4/6 『神様のシステム』について

2018.03.26(月) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 35
休憩時間
23
距離
14.6 km
のぼり / くだり
1119 / 1117 m
1 8
47
12
1 6

活動詳細

すべて見る

いつも、長〜い長文をご拝読頂き、心からありがとうございます🙇💦 今回は登山日記ではございません。 ご興味無い方はスルーお願い申し上げます🙇 尚、軌跡や写真は、3/25の伊吹山登山翌日に登拝した『比叡山』(3/26登頂)のものであり、写真コメント……本文を書くのに疲れ果て、省略させて頂いてます🌷←オイ さて、前回入道ヶ岳登山の日記に、 『🌿『寺院の"仏様のシステム"🌿』 をご説明させて頂きましたが、 びっくりするくらい沢山のメッセージでご質問を頂きました😓 わたくし如きに、大変恐縮しております🙇 ご質問に共通する点として、 『神社に神様は?』『仏様と神様はどう違うの?』『神様もお一人なのでは?』 等、皆さま『神様』についてのご質問が本当に大多数でしたので、この際ちょっと時間がある今日、わたくしのような未熟な者でございますが、本日は、 ⛩『神社の"神様のシステム"』⛩ について、お話しさせて頂こうと思います。 先づは先にお断りさせて頂きますが、私は神社庁・仏教界関係者ではございませんので、『神社縁起』等で書かれ伝わっている史実とは異なるかと存じますが、自分で見たこと、教えて頂いたことしか書けませんので、私個人の見解としてご拝読頂ければ幸いです。 日本にお見えの神様を大きく二つに分類すると、 『山の神様』と『里の神様』 に分類できます。 『山の神様』は『里の神様』に比べて、神格が高く力も強いのが特徴で、ワンランク上の存在です。 お願い事等の願掛けは、何をお願いしても叶えて頂けますし、神域の高波動で憑き物なども落としてもらえたり、私達の霊格を上げてもらえたりと、今世に生きる人間にとって非常〜にありがたい神様です。 登山していて、誰かにすれ違った時、 『おはようございます』『こんにちは』 『もう少しで山頂ですよ〜』『ようお参り〜』等、 全く見ず知らずの方々でも、本当に気持ちの良い優しいお言葉を掛けて頂けたご経験が必ずおありではないでしょうか? 霊山という神域に身体を置くことで、山神様の高波動に自然と『魂』が磨かれ、知らず知らずに霊格・人格が上がっているからです。 わたしは毎日マイカー出勤ですが、会議や研修等、月に何度かは満員電車に揺られます。あれだけ沢山の人々がどれ程すれ違っても、誰も気持ちの良い挨拶などしません。 これは、霊山という神仏の山に登ると、高い神仏の波動によって、しばらくの間(1週間くらいです)、自分の波動もとても上がっています。 それは、日を追うごとに下がっていき、また自分の波動に戻るからです。 空海さんが教えてくれました。 人間の"身体"は、もともと波動が低いものである。痛い、しんどい、えらい、面倒だという身体のある人間だからこそ、他人に任せよう、人にやらせよう、自分だけ楽しよう、等、低波動の感情を持つものであると。 低波動の元の自分の波動に戻ってしまうと、満員電車や渋滞では我先に前に出たい!遅い車をあおり、自分だけが早く行きたい!等、挨拶どころか、自分中心の生活になってしまいます。自分の娘や息子だけは、イジメられたくない!成績優秀であって欲しい!等、"自分の"という感情も低波動の一つです。 『じゃあ、どうすれば?』 と思われるかと存じますが、 高い波動を頂ける神社仏閣や霊山登山を、繰り返し繰り返し行っているば、自分の平常の波動、ベースの波動・霊格・人格も、少しずつ上がっていきます。 霊格が神仏の高波動の範囲に到達してこれば、見ること、お話しすることが可能な状態になります。 