長崎市・彦山と一の鳥居・豊前坊 (長崎七高山番外)

2017.06.03(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 14
休憩時間
45
距離
3.6 km
のぼり / くだり
404 / 397 m
33
1 2
30
23

活動詳細

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この3年、七高山廻りをよくしている。 とは言うが、国道沿いの一の鳥居から上ったことがないので、今ひとつスッキリせずの心だった。 そこで、彦山尾根と、セットにした。  豊前坊からの上りは、ヤブランが多くて楽しめた。また枝道も随所に散見された。  下りは、予定の尾根から聖母の騎士園に下りた。ルルドやキリストの銅画に心打たれた。 一の鳥居から飯盛神社豊前坊への参道は階段で、ナルホド、どこのグループも避けるはずだ、と納得。 でも歴史的石碑も多数あり、私はニンマリ。 飯盛神社豊前坊だけでなく、手前の岩倉大明神や水神跡も興味深かった。 来年も、歩くぞ。

長崎市 上り始めの、アジサイ。紫陽花ともオタクサとも。
上り始めの、アジサイ。紫陽花ともオタクサとも。
長崎市 ヤブラン
ヤブラン
長崎市 ヤブランの群生。至る所に散見す。
ヤブランの群生。至る所に散見す。
長崎市 階段左の石碑「質実剛健」。文字の右横に「大正十一(1922)年九月十八日創立」、下に「長崎アルカウ會」、左横に「昭和十三(1938)年十二月十八日二百回登山記念」と刻す。
階段左の石碑「質実剛健」。文字の右横に「大正十一(1922)年九月十八日創立」、下に「長崎アルカウ會」、左横に「昭和十三(1938)年十二月十八日二百回登山記念」と刻す。
長崎市 稜線の石碑「奉書写南無法華経一部」。
稜線の石碑「奉書写南無法華経一部」。
長崎市 すいかずら
すいかずら
長崎市 一番いい展望岩より。女神大橋・奥左香焼(更に高島)・奥右伊王島。手前愛宕山(長崎七高山でお馴染み)、その奥鍋冠山(グラバー園真上か?)
一番いい展望岩より。女神大橋・奥左香焼(更に高島)・奥右伊王島。手前愛宕山(長崎七高山でお馴染み)、その奥鍋冠山(グラバー園真上か?)
長崎市 一番いい展望岩より。中央部に長崎港、稜線中央に稲佐山。
一番いい展望岩より。中央部に長崎港、稜線中央に稲佐山。
長崎市 一番いい展望岩より。稲佐山から女神大橋の稜線。
一番いい展望岩より。稲佐山から女神大橋の稜線。
長崎市 一番いい展望岩より。岩屋山から鳴見山・鳴鼓岳の稜線。
一番いい展望岩より。岩屋山から鳴見山・鳴鼓岳の稜線。
長崎市 中央部は穴(直径1M程)、多分、肥溜め。
中央部は穴(直径1M程)、多分、肥溜め。
長崎市 ルルド。ルルドとは、フランスの地名で、少女ベルナデッタの前に現れたマリアのお告げどおりに、足元の土を掘ると泉が湧き出し、病を治す奇跡の水となったことから、信仰を集める泉のことをいいます。
 コルベ神父は、日本へ向かう途中に、フランスのルルドに訪れました。アジアでもこのようなルルドをつくろうと構想し、眺めもよく自然の豊かな彦山につくりました。
ルルド。ルルドとは、フランスの地名で、少女ベルナデッタの前に現れたマリアのお告げどおりに、足元の土を掘ると泉が湧き出し、病を治す奇跡の水となったことから、信仰を集める泉のことをいいます。 コルベ神父は、日本へ向かう途中に、フランスのルルドに訪れました。アジアでもこのようなルルドをつくろうと構想し、眺めもよく自然の豊かな彦山につくりました。
長崎市 コルベ神父のルルド案内
コルベ神父のルルド案内
長崎市 説明、本河内の「ルルドへの全免償の特典」
説明、本河内の「ルルドへの全免償の特典」
長崎市 喜びの玄義5 聖母、主を聖殿に見出だす
(左側 栄えの玄義、右側 苦しみの玄義)があるが省略。以下同じ
喜びの玄義5 聖母、主を聖殿に見出だす (左側 栄えの玄義、右側 苦しみの玄義)があるが省略。以下同じ
長崎市 喜びの玄義4 主を聖殿に奉献する
喜びの玄義4 主を聖殿に奉献する
長崎市 喜びの玄義3 わが主のご降誕
喜びの玄義3 わが主のご降誕
長崎市 喜びの玄義2 聖母、エリザベットをご訪問
喜びの玄義2 聖母、エリザベットをご訪問
長崎市 喜びの玄義1 聖母おん告をうけたもう
喜びの玄義1 聖母おん告をうけたもう
長崎市 民家にあった「せっこく」
民家にあった「せっこく」
長崎市 国道34号線脇の道標。「英」彦山の表示。
国道34号線脇の道標。「英」彦山の表示。
長崎市 英彦山神社の一の鳥居と大士堂
英彦山神社の一の鳥居と大士堂
長崎市 観世音大士堂の説明板。小森定行著「本河内村の史跡」より。
観世音大士堂の説明板。小森定行著「本河内村の史跡」より。
