活動データ
タイム
05:36
距離
16.6km
のぼり
668m
くだり
612m
活動詳細
すべて見る近鉄滝谷不動駅~滝谷不動明王寺~龍泉寺~淨福寺~楠妣庵観音寺~観心寺~延命寺~南海三日市町駅 今回は、南河内方面の寺院散策に出かけてみました。 車通りも少なく坂道や階段、山道などバリエーションを含んだコースになりました。 やや、中級者向けではありますがノルディックコースとしては、理想的なコースだと思います。 ~今回、お参りした寺院~ 瀧谷不動明王寺(たきだにふどうみょうおうじ) 富田林市にある真言宗智山派の寺院。日本三不動のひとつ。山号は瀧谷山。正式な寺号は明王寺。 本尊は、不動明王(重要文化財)。 平安時代、嵯峨天皇の弘仁12年(西暦821年)に弘法大師が国家の安全と国民の幸せを祈るために開かれた道場である。また、眼病平癒の霊像として信仰されている。 ご開帳(本尊)は、毎月8、18、28日。毎月28日の縁日は多くの人で賑わっている。 また、5月28日は柴燈大護摩供があり、その荘厳さは、日本随一といわれる。 境内自由拝観・各種祈祷受付ている。 龍泉寺(りゅうせんじ) 富田林市龍泉にある高野山真言宗の寺院。山号は牛頭山。本尊は、薬師如来。 推古天皇2年(595)勅命によって、蘇我馬子が創建した寺院。 伝説ではかつて、この寺の境内にある池には悪龍が棲んでいたと伝えられている。 馬子は、人々を救うため聖徳太子と共に仏教の修法を行い寺院を建てて追い払った。 しかししばらくののち、悪龍の報復により境内の池と麓の水脈が枯れてしまい、ついには寺も衰退していていった。 弘仁14年(823年)に空海(弘法大師)がこの地を訪れ、祈祷によって雨水を得て、境内の池には水が湛えられ、この時池の中に3つの小島ができたとされる。空海はこの島に小さな社を建て、聖天、弁才天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守としたという。その池が現在の庭園(国指定名勝)である。 拝観料300円 普段は落ち着いた佇まいだが、8月のお盆の盂蘭盆法要は賑わいをみせている。 詳しくは、TEL (0721)34-3134 まで。 淨福寺(じょうふくじ) 富田林市甘南備にある浄土真宗本願寺派の寺院。 宝永8年(1710)に創建され長く本願寺派の門徒の心の支えとして今日まで至っている。 楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ) 富田林市甘南備にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は峰條山。本尊は千手観音。 河内西国霊場第二十番札所。 元は楠妣庵と観音寺は別々のものであった。 楠木正行が、延元4年/暦応2年(1339年)に崩御した後醍醐天皇を悼み、河内国石川郡甘南備にある峰條山の一角の地を浄め、後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する一殿を建立したのが起源とされる。 1348年(正平3年/貞和4年)に開基とされる正行とその弟正時が四條畷の戦いで討死にした後、二人の母で楠木正成正室の久子も、観音殿と同じ地に草庵を結び隠棲した。 それが後の楠妣庵である。久子は敗鏡尼と称し、念持仏の十一面観音を奉祀して、夫と息子、一族の菩提を弔いつつ、16年間の余生を過ごした。 久子の入寂後、正行の弟楠木正儀は、不二房(藤原藤房卿)行者を住持させて観音殿改め、楠妣庵と合わせて楠妣庵観音寺とし、今日まで至っている。 拝観料200円 観心寺(かんしんじ) 河内長野市にある高野山真言宗の寺院。 山号は檜尾山。本尊は如意輪観音(国宝)。 仏塔古寺十八尊第十三番。 飛鳥時代後期(701年)、役行者によって開創。平安時代、空海により如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えた。 その後、空海は寺の造営を一番弟子の実恵に任せた。その後、真言密教の修行寺院、歴代天皇の祈願所として発展した。 南北朝時代、後醍醐天皇は、楠木正成を奉行として金堂を造営される。そのため境内には、楠木正成ゆかりの首塚や塔などがある。 毎年、4月の17日と18日には秘仏である本尊の御開帳(公開)があり、5月には楠木正成を讃えたお祭り(楠公祭)が行われる。 拝観料300円 延命寺(えんめいじ) 河内長野市の真言宗御室派の寺院。 山号は薬樹山。本尊は、如意輪観音。 弘仁年間(810年~824年)、空海が地蔵の石仏を刻んで本尊としたのが当寺の始まりとされる。寛永16年(1639年)に、この地に生まれた浄厳が伽羅山延命寺に寺号を改め中興する。延宝5年(1677年)、薬樹山延命寺に寺号を改め、本尊も如意輪観音に改められた。 紅葉の名刹として有名で、樹齢1000年とも言われている巨大なカエデ(もみじ)の老木は「夕照もみじ」といい大阪府天然記念物に指定されている。 境内拝観自由。
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