一関市・平泉町

出典: Wikipedia

一関市(いちのせきし)は東北地方の中部、岩手県の最南端に位置する、県内第二の人口・面積を擁する市。 【概要】 現在の一関市は、2005年(平成17年)9月20日に7市町村の対等合併で出来た三代目の一関市である 。 合併前の旧一関市を中心市とする一関都市圏は、南の宮城県金成町(現・栗原市の一部)から北の岩手県平泉町などを含む西磐井郡を中心とした地域であった。しかし、実際に合併の対象となったのは、旧一関市の都市圏の範囲ではなく、旧磐井郡(西磐井郡および東磐井郡)の範囲であった。東磐井郡では室根村が気仙沼都市圏に入っており、その他の東磐井郡の自治体も一関都市圏の範囲ではない例がいくつかあり、結果として旧磐井郡全域での合併はならなかったが、広大な市域を持つ自治体となり、宮城県と秋田県に接している。人口は約12万3000人。

このエリアについて

掲載されている山

一関市, 平泉町

  • 田束山

    標高 511 m

    田束山(たつがねさん)とは宮城県本吉郡南三陸町と気仙沼市にまたがる山である。古くから霊峰として栄え、奥州藤原氏も信仰していたといわれる。そのため多数の経塚をはじめとした遺跡も発見されている。藤原秀衡が建立した寂光寺の跡が残る。 標高512mと付近の山の中ではとりわけ高い為、三陸海岸を一望できる。5月に開花する5万本のツツジでも名高く、三陸復興国立公園の飛地となっている。 安中年間黄金文化を開花させた岩手県平泉の藤原秀衡が深くこの田束山を信心し山頂に羽黒山清水寺、中腹に田束山寂光寺、北嶺に幌羽山金峰寺など七堂伽藍、七十余房を造営、「秀衡の子本吉四郎高衡をして山神祭禮を司さとらしむ」と当時の書物に記載されている。田束山経塚が出土したのはこの為である。 その後奥州合戦において奥州藤原氏に由来するという事でこの地も荒廃してしまう。聖人であった満海上人はそれを嘆きつつ、自らも弥勒菩薩に深く帰依し、自ら即身仏(ミイラ仏)となるため入山したのだと伝えられている。また一説には、田束山がキリシタンの焼き討ちにあってまたも荒廃の危機にあった時に、切支丹退散を念じて入定したのだとも伝えられている。 田束山は僧にとって格好の修行の場であった。現在、田束山に登るには麓の樋の口地区から入山するか払川・上沢地区から入山するか二通りあるが当時は主に樋の口地区から入山していた。樋の口(ひのくち)という地区の名前も元々は「僧が山の入り口なので松明に火を点ける入り口」が由来となっている。その古くからの集落である樋の口から田束山に登拝する樋の口御坂の東の沢を「滝の沢」と呼びが、その沢沿いが「行者の道」として現在整備されている。一帯は「東の行場」と呼ばれる修行場だったと伝えられており、「蜘蛛滝」「穴滝」といった滝が見られる(坊ァ墓もこれに由来)。 麓の樋の口には慈覚大師(円仁)作と伝える不動明王像を祀っている荒沢不動尊(樋の口不動尊)がある。南三陸町で5月頃に行われる山頂のツツジの開花にあわせて行われる「つつじ祭り」の際に参拝する観光客も多い。田束山山頂には以前レストハウス(食堂兼連絡所)があったが、老朽化の為、2008年に解体された。山頂に登るには先述した樋の口ルートか払川・上沢ルート、若しくは気仙沼市本吉町小泉ルートの3つがある。徒歩で自然と古来の修行の場を見ながら山頂を目指す場合は樋の口ルートが良く(雨の後は注意が必要。地元の歌津中学校の二年生が行う田束山登山も樋の口ルートである)、自動車で手軽に山頂を目指したい場合は払川・上沢、小泉ルートが適している。

  • 蘭梅山

    標高 150 m

  • 室根山

    標高 894 m

    室根山(むろねさん)は、岩手県一関市室根町にある山。 周囲1495ヘクタールと共に室根高原県立自然公園を形成している。北上高地の南部の独立峰として知られる。標高は894.7m。山頂からは、太平洋を含む360°のパノラマが望める。 春はつつじで山全体がピンク色に染まり、初夏は濃い緑で覆われる。また、秋は紅葉が見られる。冬は、雪のために5合目付近で冬季通行止めになるため、頂上までは上がることが出来ない。

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