島原街道を歩く①

2018.03.28(水) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 36
休憩時間
36
距離
12.6 km
のぼり / くだり
133 / 133 m
4 36

活動詳細

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以前、長崎街道を歩きました。長崎から門司までを歩きましたが、それは歩いてみなければわからない面白さがありました。それで長崎街道の有明海側の長崎海道(街道と書かず海道と書く)も歩いてみました。更に平戸街道も歩きました。街道歩きはその地に残る様々な歴史や町並みや景色をを眺めながら歩くので、私としては大変面白く感じます。 今回は島原街道をボチボチと歩くことにしました。この道は天領であった長崎を監視する道だったそうです。長崎街道の時は一日30kmぐらい歩きましたが、今回は街道が短いので一日に10kmでゆっくりと歩いて楽しむことになりました。 島原街道はいくつかの道があるようですが、今回は北目道を歩きます。 一回目は島原駅~島鉄湯江駅までです。

雲仙岳・普賢岳・絹笠山 ここが島原鉄道の島原駅です。
ここが島原鉄道の島原駅です。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 大きな金魚さん。20cmぐらいかな。でも駅長さんは白っぽい鯉です。
大きな金魚さん。20cmぐらいかな。でも駅長さんは白っぽい鯉です。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 ちゃんと任命されtおりますよ~
ちゃんと任命されtおりますよ~
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 春爛漫です。見えている山は手前が眉山で、遠くに見えているのが平成新山です。
春爛漫です。見えている山は手前が眉山で、遠くに見えているのが平成新山です。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 まずはお城を一回り~ 島原城はけっこう立派なお城です。このお城を立てるために農民に重税をかけたことが島原一揆の引き金になったと言われています。
まずはお城を一回り~ 島原城はけっこう立派なお城です。このお城を立てるために農民に重税をかけたことが島原一揆の引き金になったと言われています。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 お~ どうやら天草四郎さんがいるようですよ~
お~ どうやら天草四郎さんがいるようですよ~
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 この街道にはびっくりするくらい猿田彦を祀った祠があります。猿田彦は天孫降臨のさいに道案内をした神様で、道の神、旅人の神として祀られているようです。
この街道にはびっくりするくらい猿田彦を祀った祠があります。猿田彦は天孫降臨のさいに道案内をした神様で、道の神、旅人の神として祀られているようです。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 島原はわき水の町で、あちこちに水飲み場があります。
島原はわき水の町で、あちこちに水飲み場があります。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 島原鉄道を横切って有明海側にいきます。
島原鉄道を横切って有明海側にいきます。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 ここ猛島神社は島原領の総社といてあがめられているそうです。
ここ猛島神社は島原領の総社といてあがめられているそうです。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 ここの狛ちゃんは手足が長い! 思わず お手! と言ってしまった~
ここの狛ちゃんは手足が長い! 思わず お手! と言ってしまった~
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 写真に写っていませんがお手水は鉢は藩主松平忠房公の寄進だそうです。
写真に写っていませんがお手水は鉢は藩主松平忠房公の寄進だそうです。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 流死菩提供養塔と彫ってあります。最初意味がよく分かりませんでした。
流死菩提供養塔と彫ってあります。最初意味がよく分かりませんでした。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 説明文を読むと、島原大変の地震で大津波が起こり、多くの溺死者が出たそうでその御霊を供養する為の塔と書いてありました。そうだったんだねえ・・・
説明文を読むと、島原大変の地震で大津波が起こり、多くの溺死者が出たそうでその御霊を供養する為の塔と書いてありました。そうだったんだねえ・・・
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 今まで街道の文字はなかったけど、ありました~ それに 龍馬の歩いた道 とも書いてあります。大河の龍馬伝の時に作られたのかな?
今まで街道の文字はなかったけど、ありました~ それに 龍馬の歩いた道 とも書いてあります。大河の龍馬伝の時に作られたのかな?
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 有明海~! あ~ これを見たら疼くね~ 何がって? 貝掘り~ 大好き~
有明海~! あ~ これを見たら疼くね~ 何がって? 貝掘り~ 大好き~
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 あれまたこの狛ちゃんはたてがみクリクリ。
