奥武蔵 吾野地区 北川のカモシカと石造物

2018.03.11(日) 日帰り

活動データ

タイム

09:11

距離

14.3km

のぼり

992m

くだり

992m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
9 時間 11
休憩時間
1 時間 58
距離
14.3 km
のぼり / くだり
992 / 992 m
54
1 15
4 1
2 22

活動詳細

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2018年3月11日 奥武蔵 吾野の里山と集落を歩いてきました。 高麗川左岸の山中でニホンカモシカに遭遇、三田久保峠からは北川正丸林道に下り、夕方には岩井沢観音堂から高麗川支流の北川沿いの集落を南下しましたが、ここでも別のカモシカに遭遇しました。 奥武蔵では昨年、蔦岩山 東麓で亡骸を目にしましたが、1日で2頭に出会えたのは他の山域含め 初めてで感激です。 (両方の写真をアルバムに載せております) また、北川沿いの集落には江戸時代の石仏や馬頭観音、中世の板碑など石造物が数多くあり、山村の歴史に触れる事ができました。 山行日記 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965811574&owner_id=12844177 0、西武秩父線 西吾野へ 1、チェストバッグ紛失パニック譚 2、天久保山・天久保峠・秋葉山大権現 3、ニホンカモシカとの出会い 4、ヤナゼ・銃声 ・513P 5、三田久保峠の今昔 6、岩井沢観音堂・再びカモシカを目撃

