伊勢西国三十三所観音霊場巡り

2017.04.01(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 42
休憩時間
9
距離
17.4 km
のぼり / くだり
68 / 105 m
29
1 15

活動詳細

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山に行く予定が天候が悪く急遽三十三霊場の残り三霊場の御朱印を頂きに行くことになりました。 残っていた南勢地区の三寺院、 8番継松寺、元9番国束寺、 9番千福寺、に行ってきました。 8番札所 継松寺 通称岡寺観音 山号  岡寺山 寺名  継松寺 御本尊  如意輪観音 宗派  高野山真言宗 お寺の歴史   古く奈良朝の昔、聖武天皇が伊勢神宮へ行基を遣わし、奈良大仏建立の神勅を奉伺せられた。 行基は、事業達成を祈願し本尊に如意輪観音を祀り伊勢地方に四ヵ所の伽藍を建立、 その内、今に残る随一の霊場が継松寺であり日本最初の厄除霊場である。 その後、平安時代の初め、延暦21年(802)弘法大師が当山に逗留された時、不動明王、毘沙門天王を 刻み本尊の脇侍として祀られ、この仏縁により真言宗の寺院となった。  天平勝宝2年(750)大洪水被害のあと、再建なされた継松法師の名にちなみ、寺号を継松寺と称することになる。 天正9年(1581)松阪城主蒲生氏郷より寺地を拝領し、飯高郡石津卿より現在地へ移った。  元9番札所 国束寺 山号  涌福智山 寺名  国束寺 御本尊  十一面観音 宗派  和宗 お寺の歴史  今から、およそ千四百年前、聖徳太子の命により天照大神と素戔嗚尊の胞衣👕が納められて いると言われている国束山頂に、建立されたのが始まりとされている。  聖武天皇、嵯峨天皇の篤い御信仰により、六院百三十二坊を有するまで発展し、弘法大師空海が この地を訪れた祭に、国束山を「胎蔵界曼荼羅の山」と唱讃されたことから、密教の修行道場🙏として 伊勢・朝熊の金剛證寺と並ぶ南伊勢の名刹として栄えました  その後、織田の伊勢攻めにより、山内全堂塔伽藍すべて灰燼と帰されてしまいましたが、 江戸時代に、見明という僧が勢州の古刹である國束寺を再興。 本尊と観音堂、聖天堂は戦災で伽藍を失った大阪四天王寺へ移築。 その他のお堂や建物は、国束山南麓の現在地に移築。  梵鐘 「適打洗心響」 ちょうどよい力でつくとよいおとがします 9番札所 千福寺 通称柳原観音 山号  無量山 寺名  千福寺 御本尊  十一面手引観音 宗派  真言宗 お寺の歴史   推古天皇15年(607)聖徳太子が神勅をうけ一刀三礼彫刻された十一面観世音菩薩霊像を無量山 に一宇を建て安置されたことが始まりである。  「手引観音」の由来  平安後期花山法皇(986天皇退位)が霊告を感得し「是より西国への途次、熊野八鬼山に山賊現れ人々に危害を与えること著し、爾後当山へ参詣の人々は手引して護り、厄難を救い、八鬼退治、願望成就のご利益を与えよう」と誓われた、その時より当山を「手引観音」と称されるようになった。 伊勢西国三十三所観音霊場 巡礼終了  朱印をお願いすると、お話を聞かせてくれる方、面倒臭そうな方お坊さんもいろいろ、

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