関ヶ原の戦いの南宮山を登る

2017.08.19(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 32
休憩時間
53
距離
3.7 km
のぼり / くだり
211 / 375 m
42
37
2

活動詳細

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この夏、北アルプスに泊りがけで出かけようと計画していましたが、 予定と天候のアンマッチが続いて未だに出かけられません。 体もなまっているし、久しぶりの晴天に誘われて、岐阜県の垂井町にある南宮山に登ってきました。 でも、頂上ではなく景色の良い展望台まです。手軽に行けるのでもう3回目になります。 ここは関ヶ原の戦いの際、毛利一族が陣を置いた場所。 山歩きも楽しめて、歴史も感じられるのでお気に入りの山です。

南宮山・象鼻山 山に入ろうとすると、かわいいお出迎え!小鹿のつぶらな瞳で見つめてもらいました。
山に入ろうとすると、かわいいお出迎え!小鹿のつぶらな瞳で見つめてもらいました。
南宮山・象鼻山 初秋の気配が出てきています。
初秋の気配が出てきています。
南宮山・象鼻山 このあたりのつづら折りの坂、歩き始めに加え、高い気温と湿度で案外きついです。
このあたりのつづら折りの坂、歩き始めに加え、高い気温と湿度で案外きついです。
南宮山・象鼻山 でも標高を上げていくと、気温も下がり、風も吹いて快適に。
素敵な森の風景を楽しむ余裕が出てきました。
でも標高を上げていくと、気温も下がり、風も吹いて快適に。 素敵な森の風景を楽しむ余裕が出てきました。
南宮山・象鼻山 新古今集に詠まれた有名な松が立っていた場所だそう。読んだのは小野小町と双璧の伊勢という人らしい。
新古今集に詠まれた有名な松が立っていた場所だそう。読んだのは小野小町と双璧の伊勢という人らしい。
南宮山・象鼻山 登山道のすぐ脇に立派なご神木が。
登山道のすぐ脇に立派なご神木が。
南宮山・象鼻山 さらに高度を上げていくと、小さなお社が・・・木花咲耶姫命が祭神で美濃の水の神様だそうです。たしか木花咲耶姫命は富士浅間神社の祭神。
神話の世界は難しいですね。
さらに高度を上げていくと、小さなお社が・・・木花咲耶姫命が祭神で美濃の水の神様だそうです。たしか木花咲耶姫命は富士浅間神社の祭神。 神話の世界は難しいですね。
南宮山・象鼻山 このところの雨模様のせいか、キノコが元気に群れを成していました。
このところの雨模様のせいか、キノコが元気に群れを成していました。
南宮山・象鼻山 展望台が近づくと砦の遺構があちこちに。
これは敵の横の動きを封じる竪堀です。
展望台が近づくと砦の遺構があちこちに。 これは敵の横の動きを封じる竪堀です。
南宮山・象鼻山 大規模な土塁も見事に残っています。
大規模な土塁も見事に残っています。
南宮山・象鼻山 ここは関ヶ原の戦いの際、毛利の大軍勢が陣を置いた場所です。
ここが砦の主郭部ですが、明らかに人工的な普請の跡があちこちに残っており
興味は尽きません。
ここは関ヶ原の戦いの際、毛利の大軍勢が陣を置いた場所です。 ここが砦の主郭部ですが、明らかに人工的な普請の跡があちこちに残っており 興味は尽きません。
南宮山・象鼻山 展望台からの景色は素晴らしい。
でも見えるのは濃尾平野方面のみ、関ヶ原方面は見えません。
この砦、元々大垣城に立てこもる石田三成の西軍を見張るために構築されたようです。
展望台からの景色は素晴らしい。 でも見えるのは濃尾平野方面のみ、関ヶ原方面は見えません。 この砦、元々大垣城に立てこもる石田三成の西軍を見張るために構築されたようです。
南宮山・象鼻山 名古屋の高層ビル群も見えました。
名古屋の高層ビル群も見えました。
南宮山・象鼻山 この山は昆虫類も豊富でモンキアゲハにも会えました。
夏も終わりなので、傷ついた羽が痛々しいです。
この山は昆虫類も豊富でモンキアゲハにも会えました。 夏も終わりなので、傷ついた羽が痛々しいです。
南宮山・象鼻山 そうそう、この山のふもとには安国寺恵瓊の陣所もありました。
そうそう、この山のふもとには安国寺恵瓊の陣所もありました。
南宮山・象鼻山 ふと気を見上げると、トンボが休憩中。
ふと気を見上げると、トンボが休憩中。
南宮山・象鼻山 この木、何回見ても不思議な形をしています。
この木、何回見ても不思議な形をしています。
南宮山・象鼻山 美濃一之宮「南宮大社」に参拝しました。立派でしょう!
関ヶ原の戦いで焼失しましたが、江戸時代初期に再建され
その多くが重要文化財に指定されています。
美濃一之宮「南宮大社」に参拝しました。立派でしょう! 関ヶ原の戦いで焼失しましたが、江戸時代初期に再建され その多くが重要文化財に指定されています。
南宮山・象鼻山 楼門を通してのこの景色がお気に入りです。
楼門を通してのこの景色がお気に入りです。
南宮山・象鼻山 立派な楼門(正門)があります。これも江戸時代初期のものですが、修理が終わって数年なので新しく見えます。
立派な楼門(正門)があります。これも江戸時代初期のものですが、修理が終わって数年なので新しく見えます。

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