9/12 京都阿弥陀ヶ峰山頂『豊国廟』

2017.09.12(火) 日帰り

活動データ

タイム

00:43

距離

865m

のぼり

102m

くだり

101m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
43
休憩時間
5
距離
865 m
のぼり / くだり
102 / 101 m
12
11

活動詳細

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豊臣秀吉さんの応援に参拝☺️ 秀吉さんを祀った神社として『豊国神社』と言われる神社が、大坂城公園内や京都東山、名古屋の中村区等全国にありますが…… 今現在、秀吉さん本人はそれらの神社にはお見えになりません😢 というか、本人が行きたくても行けないんです。 結論から申しますと、平成の現在、秀吉さんは京都東山阿弥陀ヶ峰山頂にある『豊国廟』にお見えになります🍀 秀吉さんは慶長3年の死後、火葬されること無く伏見城内に安置されてましたが、自身を『新八幡』として京都東山の阿弥陀ヶ峰に祀るようにとの遺命により山頂の『豊国廟』に埋葬、山麓に『新八幡社(今の豊国神社)』に祭神として祀られました。 …が❗️翌慶長4年、朝廷は秀吉さんの意とは相違して『豊国乃大明神』としての神号を、拝殿も『豊国神社』と勝手に命名してしまいます。 因みに神様というのは、祭神としてお社に祀られてしまうと、神様修行に入られます。 人間の願掛け等を効いて修行しながら、立派な神様へと上がって参ります。 神様になってしまえば自由に動く力もありますし、力があるので人々の願掛けも叶えてあげることが出来、益々大きな神社、子分とも言える眷属さんの居る立派な神社の祭神になっていきます。 しかし❗️ 秀吉さんの場合は、本人の意とは相違する神に、しかも豊臣家滅亡後、徳川幕府(家康公)によって強制的に神社は取り壊され、廟も明治時代になるまで放置、つまり300年もの間、鬱蒼としたただの山になってしまい、秀吉さんはたった一人山奥に放置されてしまったんです😢 違う方法で祀られたあげく、神社まで壊されて、秀吉さんは神様になれず、人々が来ませんから神様修行すら出来ず、かといって空海さんのように仏様として祀られて無いので仏の道も歩めません。 神様になる修行ができない、仏の道も歩めない、一度祀られてしまっている為、普通の人のようにまた人間として生まれ変わることも出来ず、何処にも進めない中途半端な存在のまま300年もの月日、時空の狭間に閉じ込められ、荒れ果てた廟に1人ぼっちだったんです😢 でも❗️波動の低いいわゆる幽霊ではありません❗️ 神様修行に入りきれない中途半端な存在なだけですのでおどろおどろしい幽霊ではございませんのでご安心を🍀 歴史上有名な秀吉さんは、豪華絢爛な着物姿で肖像画が教科書にも描かれてますが… 今ここにお見えの秀吉さんは…… 粗末な着物姿で、やつれた30代くらいのお姿です。『晩年は慢心から可哀想な酷い事もしてしまった』と。 後に高野山金剛峯寺で切腹を命じてしまった関白秀頼公の事かと思います。 識子さんが『運玉』という書籍の中で、この『豊国廟』の事、今の秀吉さんの事を書いて以降、北海道から九州まで秀吉さんの事を可哀想に思った全国の方々が、おはぎやお酒、いなり寿司にビール、おにぎり等、沢山のお供えを持って神様修行の応援に来たそうです☺️ そうなんです❗️人が来れば、神様修行に入れるんです❗️ 参拝者のわざわざ遠方から応援に来てくれる、そのピュアな魂の念が、時空の狭間から秀吉さんを引き上げる力となり、また頑張って立派な神様になってくださいね🍀という応援の魂の念が、神様修行に明かりを灯し順当にその道を進んで行けるんです❗️ 私も今日日本酒を持って伺いましたが、廟の辺りもスッキリした空間で、 『せっかく来てくれた参拝者に、蚊も近ずかせないぞ❗️』 という勢いで、秀吉さんは本当に頑張って神様修行に移行してお見えです。 自分をこんな時空に閉じ込めた徳川家の事も、全く恨んでない、むしろそういう時代だったし、自分も多くの家を滅ぼして来たから、した事は返されるという因果法則によって仕方ない、と深く反省してお見えでした。 どうぞお願い致します🙇 もし、ここまで読んで頂いた方々の中で、京都に行ける方がお見えでしたら、どうぞ秀吉さんの神様修行の応援お願い致します🙇 特別に何も『祝詞』や『般若心経』は必要ございません。 唯ただ、廟に向かってパンパンと柏手を打ち、手を合わせ心の中で『神様修行の応援に参りました』と☺️ それだけで秀吉さんは飛び跳ねながら大喜びされ救われます。 神様は一度来た人々を絶対に忘れません。 立派な神様になられれば、今度はきっと助けてくださいます。絶対に☺️ どうぞ、よろしくお願い致します。 因みに、識子さんの本を読んで参拝に来た人の中には…… 『茶々さん』が居たそうです。 本人は前世で自分が茶々さんだった事を、生まれる時に消去されてて気がつかなった様ですが…… 秀吉さんは何度も何度も呼び掛けたそうです😢 当然です、自分の娘です。 弟の秀長さんやお母さまは、高野山奥の院の豊臣家墓地にお見えです。 でも、このまま豊国廟に閉じ込められたままでは動くことも出来ず、弟の秀長さんや母等家族にも会えません。 高野山奥の院の墓地の方には、識子さんが現状の秀吉さんの事を詳しくお話ししてるので、豊国廟で秀吉さんの応援をすると高野山でも豊臣家の皆様から大変喜ばれます。 あの高野山です。 実は300年もの間、豊臣家墓地で毎日兄秀吉の行方を心配していた弟秀長さんの心労を見ていた空海さんが、識子さんを豊国廟へ導き高野山の豊臣家墓地へ行かせたのかと。 (高野山へは10月に伺いますので詳細はまた来月書きます。) 空海さんはユーモアのある優しい仏様です。 豊国廟の秀吉さんの応援参拝をした方には、お四国でも高野山でも、大阪の観心寺、施福寺、京都の神護寺、広島の宮島等ゆかりの地できっとその方を優しく守ってくれます。 お願い致します🙇 もし宜しければ、秀吉さんの神様修行の応援に、どうぞお願い致します🙇 長文失礼致しましたm(_ _)m

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