活動データ
タイム
04:40
距離
9.3km
のぼり
385m
くだり
385m
活動詳細
すべて見るもう2週間前にもなりますが、初冬の晴れ間に倶利伽羅峠に行って参りました。 倶利伽羅峠と言えば、源木曾義仲と平維盛を総大将とする平家軍の間で起きた倶利伽羅合戦があった場所です。 木曾義仲が戦勝祈願した埴生護国八幡宮前の駐車場から、義仲進軍の道を歩き、砂坂を経て礪波山に行き、倶利伽羅不動寺の食堂でうどんを食べ、帰りは歴史国道旧北陸道を通って、若宮古墳を経由して戻る周遊コースを歩きます。 距離は長いですが、3分の2は車道歩きとなり、車が時折走りますので、注意が必要ですね。 途中、お万という女性が人柱になったという埴生大池、今回訪れませんでしたが、義仲本陣跡・源氏ヶ峰の山城跡・芭蕉碑・倶利伽羅合戦戦死者供養碑、歴史国道沿いには天池(巴御前所縁)・茶屋跡など史跡が多数点在します。また、6世紀初頭の前方後円墳があり、歴史探訪を楽しむことができます。 『倶利伽羅合戦』 治承・寿永の乱の一つで、源平合戦で、転換期となる戦いです。 火牛の計で有名ですが、物理的にも不可能とされ、源平盛衰記で記されてる火牛の計は、脚色であろうとされており、史実ではないとされています。 実際は、平家軍が寝静まった頃に奇襲をかけ、不意を突かれた平家軍は大混乱に陥り、谷間へ逃げ込もうとしますが、そこは地獄谷と呼ばれる断崖で、次々と谷底に転落し、下流では膿が流れてきて、死臭が漂ったと言います。その川が、小矢部川支流、膿川です。 木曾義仲は以前は征夷大将軍と云われていた時期もありますが、正しくは征東大将軍だという事です。 旧北陸道は電車の場合、石動駅下車埴生まで徒歩で行きます。約一時間程で、反対側津幡側を下り、倶利伽羅駅まで歩くことになります。
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