関八州見晴台 今日歩く天久保山がもう見えています。
今日歩く天久保山がもう見えています。
関八州見晴台 西吾野駅 駅舎。
西吾野駅 駅舎。
関八州見晴台 本陣山(442)でしょうか。
本陣山(442)でしょうか。
関八州見晴台 高麗川支流 北川沿いのガイドマップです。
高麗川支流 北川沿いのガイドマップです。
関八州見晴台 邸宅の庭は春の装いでした。
邸宅の庭は春の装いでした。
関八州見晴台 北川道路開鑿記念碑。北川沿いには昭和30年代に車道が開かれたようです。
北川道路開鑿記念碑。北川沿いには昭和30年代に車道が開かれたようです。
関八州見晴台 眼下に山根の集落、右奥は子ノ権現の子ノ山(630)とその近傍の山々です。
眼下に山根の集落、右奥は子ノ権現の子ノ山(630)とその近傍の山々です。
関八州見晴台 尾根に乗ると明瞭な径路が続きます。
尾根に乗ると明瞭な径路が続きます。
関八州見晴台 天久保山(403)。別称「狐塚」。昔は畑井や椚平の雨乞塚だったとの事です。
天久保山(403)。別称「狐塚」。昔は畑井や椚平の雨乞塚だったとの事です。
関八州見晴台 貴重品の入ったチェストバッグの紛失に気付き、藪漕ぎ中に落としたのかと半べそをかきながら出発点に戻ると…、!!単なる置き忘れでした。
貴重品の入ったチェストバッグの紛失に気付き、藪漕ぎ中に落としたのかと半べそをかきながら出発点に戻ると…、!!単なる置き忘れでした。
関八州見晴台 また景色を眺めて仕切り直しの出発です!
また景色を眺めて仕切り直しの出発です!
関八州見晴台 最初の藪漕ぎを避けて、登山詳細図通りの径路を辿りました。
最初の藪漕ぎを避けて、登山詳細図通りの径路を辿りました。
関八州見晴台 天久保山を過ぎるとやがて前方に天久保峠(340)が見えてきました。
天久保山を過ぎるとやがて前方に天久保峠(340)が見えてきました。
関八州見晴台 右の白テープに「秋葉山大権現」とあるので見回してみると…
右の白テープに「秋葉山大権現」とあるので見回してみると…
関八州見晴台 白テープのある小ピークから見ると画面中央奥の細長い立石が碑です。
白テープのある小ピークから見ると画面中央奥の細長い立石が碑です。
関八州見晴台 尾根上から跳ねて少し下ったカモシカがこちらをじっと見ています。
尾根上から跳ねて少し下ったカモシカがこちらをじっと見ています。
関八州見晴台 拡大です。スマホカメラの解像度ではこれが限界です。
拡大です。スマホカメラの解像度ではこれが限界です。
関八州見晴台 スマホカメラ拡大です。まだあどけない表情に見えますね。
スマホカメラ拡大です。まだあどけない表情に見えますね。
関八州見晴台 実際の距離は8m くらいでしょうか。
実際の距離は8m くらいでしょうか。
関八州見晴台 自分が尾根上を移動してもこちらを見ていました。またいつか会おう、元気でな!
自分が尾根上を移動してもこちらを見ていました。またいつか会おう、元気でな!
関八州見晴台 眼下に正丸駅周辺、左は琴平山(600)、中央奥は川越山(780)と正丸山(766)です。
眼下に正丸駅周辺、左は琴平山(600)、中央奥は川越山(780)と正丸山(766)です。
関八州見晴台 詳細図に「ヤナゼ」とある鞍部です。峠の役割があったのかもしれません。
詳細図に「ヤナゼ」とある鞍部です。峠の役割があったのかもしれません。
関八州見晴台 次第に径路が細くなります。
次第に径路が細くなります。
関八州見晴台 露岩帯が現れ、楽しくなってきました。
露岩帯が現れ、楽しくなってきました。
関八州見晴台 なかなかワイルドな雰囲気の場所もありました。
なかなかワイルドな雰囲気の場所もありました。
関八州見晴台 動物が樹間を移動していく気配が何度かありました。
動物が樹間を移動していく気配が何度かありました。
関八州見晴台 正丸駅に下る径路もあります。
正丸駅に下る径路もあります。
関八州見晴台 天狗譚も多い奥武蔵ですが、ここで天狗が休んだ、という伝説でもありそうな岩が尾根上にあります。
天狗譚も多い奥武蔵ですが、ここで天狗が休んだ、という伝説でもありそうな岩が尾根上にあります。
関八州見晴台 北の展望が開けて雲間から陽射しも出ました。
北の展望が開けて雲間から陽射しも出ました。
関八州見晴台 この展望の良い513Pで昼食など大休憩しました。
この展望の良い513Pで昼食など大休憩しました。
関八州見晴台 眼下に見えるのは高麗川沿いの坂元・神平辺りです。
眼下に見えるのは高麗川沿いの坂元・神平辺りです。
関八州見晴台 糞がたっぷりありました。形状からはシカ、カモシカ、サルなどではないのは確かですが、落とし主は誰でしょうか。
糞がたっぷりありました。形状からはシカ、カモシカ、サルなどではないのは確かですが、落とし主は誰でしょうか。
関八州見晴台 正丸と北川を結ぶ「北川正丸林道」です。
正丸と北川を結ぶ「北川正丸林道」です。
関八州見晴台 548P に登ります。
548P に登ります。
関八州見晴台 少し灌木が煩いところがありました。
少し灌木が煩いところがありました。