さて、かなり話しがズレましたが🙇💦 『仏様の世界』と『神様の世界』 では、仕組み、システムが全く異なります。 神様と仏様は、根本的な部分で種類が違うんです。 なさってるお仕事も、神界と仏界の様子も、全然違います。 高次元で高波動、尊くてありがたい存在というところは同一ですが、システムが異なります。 本題です。 神社にお見えの神様は『ご祭神』と呼ばれ、大抵何処でも『神社縁起』という由緒書きがあります。 そこには、この神社の神様は誰それであり、いつここに鎮座された、このようなご活躍をされたとか書かれてます。 ご祭神は1柱の場合もありますし、複数の神様を祀っている神社もございます。 そのご祭神が、 『全国あちこちの神社で重なってます❗️』 天照大神(アマテラスオオカミ)や、 素盞嗚尊(スサノオノミコト)、 大国主命(オオクニヌシノミコト)、 等などは、本当に何処の神社でも目にするお名前ではないでしょうか? ここで前回の『仏様のシステム』を思い出してください。 仏様本体は、必ずお一人です。 全国にある仏像が、性格の異なる『窓口』であり、何処の寺院の仏像でも道が繋がっていれば、同一の仏様に手を合わせている事になります。 じゃあ、神社の場合、 同じお名前のご祭神であれば、全国複数の神社から同じ神様に向かって手を合わせている事に? というと、実はココが違います❗️ まず、神社⛩というところには、 "必ず"本体である神様がお見えです。 どこか違う場所にいる神様に通じているだけの単なる『窓口』、支店のような状態の神社はございません❗️ 神様の"誰かが"必ず実際に鎮座されています。 そして、神様は一度鎮座されると、 鎮座されたその神社1箇所にずっといます。仏様本体のように、あちこちの神社を掛け持ちしているという事は、絶対にありません。 ですので、例えば、 『天照大神』がご祭神となっているホント全国何処にでもある『神明神社』さんは沢山あっても、本当に天照大神が居る1箇所を除いて、他は違う神様がいる❗️ という事です。 もう一度言います。 天照大神がご祭神となっている他の神社には、天照大神はいませんが、 別の本物の"神様本体"が、それぞれ鎮座なさっているわけです。 ご質問の中で一番多く聞かれた事ですが 『桔梗さん!じゃあ、由緒に書かれているご祭神と、本当にいる神様は違うんですか?』 と。 結論から言いますと、違います。 と言いますか、ほとんど大部分が違うのではないかと思います。 でも違っていたところで、 ありがたい高波動の神様が実際にいらっしゃるわけです。 わたしは、別にご祭神のお名前にこだわらなくて良いのでは?と思っております。 また、次にご質問が多かった事ですが、 由緒書きの神社縁起には、どこどこの大きな有名神社から勧請された神様がご祭神ですと、よく目にします。 勧請と聞くと、元となる大きな神社にいる神様の『分霊』をお招きして祀っている、という考え方、捉え方が一般的ですが… アメーバやゾウリムシのように、 細胞分裂するような感じで、本体の神様がちょっこっと分裂して、その分裂したコピーのような神様が来るの? と思われている方も多かったですが、 全くそうではございません❗️ 勧請されると、 大もとの呼ばれた『主祭神本体』ではなく、その神社にいる"別の神様"が直接来ます‼️ これは、3/5の北野天満宮さんの日記でも書きましたが、 分かりやすいように、この『天満宮』さんでご説明致します。 天満宮という事は、ご祭神は『菅原道真公』神様です。 道真公神様ご本体は、太宰府にお見えになります。 いろんなパターンがありますが、 ここでは基本的に、道真公や全国の天満宮の神様方が実際に参拝に来ている人間を見て、優れた人格である!素晴らしい霊格である!とその霊能力を認めて、死んだのち神様修行をしなさい、と神様の方から(正確には、その下の者達から)『スカウト』されます。 