奥武蔵の峠路と秩父往還 吾野通り

2017.06.18(日) 日帰り

活動データ

タイム

08:56

距離

19.4km

のぼり

1482m

くだり

1476m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 56
休憩時間
1 時間 50
距離
19.4 km
のぼり / くだり
1482 / 1476 m
6
1 3
45
29
4
3
1
2
20
12
2 36
1 14
5

活動詳細

すべて見る

旧 正丸峠を中心に、サッキョ峠、虚空蔵峠、大野峠の歴史を訪ねて歩いてきました。 秩父と飯能・越生を繋ぐ山越えの道は古くから生活路、交易路、さらに三峰神社や観音霊場への参詣路として歩かれ、幾つもの径路があった。 今回 起点とした旧 正丸峠を越える秩父往還 吾野通り(所沢街道)は江戸時代の享保年間(1720年頃)以降には実用的な道として歩かれており、幾つかある往還の中で、山越えの苦労はあるが 江戸と秩父を結ぶ最短の道として、特に急ぐ場合に利用されていたという。 旧 正丸峠が別名 「秩父峠」と呼ばれていたのも、秩父裏街道上のこの峠の重要性を示している。 今回の日記を含め、この辺りの歴史の詳細や、付近の山の様子については、以下の過去日記に記録しております。 2017年6月18日 梅雨曇りの奥武蔵 旧 正丸峠 虚空蔵峠 大野峠 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961138077&owner_id=12844177 2017年5月4日 奥武蔵 秩父往還 吾野通り 旧 正丸峠と近傍の静かなる山を歩く http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960490482&owner_id=12844177 2017年2月27日 晩冬の奥武蔵 正丸峠から奥武蔵高原の山と峠を歩く http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959195922&owner_id=12844177

