萩往還その2(佐々並市〜大内御堀)

出典: Wikipedia

萩往還(はぎおうかん)は、江戸時代に整備された街道の一つ。長門国の城下町である萩(現在の山口県萩市)と周防国三田尻(現在の山口県防府市)とをほぼ直線に結ぶ全長約53km(厳密には52.7km)の街道であった。 【概要】 江戸時代以前から部分的に使われていた道を、関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏(長州藩)が萩城に居を移した後の慶長9年(1604年)に、道幅二間(4m)の重要道路として整備した。城下町萩の唐樋にある札場(高札場)を起点に、明木(萩市)、佐々並(萩市)、山口(山口市)を経由して三田尻に至る。主要街道である西国街道(山陽道)とを結ぶ参勤交代道であると同時に、日本海側の萩と瀬戸内海側の商港であった中関港とを結ぶ役割もあり、石畳・立場・一里塚・往還松などが設けられていた。幕末には志士たちが往来するなどしていたが、明治時代以降は利用者が減って道も荒れ、険しい山道など一部はそのまま廃道となった。

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掲載されている山

萩往還の中央部分

  • 東鳳翩山

    標高 734 m

    東鳳翩山(ひがしほうべんざん)は、山口県山口市と山口県萩市に跨る標高734.2mの山で、中国山地の一部、長門(ながと)山地を代表する山。新日本百名山の一座。 山口市吉敷、萩市佐々並、美祢市美東町綾木の市境に位置する西鳳翩山(標高741.9m)と対を成す山で、東鳳翩山はその秀麗な形から県都山口市のシンボルの一つになっている。旧小郡町から望むと1000m峰のような雄大さを見せ、同郷の出身である岸信介が「吉敷富士」と呼んだという。頂上は数十年前[いつ?]に起こった山火事で木々がなくなったため、山口市やその周辺の山々を360度一望することができる。 登山口は山口市側に2箇所、一の坂ダム上流の公園近くの二ツ堂からのルートと、山口市・萩市境の21世紀の森(県道山口旭線・旧萩往還沿い)からのルートがあり、特に二ツ堂からのルートは80分程度で比較的手軽に登頂できるため、家族向け・初心者向けの登山スポットとして人気がある。西鳳翩山との間は尾根沿いに約8kmの縦走ルートが整備されている。 なお、山口市仁保には東方便山(標高:359.8m)という似た名前の山がある。

  • 小麦ヶ岳

    標高 508 m

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