道真公神様や、全国の天満宮の神様方に選ばれた元人間は、長い年月を神様修行に励み、晴れて神様レベルになられます。 そして太宰府以外の地方で、天満宮が創設されて勧請された時に、道真公神様の代わりに、もしくは、太宰府天満宮の代表として直接その勧請された天満宮へ行き、ずっとその天満宮に鎮座なされます。 ここで注意をするべきは、 神様修行を行うのは、あくまで『道真公神様のもと』で行われます。東北の天満宮の神様にスカウトされた元人間でも、関東の天満宮の神様にスカウトされた元人間でも、全て道真公のお見えになる『太宰府』で、神様修行が行われます。 太宰府でメインの神様である道真公神様の波動、気をまとった神様となりますので、 大もとの神様と"気"やご利益などは全く一緒で、違いはございません。 地方の天満宮の神様が、『道真公神様の代わりに来た。』と言わなければ、 パッと見、その"気"や"波動"からは代理という事は気付かないレベルです。 よくご質問の中に、 『前に桔梗さんが手を合わせない方が良い神社もある、と言ってた日記がありましたが……この神社、私大好きで毎日拝んでます…拝んで大丈夫でしょうか?写真見てください!』 と。 実際に伺ってみないと、波動など分からないのがほとんどですが、写真でも分かる"気の色"があります。 上記は例えで天満宮さんのお話しを書きましたが、 天満宮さんには全て『道真公神様の気』 神明神社さんには全て『伊勢内宮の気』 稲荷社さんには全て『伏見稲荷の気』 八幡神社さんには全て『宇佐八幡の気』 熊野神社さんには全て『熊野本宮の気』 という、『メインの大もとの神様の"気"』が必ずございます。 その大もとの神様のもとで神様修行をなさっているからです。 その気の色を見て、写真からでも、 『あ!○○神社と書いてあるけど、これは伏見稲荷のお稲荷様の気の色!だから、ここはお稲荷さんがお見えです!』 とか分かるんです。 道真公神様や天満宮の神様方、 宇佐八幡神宮の神様や八幡神社の神様方、 内宮の神様や神明神社の神様方は、 あくまでも『里の神様』であり、 病気を治す、家内安全、出世、学業成就、交通安全、癌を消す、作物の豊作、子孫繁栄、縁結び等くらいの願掛けは簡単に叶えますが、 山岳系神様のような、人生を変える、決めて生まれてきた目標を変えると言った、そこまで強い力は、里の神様はお持ちになっておりません。 ちなみにですが、財運や金運。 これは『お稲荷様』の専門分野です。 いくら『里の神様』『山の神様』にお願いしても、叶えては頂けませんので。 大きな神社で神様修行された方々がお見えになる以外に、他のパターンとして多いのが、 勧請された時、力のある眷属が代わりに行く事も多いです。 力のある眷属は、もう既にかなり神格が上がってますので、行った先で修行をして、そこで神様になります。 修行中とはいえ、力のある眷属です。 人間のお願いごとくらいを叶える霊力は十分に持っておられます。 先程、お稲荷さんのことを書きましたが、 実は日本に一番お社の数が多いのが、この『稲荷社』です。 お稲荷さんも、ご祭神が『宇賀〜』と、同じお名前をよく見ますが、各お堂やお社には、全て"別々のお稲荷さん"がしっかりいらっしゃいます。 さて『里の神様』も『山の神様』も、 神社の神様は、この"現実の社会"の管理がお仕事です。 物質界を正常に機能させる、 物質界での"人間"や生物を守る、良くするといったお仕事です。 一方で寺院の仏様は、亡くなった後の"あちらの世界"を管理されるお仕事をなさっております。 死んだ人の面倒を見る、見えないあちらの世界を正常に機能させる、そこで人間などを守ることをされてます。 ↑ここ、神様と被っている感じですが、 いわゆる悪霊や魔、それは人が死んで幽霊になったような弱い悪霊ではなく、地球上にいる波動の低い悪い強力な奴らと闘う、それら魔から人間や生物を守る、といったお仕事も仏様がなさってますし、生きている人間の精神面、『心』を救うといったお仕事も、仏様の方です。 