活動データ
タイム
08:29
距離
16.3km
のぼり
1557m
くだり
1829m
活動詳細
すべて見る7:17奥多摩駅7:28 7:54東日原8:04 10:00八丁山10:03 10:40お伊勢山10:45 10:52鞘口のクビレ10:56 11:35ヒルメシクイノタワ11:50 12:25鷹ノ巣山12:55 14:05将門馬場14:15 16:35奥多摩駅 ◾️日原〜八丁山 今週、工期が延長されていた己ノ戸橋補修工事が漸く完了し、日原から鷹ノ巣山への道が再開された。朝の川瀬に一人の釣り人を認めながら橋を渡り、少し登ったところに道標がある。道標に従えば稲村岩を経て鷹ノ巣山へ至る稲村岩尾根となる。ブナの新緑が待ち遠しい。この道標を右に分け入り、枝打ちされた杉の枝をパキパキ言わせながら進むと小屋跡に放置された古錆た釜や薬缶、水瓶などを目にし当時の暮らしをそこに重ねる。そのまま上に登る踏み跡らしきものもあったが、スイッチバックするように割と明瞭な踏み跡へ進む。そのまま進むと尾根の北面に回り込んでしまうようで左頭上に墓石を見つけてよじ登り、その脇から己ノ戸尾根に取り付く。作業道のようだが急な登りでついつい勾配の緩い踏み跡に誘われていくと赤土の広い場所に辿り着いた。ここでコースアウトしてしまったことに気づく。斜面には綺麗な肌色に枯れた藪があり、突っ切れば痛そうなのでここは右に巻く。この辺りはフカフカの落ち葉に覆われおり、やや不安定な足元だった。立ち止まり息を整えていると稲村岩尾根とネズミサス尾根、主の石尾根がよく見えた。今日は久しぶりの山であるため終始ゆっくり歩く。少し登ると鹿よけのフェンスが現れる。ここまでは道が判然としなかったが、この先は尾根伝いに高い方へ高い方へと向かえば迷うことはない。少しの間傾斜は緩むが再びきつい登りに迎えられる。植林帯と自然林の狭間が割と登りやすい。ここを過ぎれば日当たりの良い丸っこい尾根道で、枯れ木越しに北は長沢背稜の山々が顔を覗かせる。予想と異なり風は無く気持ちの良い陽気を感じるが、この先も等高線は詰まっているためオーバーヒートしないようにゆっくりと足を進める。南に鷹ノ巣山の頭が見えるようになると木々の混じる痩せた岩尾根となり、少し進むと真正面に岩場が現れた。両側がスパッと切れ落ちており雪がないことに安堵しながらも慎重に手足を動かし這い上がる。登って来た尾根を見下ろしゾクゾクする。目を転じれば日原渓谷を境に左手の酉谷山から右手の鷹ノ巣山までぐるりと見渡せる、これはと思える好展望があった。足場は狭くのんびりと腰を下ろして、という訳にはいかないのが少し残念だった。しばし痩せ尾根を進み、ひと登りして八丁山の山頂に達する。 ◾️八丁山〜お伊勢山 八丁山の山頂は曲がりくねった木々に覆われた秘密基地のような場所であった。古びてその役目をおろそかにした表札を見て、娘に可愛いやつを作ってもらおうかなどと想う。夏休みの工作としてどうだろうか。山頂を少し外すと雲取山が顔を覗かせていた。山頂から北の斜面を一旦下り、再び尾根へと乗り上げる。鷹ノ巣尾根はその大部分が這うように伸びる痩せ尾根であった。そのお陰で西を向けば己ノ戸谷を挟み地図では図れない天祖山のどっしりとした姿を見ることができる。その奥には石尾根が雲取山で緩やかに終点を迎え、オオダワへ窪み、芋ノ木ドッケへ再びその稜線を持ち上げている。稜線を明確にする青空があってのこの景色を風が撫でていく。ガリガリに痩せていく尾根を辿ると僅かな残雪が見られるようになる。お伊勢山に至るとその表札は前情報通り朽落ちていた。風で飛ばされずにそこにそのままあって安堵した。 ◾️鞘口のクビレ お伊勢山でこの日何度目かの休憩を挟み、鞘口のクビレへ下ると例の遭難慰霊碑があった。 自分もまた、一個の生命であることに気づいた時、「生きててよかった」と思えるのです。… 永田仁志 昭和59年3月16日 巳ノ戸谷にて遭難 大雪のあったこの年、当時高校生だった永田さんが雪崩により遭難された慰霊の碑を目にし、若過ぎるその生涯を偲ばざるを得なかった。稲村岩尾根がまだ新しい径だったその当時、稲村岩取り付きから沢沿いに付けられた己ノ戸林道があり、今いるこの場所で鷹ノ巣尾根と交差し、鷹ノ巣山の北を巻いて鷹ノ巣山西の己ノ戸ノ大クビレに達するのが日原から石尾根への主径だったようである。