あれまたこの狛ちゃんはたてがみクリクリ。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 佐賀藩の龍造寺隆信の供養塔。九州制覇を夢見た武将だったようです。
佐賀藩の龍造寺隆信の供養塔。九州制覇を夢見た武将だったようです。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 古戦場後にやってきました。有馬討伐のために佐賀の龍造寺軍5~6万と有馬・島津連合軍6千~1万人が天正12年に激突。圧倒的兵力のはずの龍造寺軍は敗れ、龍造寺隆信は戦死したそうです。長崎街道を歩いたときに龍造寺軍の出陣の地があったのを思い出しました。
古戦場後にやってきました。有馬討伐のために佐賀の龍造寺軍5~6万と有馬・島津連合軍6千~1万人が天正12年に激突。圧倒的兵力のはずの龍造寺軍は敗れ、龍造寺隆信は戦死したそうです。長崎街道を歩いたときに龍造寺軍の出陣の地があったのを思い出しました。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 島鉄~ 一両編成です。今回はお世話になりました。絵は島原の子守歌だね~ おどみゃ島原の おどみゃ島原の ナシの木育ちよ~ なんのナシやら なんのナシやら 色気なしばよ しょうかいな
島鉄~ 一両編成です。今回はお世話になりました。絵は島原の子守歌だね~ おどみゃ島原の おどみゃ島原の ナシの木育ちよ~ なんのナシやら なんのナシやら 色気なしばよ しょうかいな
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 ふ~ん 三会往還とも言うんだね。なんて読むでしょう~か? みえと読むんですよ。
ふ~ん 三会往還とも言うんだね。なんて読むでしょう~か? みえと読むんですよ。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 有明海にそって町並みは続きます。微妙に曲がっているのが街道らしいね~
有明海にそって町並みは続きます。微妙に曲がっているのが街道らしいね~
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 いくつあったか数え切れないくらい猿田彦が祀ってあります。
いくつあったか数え切れないくらい猿田彦が祀ってあります。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 こちらも流死菩提供養塔です。
こちらも流死菩提供養塔です。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 こちらのお飾りは変わっているように見えます。
こちらのお飾りは変わっているように見えます。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 洗いきり波止場。北目唯一の避難港だったそうです。
洗いきり波止場。北目唯一の避難港だったそうです。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 島原は島原味噌の産地としてこちらでは有名です。麦味噌で甘め。私も大好きです。こちらはそのお味噌屋さん。大きな釜です。
島原は島原味噌の産地としてこちらでは有名です。麦味噌で甘め。私も大好きです。こちらはそのお味噌屋さん。大きな釜です。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 明日から貝掘りが解禁とか。掘りたい!
明日から貝掘りが解禁とか。掘りたい!
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 ここの近くに一里塚があるということでお店やご近所さんに尋ねてみましたが、よく分かりませんでした。
ここの近くに一里塚があるということでお店やご近所さんに尋ねてみましたが、よく分かりませんでした。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 が、横の猿田彦さんは一番古くて御利益があることで有名だそうです。
が、横の猿田彦さんは一番古くて御利益があることで有名だそうです。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 長崎から歩いてきたときのみにわかる領馬の道。私たちは反対歩きだからな・・・
長崎から歩いてきたときのみにわかる領馬の道。私たちは反対歩きだからな・・・
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 これで
二つ目かな、島原街道の石柱。
これで 二つ目かな、島原街道の石柱。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 この建物は有形文化財になっているそうです。今はペットホテルってところが面白い。
この建物は有形文化財になっているそうです。今はペットホテルってところが面白い。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 川沿いの道は気持ちがいいな。
川沿いの道は気持ちがいいな。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 三本目の街道碑。
三本目の街道碑。
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 島原鉄道湯江駅に到着。今日はここまで~
島原鉄道湯江駅に到着。今日はここまで~
雲仙岳・普賢岳・絹笠山 つくしがにょきにょき出ていました。
つくしがにょきにょき出ていました。

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