神社の行事に、 お宮参り、七五三参り、初詣に厄落し、受験祈願など、今世の現実社会で守って頂けることが多いのにお気づきでしょうか? こちらは神様がご担当なさってます。 寺院では、 お葬式、法要、供養、護摩祈祷など、全てあちらの世界への作用なんです。除夜の鐘を鳴らして煩悩を祓う、写経や瞑想などの心の安らぎを図るのは、仏様なんです。 いかがでしょうか? ほんの少しだけでも、神様と仏様のシステムの違い、お分かり頂けたでしょうか? 神社には、お名前こそ無いものの、必ず神様がお見えになります。 そして人間にとってありがたいご利益を沢山分け与えてくれます。 分社の神様に、『大もとの神様に、○○とお伝えください』とお願いすれば、その神社の神様が、"必ず"お伝えしてくださいます。 山岳系神様は、 里の神様よりもワンランク高い力の強い神様。そんなにお名前が大切なことなのでしょうか? 山神様は『名前など、何でも良い』と言われます。そんなこと、どうでも良いレベルの事なんだと思います。 だから、人間が後付けしたお名前に対しても、一言も怒ったりしてません。 むしろ、 『人間というものは、拝む対象があった方が、そして拝む時に、○○様!どうぞ叶えてください』というふうに、 "対象"と"名前"があった方が拝みやすいのが人間というものである、 とおっしゃっておられました。 確かに、例えば富士山に一生懸命登って、 山頂で何も無いまま手を合わせるのと、 山頂の祠に向かって手を合わせるのとでは、祠という対象があった方が拝みやすいですし、 漠然と神様!と呼びかけるよりは、木花咲耶姫!頑張って登って参りました!と固有名詞を呼びかけた方が、拝みやすいです。 それを神々から教えて頂いた先人の能力者達が、 人間が拝みやすいようにと、お社をせっせと山頂に建て、日本神話の神々のお名前を後付けしていった、というのが事実でございます。 ご納得いただけたでしょうか? ちなみに山の標高は、神様の神格に比例致しません。 ある時、熊野本宮の神様にお聞きした事がございます。 『日本で一番高い山は富士山です。なのに何故、山神様で一番神格の高い熊野の神様が、ここにお見えなのですか? 富士山の神様も同等クラスの山神様なのですか?』と。 熊野の山神様は、 『ワシがこの日本に来た時、富士山はまだ無かった』 と。 エッッッ〜😳です! つまり、現代でこそ富士山や槍ヶ岳、穂高等、アルプス山脈が威風堂々とそびえ立ってますが、 超古代、まだ日本が大陸と繋がっていた時代、一番高かった山は、熊野三山だったそうです。 数々の神々が、先ず『熊野の山』に降り立ち、その後、海上で花火が爆発したイメージで、3回の閃光と共に、日本中に山神様が散って行かれたと。 現代で木花咲耶姫と呼ばれている山神様は、ちっちゃな丘に降り立ちますが、それが年月と共に噴火し、現代の富士山に。 現代で菊理比売命と呼ばれている山神様は、石川の丘に降り立ちますが、年月と共に大陸から離れ、マントルの移動と共に隆起、今の北アルプス山脈に。 という成り立ちなんです。 その霊山に降り立った神々を見つけては、 この山には神がいる!と祠やお社を建てていったのが、 役行者である役小角(えんのおづの)さんや、弘法大師 空海さん、伝教大師 最澄さん、白山を開山した泰澄大師さん等、神を見る目に長けた能力者達だったんです。 いかがでしょう? もしご不明な点がございましたら、 分かる事は丁寧にご説明させて頂きますので、どうぞメッセージくださいませ🙇 大変長くなり、失礼致しました🙇 そしてご拝読、心からありがとうございました🙇

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。