下手に目をやり日原からこの場所まで当時の痕跡を見つけながらの旧道歩きには惹かれるが、非常に荒廃しているとのこと。振り返り慰霊碑の傍に通行止めの看板が立っているその先が遭難場所であろうか。崩落がひどいと聞き、先を見にいくことはしなかった。この尾根で唯一目にした道標がここ鞘口のクビレにある年季の入ったそれで、己ノ戸ノ大クビレと日原を結んでいた。 ◾️鞘口のクビレ〜ヒルメシクイノタワ〜鷹ノ巣山 鞘口のクビレから徐々に雪が増え、沢山の動物の足跡が目に楽しい。広がってきた尾根にはブナが混じるようになる。ヒルメシクイノタワ直下の登りはとても苦労した。落ち葉の上に積もった雪の急斜面、足の置き場も分からずルートもあったものではない。木々を掴んで時には這うようにして登り切った。相方H氏のかかとのケアが必要になった。登る際につま先に力を入れすぎてかかとが浮いてしまっているのではないかと思う。現に利き足の右踵の方は皮が剥けそうであった。先月購入したという真新しい四本爪の軽アイゼンを履いても同様、足裏全体に体重を乗せて登るイメージを伝えて、山頂までの雪と凍った道へ向けて進む。山頂はもうすぐそこまで来ている。ここで稲村岩尾根を登って来たという一人の初老の男性に出会う。かなり疲れました、高尾山のつもりで来てしまった、こんなに雪が残ってあるなんて、と話し始める男性の手には軍手、足元は綿の白い靴下に防水性の不確かなローカットシューズという格好であった。山頂はすぐそこですよ、と伝えて我々が先に登り始めるも、その男性が気がかりでゆっくりと登り振り向いてはまた登る。アイスバーンで滑っては手を突いており、これはどう見ても危ない。少し戻って今度はこちらから声をかけた。聞けば手袋の替えもない、アイゼンもないと。それでも大丈夫です、と言うがそれを聞いたこちらの不安は増すばかりだった。山頂間近のここに至っては、来た尾根を下りるべきだとも言い難い。下山は奥多摩駅だと言う。石尾根なら雪も危険もあまりないだろうし、なんなら我々と一緒に降りれば良い。遠慮する男性を半ば無理やり座らせて片足にアイゼンを履かせた。そこから男性を先頭に皆でえっちらおっちら登り始める。男性は疲れていたのか途中でルートを外し、雪深い方へと進んで行く。特に口は挟まず、今年の最後のフカフカ雪を少しだけ楽しみながら鷹ノ巣山山頂へと至る。お疲れさまでしたと互いを労ってから休憩の支度をしていると、男性はアイゼンを片手にその礼を告げて、先が長いので一人下山すると言う。石尾根で奥多摩駅へ下山することを念押しで確認し、後で我々もすぐ追いつきますからと言ってそこで一度別れることとなった。昼になり曇り勝ちの天気となってしまっていたが、富士山を眺めながら昼食を摂った。H氏は五度目の登山で五度目の富士山である。 ◾️鷹ノ巣山〜奥多摩駅 泥濘んだ石尾根にうんざりしながらの下山開始となる。水根山、城山、将門馬場と小ピークを踏みながらのゆっくりとした歩調で、まだここまでは届かない春に想いを巡らせる。城山と将門馬場の表札は新しいものに代わっていた。それにしても先ほどの男性の姿は見えてこない。アイゼンを脱いでしまった後の六ツ石山へ向かう北面の滑りやすいトラバース、落ち込む斜面にあの男性の万が一のことを想像し、下方に気を配りながら慎重に進む。六ツ石山へは寄らずに先を急ぐ。三ノ木戸林道の分岐まで来てもなお追いつかないのでこれはおかしいと思う。こちらのペースが遅すぎたのか。連絡先も聞いていなかったため、この不安のようなものの行き着く先はどこにもなかった。どうか怪我なく無事に下山していて欲しいと思いながら、林道へと下りて一路奥多摩駅へ向かった。駅にたどり着くバスから降りてくるハイカーの姿を追うも、あの男性の顔は無かった。澤乃井ワンカップを妻への土産に電車に乗った。 翌日から各種情報を探すも奥多摩エリアでの事故の報せは見つからなかった。H氏の四本爪のアイゼンは手のひらに収まる非常に軽量コンパクトだったで予備として購入した。ザックを肥やすのは嫌いではない。
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。