岩壁よ おはよう 長谷川恒男さん15歳雪の丹沢

2017.06.13(火) 日帰り

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憧れの長谷川恒男さん、15歳の時の「雪の丹沢」ルート いつかは行ってみたいこのルート いつかのためのメモです 「昭和三十九年元旦、ぼくは雪の丹沢にはじめて出かけることにした。」 中公文庫「岩壁よ おはよう」の中の「雪の丹沢」によると…(以下本文を抜粋) 一日目 蓑毛バス停(あたりはもう真っ暗)…夜道のヤビツ峠…札掛(夜九時半) 山小屋で眠った 二日目 五時起床 六時にまだ暗い長尾尾根を登りはじめた。…もう何回か来ている塔ノ岳を過ぎ、竜ケ馬場で昼食をとった。(そのころから足元の雪はますます多くなり…)蛭ヶ岳から臼ヶ岳までピッチを上げ…金山乗越で真っ暗になった。…突然青ガ岳山荘が見え…まだ六時半。 三日目 午前七時、山荘を出発、石棚山稜を下った。…小川谷から玄倉へ三時間。…下降路を一時間ほど迷ったあげく、やっとのことで箒沢に降りた。… …というルートでした。 最後の一節 「家にたどりついたのは夜中であった。ぐったりと身体は疲れていたが、何か、目に見えない燃料に胸の奥深いところで火がついたような気がした。そして、その日以来、その火は決して消えることがなかった。」 長谷川恒男さんは、山にいなくとも、生き抜くことは冒険だ、と、街に生きるわたしたちにも勇気をくれた、偉大な山人でした。 山そのものになってしまった長谷川さん。いつも泊まる山荘のご主人から、よくそのお人柄を聞かせていただきました。 今でも、いつでも、長谷川さんは山で、わたしたちに語りかけてくれているような気がします。 生き抜くことは冒険だよ、と。

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