真田城址と古民家レストラン「真田の森」

2017.07.09(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 41
休憩時間
2 時間 35
距離
2.0 km
のぼり / くだり
107 / 99 m
3 42

活動詳細

すべて見る

いやあ、暑くなってしまいました。私、暑くなると山行は夏眠状態になってしまいます。 今年もしばらく山は無し、秋になったら穴から這い出してどこかに行こうかと思っていましたが、先日子供同士がユースホステリング仲間の縁で知り合ったTさん御家族から、森の古民家レストラン「真田の森」でランチをとのお誘い。 そのお店は私は知らなかったのですが、カミさんは職場の同僚から聞いたことがある、気になっていたとの話。グルメでいろんなところを食べ歩いているTさん家のお誘いならと、ありがたくお受けしました。 森町で「真田」なら真田城址の近くかと調べてみるとまさにその通り。すぐそばです。 真田城址は前から気になっていた所です。 YAHOO BLOGで遠州から長野、愛知、山梨辺りまで三角点探訪や小国神社周辺の植物探求、さらにオーディオ趣味までのページを持っておられる「低山日和」さんのブログにも真田城址の記録があったのを思い出し、他のサイトの記事も含めて検索してみると,ちょっと面白そう。それなら行ってみようと思い立ちました。 Tさんご夫妻と息子のヒロキ君が10時半に家に迎えに来てくださるとのこと。カミさんの移動はTさんにお任せしてしまい私だけ9時半に自分の車(カミさんは私のクルマと主張していますが)で出発、小国神社前に向かいます。 小国神社しばらく手前、大きなお茶屋(太田茶店)の少し南に真田城址の案内看板。そこから歩き始めます。 鉄製の橋で宮川を渡りルートの案内などありませんが、左右を見渡し右側に行く道が山側に続くからこちらだろうと進みます。 すぐ登り口となり進んで行くと、尾根筋に幅1.5メートル位の登り道が続き、左側は山の斜面ですが右側は明らかに人の手が加わったかと思われる谷地形が現れます。尾根を登りきると道が右側に回り込み、ここにも道と山側の間に溝地形が続いています。これも堀の跡でしょうか?左に回り込んで一登りすると平坦な広場に出ます。ここが真田城の本丸址です 真ん中に石の小さな祠があり、その周りを小さな仏像?(僧形の像)が円を描いて囲んでいます。他に故事を示すようなものは何もなく、ただ林の中に雑草小木が拡がっているばかりです。 真田城は戦国時代この辺りを領有していた武藤氏の支城です。武藤氏は最初今川氏、その後武田氏につき徳川と武田の遠州地方の領有争いに加わり、結局武田氏の没落とともに滅びました。このような小豪族は日本中にいくらでもあったのでしょう。滅んだ武藤氏は山中に茫々たる堀址を残し、たまたま生き残った伊井氏は大河ドラマの主人公となっています。 本丸の登り口まで戻ると前方に堀跡。堀と言っても山中ですから空堀です。東に向って尾根線を切り割った堀底を進むと急斜面が深い谷に落ち込んでいます。斜面をトラバース気味に降る踏み跡を辿って谷底に降りていきます。この東から北に回り込む深い谷が城の守りになっていたのでしょう。降りきると畑が現れ民家の玄関先に入り込んでしまいました。だれもおられないので(すいません)そのまま県道へ出ます。太田茶店のすぐ北側です。これにて真田城探訪は無事終了。 その後車でほん少し南に移動、「真田の森」へ。しばらく待つとTさんご夫妻とヒロキ君、ウチのカミさんが到着、ランチとなります。「真田の森」は「古民家食堂」と自らうたっていますが、建物は古民家というより遠州のごく一般的な農家の造りという感じ。南に広い続き間の和室があり縁側の向こうに庭というか作業場。その向こうには農機具小屋がありまだ現役のようです。私にとっては子供の頃夏休みにいつも行っていた母親の実家がこの通りの雰囲気でとても懐かしい感じです。 最初は私達の他に1組のカップル(ご夫婦か)がおられるだけでしたが、そのうち子供連れの家族が見えられ子供さんたちがはしゃいだり走り回ったりし始めると雰囲気が変わります。 Tさんと「なんか夏休みに親戚の家に遊びに来たみたい」「そうそう」などと話をしています。別に嫌な雰囲気ではなくこちらのグループも美味しく食事しながら盛り上がっているし、ユルユルと時間が流れている感じです。それにしてもヒロキ君は高校二年生なのに話の受け答えもしっかりしているし、学校の勉強も部活動もしっかり取り組んで楽しんでいる様子だし、背も伸びているし、「まあ立派にお成んなすって」と見上げるばかりでした。 食事の内容は写真で見ていただくことにしましょう。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。