長崎市 高さ1.8m、幅0.9mの巨大な自然石。十一面観世音大士。文政四辛巳(1821)九月吉日、施主本河内 小森伊之助と刻す。その左に、「妙經一字一石塔」一基。享保十五年庚戌(1730)十二月と刻す。
高さ1.8m、幅0.9mの巨大な自然石。十一面観世音大士。文政四辛巳(1821)九月吉日、施主本河内 小森伊之助と刻す。その左に、「妙經一字一石塔」一基。享保十五年庚戌(1730)十二月と刻す。
長崎市 二の鳥居。
二の鳥居。
長崎市 これから石段ゾー。その入口に安置。弘法大師。
これから石段ゾー。その入口に安置。弘法大師。
長崎市 正一岩倉大明神。大正四(1915)年再建。正面下部に100名ほどの篤志者列記。
正一岩倉大明神。大正四(1915)年再建。正面下部に100名ほどの篤志者列記。
長崎市 丁場大師堂。砕石場(石丁場)跡。石碑「鎮西八十八ヶ所第三十六番(札所)。大正七(1918)年三月吉日創立」
丁場大師堂。砕石場(石丁場)跡。石碑「鎮西八十八ヶ所第三十六番(札所)。大正七(1918)年三月吉日創立」
長崎市 堂左崖。
堂左崖。
長崎市 丁場大師堂の巨大な崖。右下に小さく「弘法大師」坐像あり。
丁場大師堂の巨大な崖。右下に小さく「弘法大師」坐像あり。
長崎市 観世音菩薩他二体並びに釈迦如来の魔崖仏。
観世音菩薩他二体並びに釈迦如来の魔崖仏。
長崎市 不動明王の魔崖仏
不動明王の魔崖仏
長崎市 山神様
山神様
長崎市 洞奥正面に石造りの堂をつくり、弘法大師像(石・坐像)を安置。
洞奥正面に石造りの堂をつくり、弘法大師像(石・坐像)を安置。
長崎市 飯盛神社への参道(山道)に、らしく据わる岩。
飯盛神社への参道(山道)に、らしく据わる岩。
長崎市 水神跡の土神宮。盥社三十五年八月十八日吉日 片渕町二丁目 松崎シゲ 同喜三郎
水神跡の土神宮。盥社三十五年八月十八日吉日 片渕町二丁目 松崎シゲ 同喜三郎
長崎市 キリスト教信者が設置。昭和29年8月吉日
キリスト教信者が設置。昭和29年8月吉日
長崎市 聖観音菩薩像。
聖観音菩薩像。
長崎市 手前弘法大師、奥不動明王。その左側に「水神」と刻す。
手前弘法大師、奥不動明王。その左側に「水神」と刻す。
長崎市 行場新設記念碑。昭和二十七(1952)年一月二十三日寄進により新設。水神様の篤志者を列記。
行場新設記念碑。昭和二十七(1952)年一月二十三日寄進により新設。水神様の篤志者を列記。
長崎市 水が流れる仕掛け
水が流れる仕掛け
長崎市 石灯篭。
石灯篭。
長崎市 長坂石段新設記念碑。昭和二十九(1954)年新設。
長坂石段新設記念碑。昭和二十九(1954)年新設。
長崎市 左側の「長坂石段新設記念碑」(高さ1.70mの自然石)。うた"この長き新しきはしをのほるとき 神のみいつはいよいよ高し" 
左側の「長坂石段新設記念碑」(高さ1.70mの自然石)。うた"この長き新しきはしをのほるとき 神のみいつはいよいよ高し" 
長崎市 三の鳥居と上り階段。平成三(1991)年六月、駐車場拡張のため、現在地へ移転。
左柱に奉 昭和十一(1936)年九月吉日建立。
三の鳥居と上り階段。平成三(1991)年六月、駐車場拡張のため、現在地へ移転。 左柱に奉 昭和十一(1936)年九月吉日建立。
長崎市 下り階段
下り階段
長崎市 参道改修記念碑「紀念 豊前坊神社」(発起人 長崎市榎津町中講義 古川常太郎)
。左側面に、大正辛酉十(1921)年四月廿三日と刻す
参道改修記念碑「紀念 豊前坊神社」(発起人 長崎市榎津町中講義 古川常太郎) 。左側面に、大正辛酉十(1921)年四月廿三日と刻す
長崎市 中央に「蛤石」(長さ0.8m、幅0.5m、厚さ0.3mの蛤に似た自然石)、
右背後の石碑は「蛤石の由来」(高さ1.0m、幅0.55m、厚さ0.3m)、"昔より当山に蛤石のあることを伝説ありしが 昭和二十八年秋発見せり此蛤石の頭をなでて 祈願すれば万病不思議になおる"
左背後の石は「両国関初土俵力験之石」。
中央に「蛤石」(長さ0.8m、幅0.5m、厚さ0.3mの蛤に似た自然石)、 右背後の石碑は「蛤石の由来」(高さ1.0m、幅0.55m、厚さ0.3m)、"昔より当山に蛤石のあることを伝説ありしが 昭和二十八年秋発見せり此蛤石の頭をなでて 祈願すれば万病不思議になおる" 左背後の石は「両国関初土俵力験之石」。
長崎市 「両国関初土俵力験之石」(高さ0.96m、長さ1.2m、重さ100kgをはるかに超す)、右横に"昭和二(1927)年十一月本名太田勇夫二十二才 同行者太田國雄、太田初市、木屋筐三郎"と刻す。両国石は本河内出身。
「両国関初土俵力験之石」(高さ0.96m、長さ1.2m、重さ100kgをはるかに超す)、右横に"昭和二(1927)年十一月本名太田勇夫二十二才 同行者太田國雄、太田初市、木屋筐三郎"と刻す。両国石は本河内出身。

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