい恋をなさるのですか?」
人形山 水路橋から上流方面
水路橋から上流方面
人形山 水路橋から下流方面
水路橋から下流方面
人形山 雪が積もって参拝不可能でした。
雪が積もって参拝不可能でした。
人形山 重文の村上家。愛媛の村上水軍のルーツ。菅沼で愛媛ナンバーに乗った中国人か台湾人がいた。船であちこち移動していた村上水軍の人がそのまま中国や台湾に住み着いたと考えられる。その子孫がルーツを見に来たのかもしれない。
重文の村上家。愛媛の村上水軍のルーツ。菅沼で愛媛ナンバーに乗った中国人か台湾人がいた。船であちこち移動していた村上水軍の人がそのまま中国や台湾に住み着いたと考えられる。その子孫がルーツを見に来たのかもしれない。
人形山 二つの滝上の用水路に挟まれる流刑小屋
二つの滝上の用水路に挟まれる流刑小屋
人形山 雪解け水が溢れ、晴れているのに大雨が降ったときと同じ状態に。南関東ではありえない不思議な情景でした。
雪解け水が溢れ、晴れているのに大雨が降ったときと同じ状態に。南関東ではありえない不思議な情景でした。
人形山 もともと急こう配を落ちる用水路ですが、滝のように。
もともと急こう配を落ちる用水路ですが、滝のように。
人形山 流刑小屋。
流刑小屋。
人形山 ヤクルトグリーンのガード。流刑小屋にわたる橋もヤクルトグリーンの欄干だった。
ヤクルトグリーンのガード。流刑小屋にわたる橋もヤクルトグリーンの欄干だった。
人形山 菅沼の展望コースから庄川と菅沼橋
菅沼の展望コースから庄川と菅沼橋
人形山 雪に映えるジャイアンツオレンジのHITACHI社の建機
雪に映えるジャイアンツオレンジのHITACHI社の建機
人形山 与八
与八
人形山 合掌造りの便所
合掌造りの便所
人形山 山菜とろろそば900円
山菜とろろそば900円
人形山 塩硝の館
塩硝の館
人形山 なぜかポストが。と思いましたが、相倉と同じで実は現役の集落でいまだに人が住んでいる。合掌造りでも民家なんだよね。時代劇の撮影のセットにしか見えないんだが。
なぜかポストが。と思いましたが、相倉と同じで実は現役の集落でいまだに人が住んでいる。合掌造りでも民家なんだよね。時代劇の撮影のセットにしか見えないんだが。
人形山 重文の岩瀬家。この一族が庄川を下りさらに隣の神通川の河口に移り、岩瀬運河や岩瀬港を牛耳り大富豪となった富山岩瀬家である。一部は庄川を遡上し、岐阜、名古屋を通って西尾岩瀬家となり、その流れの中から中日のセーブ王・岩瀬が産まれた。
重文の岩瀬家。この一族が庄川を下りさらに隣の神通川の河口に移り、岩瀬運河や岩瀬港を牛耳り大富豪となった富山岩瀬家である。一部は庄川を遡上し、岐阜、名古屋を通って西尾岩瀬家となり、その流れの中から中日のセーブ王・岩瀬が産まれた。

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