関八州見晴台 三田久保峠です。昔は付近に猪のヌタ場の池跡があり、「ヌタクボ」が轉訛したものとの事です。三田窪峠とする地図もあります。
三田久保峠です。昔は付近に猪のヌタ場の池跡があり、「ヌタクボ」が轉訛したものとの事です。三田窪峠とする地図もあります。
関八州見晴台 二又の大杉がありました。
二又の大杉がありました。
関八州見晴台 伊豆ヶ岳(中央)。
伊豆ヶ岳(中央)。
関八州見晴台 川越山・松茸山・正丸山が見えます。
川越山・松茸山・正丸山が見えます。
関八州見晴台 青面金剛  駒型浮彫立像の庚申塔。年代不詳。
青面金剛 駒型浮彫立像の庚申塔。年代不詳。
関八州見晴台 北川の岩井沢観音堂。
北川の岩井沢観音堂。
関八州見晴台 庚申塔(宝暦十一年 1761年)。
庚申塔(宝暦十一年 1761年)。
関八州見晴台 昭和45年の狛犬献納記念碑です。
昭和45年の狛犬献納記念碑です。
関八州見晴台 巨木があります。
巨木があります。
関八州見晴台 宝永(1704~1711)・享保(1716~1736)・明和(1764~1772)などの墓碑が並んでいます。
宝永(1704~1711)・享保(1716~1736)・明和(1764~1772)などの墓碑が並んでいます。
関八州見晴台 巨岩の懐に小社が鎮座しています。
巨岩の懐に小社が鎮座しています。
関八州見晴台 北川沿いの家並みです。
北川沿いの家並みです。
関八州見晴台 経文が書いてあるようです。
経文が書いてあるようです。
関八州見晴台 北川左岸の山もいずれは歩いてみたいです。
北川左岸の山もいずれは歩いてみたいです。
関八州見晴台 古い家が並んでいます。
古い家が並んでいます。
関八州見晴台 この造りの家が多いです。
この造りの家が多いです。
関八州見晴台 弁財天(弁才天)。
弁財天(弁才天)。
関八州見晴台 達筆な彫字の馬頭観世音(弘化二年・1845年)。
達筆な彫字の馬頭観世音(弘化二年・1845年)。
関八州見晴台 詳細不詳だが文化年間と読み取れる。
詳細不詳だが文化年間と読み取れる。
関八州見晴台 馬頭観音(天明三年 1783年)。北川 中組講中
十一人。
馬頭観音(天明三年 1783年)。北川 中組講中 十一人。
関八州見晴台 馬頭観音は地区ごとに幾つかの場所に纏めて置かれています。
馬頭観音は地区ごとに幾つかの場所に纏めて置かれています。
関八州見晴台 猫を3匹見かけました。
猫を3匹見かけました。
関八州見晴台 再びニホンカモシカです!
再びニホンカモシカです!
関八州見晴台 昼に見たカモシカより体毛の色が濃く、立派な体構です。
昼に見たカモシカより体毛の色が濃く、立派な体構です。
関八州見晴台 左は大日如来の文字塔(明治元年 1868年)。
右は三面八臂丸彫立像の馬頭観音(明和二年
1765年)。
左は大日如来の文字塔(明治元年 1868年)。 右は三面八臂丸彫立像の馬頭観音(明和二年 1765年)。
関八州見晴台 吾野地区では二番目に古い馬頭観音です。
吾野地区では二番目に古い馬頭観音です。
関八州見晴台 北川 中組講中 十二人によるもので、死馬供養塔との言い伝えがあります。
北川 中組講中 十二人によるもので、死馬供養塔との言い伝えがあります。
関八州見晴台 中世の板碑。鎌倉・室町期が中心で、江戸時代に入ると作られなくなりました。
中世の板碑。鎌倉・室町期が中心で、江戸時代に入ると作られなくなりました。
関八州見晴台 大木の根元に立て掛けられていました。
大木の根元に立て掛けられていました。
関八州見晴台 秋葉神社。
秋葉神社。
関八州見晴台 全て馬頭観音。右端は不詳、二番目と三番目は文化二年 1805年、左端も文化年間のもの。
全て馬頭観音。右端は不詳、二番目と三番目は文化二年 1805年、左端も文化年間のもの。
関八州見晴台 曹洞宗 全昌寺の門。
曹洞宗 全昌寺の門。
関八州見晴台 西武秩父線の線路脇を歩きます。
西武秩父線の線路脇を歩きます。
関八州見晴台 地蔵菩薩(明和元年 1764年)。子育て・病気平癒を願ったものです。
地蔵菩薩(明和元年 1764年)。子育て・病気平癒を願ったものです。
関八州見晴台 高山不動にもいずれは行ってみたいです。
高山不動にもいずれは行ってみたいです。
関八州見晴台 パステルな色合いの家が増えてきました。
パステルな色合いの家が増えてきました。
関八州見晴台 馬頭観音(享和元年 1801年)。舟型浮彫三面六臂立像。地元では歯痛の神といわれたそうです。
馬頭観音(享和元年 1801年)。舟型浮彫三面六臂立像。地元では歯痛の神といわれたそうです。
関八州見晴台 こちらは信号カラーの現代住宅。
こちらは信号カラーの現代住宅。
関八州見晴台 薄闇が立ちこめる中、天久保山を振り返ります。
薄闇が立ちこめる中、天久保山を振り返ります。
関八州見晴台 西吾野駅ホームには誰もいません。飯能行きに乗ります。
西吾野駅ホームには誰もいません。飯能行きに乗ります。

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