大和三山(天香久山・畝傍山・耳成山)

出典: Wikipedia

大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。

このエリアについて

掲載されている山

  • 畝傍山

    標高 198 m

    畝傍山(うねびやま)は、奈良盆地南部に位置する山である。かつては「畝火山」、「雲根火山」、「宇禰縻夜摩」とも記され、「慈明寺山」、「御峯山」などと呼ばれることもあった。万葉集の中では「瑞山」(みずやま)とも詠まれた。天香久山、耳成山とともに大和三山と呼ばれ、2005年(平成17年)7月14日には他の2山とともに国の名勝に指定された。標高は198.8メートルと三山の中では最も高い。ただし、山頂にある三等三角点の標高は198.49メートルである。歴史的風土特別保存地区にも指定されている。 畝傍とは「火がうねる」の意味である。田の畝のようにくねくねした尾根を多く持つことから名付けられたともいわれる。瀬戸内火山帯に属しており、古代人がこの山を火山と認識していた可能性も考えられる。事実、頂上近くの緩い傾斜面になっている部分は、黒雲母安山岩から形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩も存在する。ただし、きれいな釣鐘型の火山のような山容を持つが、第三紀に噴出した火山岩が侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形である。噴火時の大きさは現在の2倍以上であったとされる。中腹以下の部分は片麻岩によって形成されている。 江戸時代より以前は、山上に70以上もの寺院があったと指摘されている。現代でも西麓には曹洞宗慈明寺が残る。本寺の傍に畝火山口神社がある。明治に入ってから、国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰で奉斎してきた神武天皇の「御霊」を移したとされる。付近には藤原京跡、飛鳥京跡などの都城跡や数々の古墳がある。 山頂への登山口は、東麓の橿原神宮側と、西麓の畝火山口神社側がある。現在、山頂からは天香久山や耳成山のほか、遠く若草山なども眺望することができ、その山頂には、もとあった畝火山口神社社殿跡が残る。

  • 耳成山

    標高 139 m

    耳成山(みみなしやま)は、奈良盆地の南部に位置する奈良県橿原市にある山。山の標高は139.6メートルだが、山頂にある三角点の標高は139.2メートルである。天香久山、畝傍山とならんで大和三山の一つをなし、最も北に位置する。歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。 山の南部には耳成山公園(5,222平方メートル)が整備され、市民の憩いの場であり春には桜の名所となっている。 この山は第三紀に噴出した火山岩が侵食されてその一部のみが残存した侵食地形である。瀬戸内火山帯に属する独立峰であり、安山岩より形成される。 登山途中、木々の合間から眺望ができる箇所がいくつかあり、同じく大和三山である畝傍山を傍観できる箇所もあるが、山頂は特別な整備はされていないので眺望は全くない。山頂よりやや低い所に耳成山口神社がある。 最寄り駅は近鉄大阪線耳成駅で徒歩約12分。JR桜井線畝傍駅からは北東2キロメートルに位置し、徒歩約16分。近鉄大阪線の大和八木 - 耳成駅間の車中からは、そのほぼ円錐形の耳成山を眺めることができる。この山の形から「耳無し」山(余分なところがない山)といわれる。「耳がない」ことからか、麓にはかつて「口無しの井戸」、「目隠し川」があったとされる。また万葉集には「耳梨山」とも記される。

  • 天香久山

    標高 152 m

    天香久山、天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山、香具山(かぐやま)は、奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる。 歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。 太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる。 藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる。現在、山頂からは畝傍山を望むことができ、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高靇神が祀られている。山の北麓には占いを司る櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とし、境内の波波枷の木が占いに用いられてきた天香山(あまのかぐやま)神社、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社がある。また東側には県立「万葉の森」が造られ、山の南東部には香久山公園(44,084平方メートル)が整備されている。 古代より畝傍山とともに神事にもちいる陶土の採集場所として知られる。天香久山には赤埴と白埴の2種があるとされ、赤埴は山頂の斑れい岩が風化したものとみられている。 「天」を含む「天香久山」と「天香具山」、および「天」を含まない「香久山」と「香具山」の各表記があるが、国土地理院の地図では「天香久山」としており、本記事ではこれに従う。名勝としては「香具山」である。橿原市では地区の名称を「香久山」としており、北北東約2キロメートルに位置する西日本旅客鉄道の桜井線にある駅も香久山駅である。なお、近鉄大阪線の耳成駅も天香久山の北側約2キロメートルに位置する。 膳氏(かしわでうじ)の本拠地にして、聖徳太子妃・膳部菩岐々美郎女の生家である。山の北の地名は膳夫町(かしわてちょう)である。 古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれており、全体で13首に登場する。その中で香久山の表記は香具山、香山、香来山、高山、芳来山、芳山と一定しない。以下に代表的な歌を記す。

  • 忌部山

    標高 101 m

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