武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 西武秩父線 正丸駅は、人気の伊豆ヶ岳に向かうハイカーが多い。
西武秩父線 正丸駅は、人気の伊豆ヶ岳に向かうハイカーが多い。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 国道299号線を外れて、坂元の集落に入る。
国道299号線を外れて、坂元の集落に入る。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 坂元集落の八坂神社
坂元集落の八坂神社
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 子育て地蔵尊と馬頭観音(共に1799年 寛政11年)
子育て地蔵尊と馬頭観音(共に1799年 寛政11年)
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「右 大野  左 秩父」とある石道標。旧 正丸峠越えの秩父往還は左へ。
「右 大野 左 秩父」とある石道標。旧 正丸峠越えの秩父往還は左へ。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 山道に入る前に振り返る。
山道に入る前に振り返る。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 峠路を往来する人馬を見守ったこの馬頭観音は地元では「ままのうえの馬頭さま」と呼ばれていた。
峠路を往来する人馬を見守ったこの馬頭観音は地元では「ままのうえの馬頭さま」と呼ばれていた。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 かつて、巨岩の向かいの台地の上に山の神が祀られていた。
かつて、巨岩の向かいの台地の上に山の神が祀られていた。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 旧 正丸峠。新編武蔵風土記稿によると南沢峠。小丸峠、秩父峠とも呼ばれていた。秩父往還 吾野通りにおける山越えで大きな役割を果たした。
旧 正丸峠。新編武蔵風土記稿によると南沢峠。小丸峠、秩父峠とも呼ばれていた。秩父往還 吾野通りにおける山越えで大きな役割を果たした。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 伊豆ヶ岳と奥武蔵高原を繋ぐ主稜線だが、生憎の曇り空でほとんど人に会わない。
伊豆ヶ岳と奥武蔵高原を繋ぐ主稜線だが、生憎の曇り空でほとんど人に会わない。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 旧 正丸峠とサッキョ峠の間では、岩の下から宋銭を中心とする大量の古銭が発見された。
旧 正丸峠とサッキョ峠の間では、岩の下から宋銭を中心とする大量の古銭が発見された。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 虚空蔵峠こそが古代において重要な役割を果たしていた峠ではないか、と 学者の直良信夫氏は推定している。
虚空蔵峠こそが古代において重要な役割を果たしていた峠ではないか、と 学者の直良信夫氏は推定している。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この虚空蔵菩薩が峠の名の由来だが顔の前面は欠けており、年代も不詳である。
この虚空蔵菩薩が峠の名の由来だが顔の前面は欠けており、年代も不詳である。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 横見山付近のこの緩やかな平地には昭和10年にオープンしたスキー場のゲレンデがあった。(雪不足により数年で閉鎖)。
横見山付近のこの緩やかな平地には昭和10年にオープンしたスキー場のゲレンデがあった。(雪不足により数年で閉鎖)。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 秩父と越生を結ぶ峠越えの人達が牛を休ませた場所だという。緩やかな鞍部となだらかな斜面が広がる。
秩父と越生を結ぶ峠越えの人達が牛を休ませた場所だという。緩やかな鞍部となだらかな斜面が広がる。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「峠」は後付けで、ここに交通路としての古道が越えていたわけではなく、入会地として萱刈場が広がっていたらしい。 文字通り「刈場」として利用されていた事に由来する。
「峠」は後付けで、ここに交通路としての古道が越えていたわけではなく、入会地として萱刈場が広がっていたらしい。 文字通り「刈場」として利用されていた事に由来する。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 昭和10年にスキー場が開かれたが雪不足ですぐに廃業となった。北側は展望の良い斜面で、確かにゲレンデにはふさわしい。
昭和10年にスキー場が開かれたが雪不足ですぐに廃業となった。北側は展望の良い斜面で、確かにゲレンデにはふさわしい。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 今は奥武蔵グリーンライン(産業観光林道)を走るツーリング族やサイクリストで賑わう。
今は奥武蔵グリーンライン(産業観光林道)を走るツーリング族やサイクリストで賑わう。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 かつて「アガリッキリ」と呼ばれ、南麓の芦ヶ久保と北麓の比企郡を結ぶ峠だったが、現在は古道は消滅している。
かつて「アガリッキリ」と呼ばれ、南麓の芦ヶ久保と北麓の比企郡を結ぶ峠だったが、現在は古道は消滅している。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 林道の脇の山道には岩場もある。
林道の脇の山道には岩場もある。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「刈場岳」は樹林に囲まれた静かな佇まいの小ピーク。
「刈場岳」は樹林に囲まれた静かな佇まいの小ピーク。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 大野峠の車道脇の藪の中に忘れ去られた馬頭観世音(1857年)(安政四年)は背の高い自然石で、道標の役割も兼ねていた。かつて秩父と比企を結んだ大野峠の歴史を物語る。
大野峠の車道脇の藪の中に忘れ去られた馬頭観世音(1857年)(安政四年)は背の高い自然石で、道標の役割も兼ねていた。かつて秩父と比企を結んだ大野峠の歴史を物語る。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 秩父往還の芦ヶ久保から分かれて北の大野峠を目指す古道は沢沿いで斜面には巨岩も屹立し、険阻な径路であった事が推定される。1778年(安永七年)の馬頭観音の馬の優しい顔からは、馬方の馬への愛情と供養の手厚さが偲ばれる。
秩父往還の芦ヶ久保から分かれて北の大野峠を目指す古道は沢沿いで斜面には巨岩も屹立し、険阻な径路であった事が推定される。1778年(安永七年)の馬頭観音の馬の優しい顔からは、馬方の馬への愛情と供養の手厚さが偲ばれる。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 馬の表情も愛らしく、温かくて優しい佇まいだ。
馬の表情も愛らしく、温かくて優しい佇まいだ。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この馬頭観音に出会えた事が、この日一番の思い出になりました。
この馬頭観音に出会えた事が、この日一番の思い出になりました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 径路上部の斜面にはこのような大岩がゴロゴロしている。
径路上部の斜面にはこのような大岩がゴロゴロしている。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 一ヶ所だけ、南側の山並みを望む展望地があった。
一ヶ所だけ、南側の山並みを望む展望地があった。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 芦ヶ久保 赤谷の集落。
芦ヶ久保 赤谷の集落。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 南向きの斜面は色とりどりの花で彩られ、養蜂も営まれている。
南向きの斜面は色とりどりの花で彩られ、養蜂も営まれている。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 国道沿いの風化した石仏が秩父甲州往還の歴史を語る。
国道沿いの風化した石仏が秩父甲州往還の歴史を語る。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 芦ヶ久保 中井の集落でも旧 往還を見守る石仏たちが夏草に埋もれていた。
芦ヶ久保 中井の集落でも旧 往還を見守る石仏たちが夏草に埋もれていた。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 国道53号線 初花の集落から甲仁田山を望む。
国道53号線 初花の集落から甲仁田山を望む。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 南沢沿いを登って旧 正丸峠を目指す。
南沢沿いを登って旧 正丸峠を目指す。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 ミツバカエデの大樹の下に「追分の道標」がある。
ミツバカエデの大樹の下に「追分の道標」がある。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 秩父往還 吾野通りと名栗往還の分岐にあたり、「左 江戸 子ノ権現   右 名栗 八王子」とある。
秩父往還 吾野通りと名栗往還の分岐にあたり、「左 江戸 子ノ権現 右 名栗 八王子」とある。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 カエデの樹下には石仏が2体 置かれている。
カエデの樹下には石仏が2体 置かれている。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 首が取れている。どちらの石仏も年代等は不詳。
首が取れている。どちらの石仏も年代等は不詳。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 南沢沿いの径路は自然林に囲まれて鳥の囀ずりと蛙の鳴き声だけが聴こえていた。
南沢沿いの径路は自然林に囲まれて鳥の囀ずりと蛙の鳴き声だけが聴こえていた。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 旧 正丸峠を越えて振り返る。誰にも会わない静かな峠路だった。
旧 正丸峠を越えて振り返る。誰にも会わない静かな峠路だった。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 馬頭観音にこの日の山歩きを無事に終えた事を感謝。
馬頭観音にこの日の山歩きを無事に終えた事を感謝。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 資料によると造立は1755年(宝暦5年)で、吾野では最古の馬頭観音。
資料によると造立は1755年(宝暦5年)で、吾野では最古の馬頭観音。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 石道標は民家の生垣を成す石の一つになってしまい、存在を予め知っていないと気付かない。
石道標は民家の生垣を成す石の一つになってしまい、存在を予め知っていないと気付かない。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 正丸駅に着いた途端、雨が降ってきた。雨レーダーを確認すると、この通り。丹沢に行かず正解だった。
正丸駅に着いた途端、雨が降ってきた。雨レーダーを確認すると、この通り。丹沢に行かず正解だった。

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