萩の台(乙田)地区石造遺物ハイキング

2018.04.12(木) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 25
休憩時間
5
距離
7.7 km
のぼり / くだり
392 / 391 m
1 14
5
1
1 51

活動詳細

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私のサイトで石造遺物の所在地紹介をしていますが、それを見て歩くのは大変です。モデルコースを作ってみようと歩いてみました。ただ、モデルコースと言っても一筆書きコースにするような遊びをしているため、無駄に歩くコースになっています。生駒市内の石造遺物をもっとよく知っていただこうと、企画してみました。 写真説明に付いている数字は調査報告書の資料番号です。 皆さんも石造遺物マップを参考にもっと良いコースをたどってみてください。 http://www1.kcn.ne.jp/~fmikami/sekizoibutu/ibutuframe.html なお、今回企画の遊びルールは以下に記載しています。 http://www1.kcn.ne.jp/~fmikami/sekizoibutu/ibutuhiking.html このウォークで知っている限りの萩の台の石像遺物を紹介したつもりだったのですが、大峰登拝記念碑だけ写真を撮り忘れています。そばを通るため、わざわざ変なルートにしていたのに撮り忘れてしまいました。アホです。

矢田丘陵・法隆寺 萩の台駅から出発して、まずは乙田墓地、六地蔵(770)がお出迎えです。
萩の台駅から出発して、まずは乙田墓地、六地蔵(770)がお出迎えです。
矢田丘陵・法隆寺 棺台(771)と地蔵菩薩(769)
棺台(771)と地蔵菩薩(769)
矢田丘陵・法隆寺 768の阿弥陀様はこの中ですがわかるかな。(私のサイトを見るとわかります。)
768の阿弥陀様はこの中ですがわかるかな。(私のサイトを見るとわかります。)
矢田丘陵・法隆寺 次へ向かいます。キンカンがなっています。
次へ向かいます。キンカンがなっています。
矢田丘陵・法隆寺 高溝水路横の向川小堂が見えてきました。
高溝水路横の向川小堂が見えてきました。
矢田丘陵・法隆寺 784の一尊像です。地蔵様かどうかわからないらしい。地元の人たちは村を取り巻く地蔵様と考えています。
784の一尊像です。地蔵様かどうかわからないらしい。地元の人たちは村を取り巻く地蔵様と考えています。
矢田丘陵・法隆寺 そばの石碑は苔むしていますが、向川が改修された記念碑で新しいものです。
そばの石碑は苔むしていますが、向川が改修された記念碑で新しいものです。
矢田丘陵・法隆寺 ここで矢田山道に合流です。大変な坂だ。
ここで矢田山道に合流です。大変な坂だ。
矢田丘陵・法隆寺 ヤマブキですね。
ヤマブキですね。
矢田丘陵・法隆寺 坂を登り切ると公園、お昼抜きできたのでちょっと休憩。
坂を登り切ると公園、お昼抜きできたのでちょっと休憩。
矢田丘陵・法隆寺 市道1号線の上を通ります。
市道1号線の上を通ります。
矢田丘陵・法隆寺 右手に降る分岐がありますが、直進です。この写真をあげたのは向かいの見るべきものが目立たないせいです。
右手に降る分岐がありますが、直進です。この写真をあげたのは向かいの見るべきものが目立たないせいです。
矢田丘陵・法隆寺 見るべきものはこれです。二十の下が埋もれて読めません。何丁石かはもう少し進むと予想が付きます。
見るべきものはこれです。二十の下が埋もれて読めません。何丁石かはもう少し進むと予想が付きます。
矢田丘陵・法隆寺 約100m(一丁ほど)進むと分岐です。2基の石造遺物があります。
約100m(一丁ほど)進むと分岐です。2基の石造遺物があります。
矢田丘陵・法隆寺 右側のお地蔵様。中畑地蔵というそうです。
右側のお地蔵様。中畑地蔵というそうです。
矢田丘陵・法隆寺 分岐点の丁石、二十六丁なので、先ほどの丁石は二十七丁と推測できます。しかし、二十の字が違いますね。
分岐点の丁石、二十六丁なので、先ほどの丁石は二十七丁と推測できます。しかし、二十の字が違いますね。
矢田丘陵・法隆寺 広場でベンチがあります。舗装路はここでおしまい。ほっとします。ベンチの脇にお地蔵様がいます。
広場でベンチがあります。舗装路はここでおしまい。ほっとします。ベンチの脇にお地蔵様がいます。
矢田丘陵・法隆寺 マブリョの地蔵と呼ばれていますが、意味がわかりません。道標じゃないかと疑っているんですが、左右の記銘が全然読めません。
マブリョの地蔵と呼ばれていますが、意味がわかりません。道標じゃないかと疑っているんですが、左右の記銘が全然読めません。
矢田丘陵・法隆寺 右側です。読める気がしません。
右側です。読める気がしません。
矢田丘陵・法隆寺 同じく左側、道標というのは濡れ衣だったか。
同じく左側、道標というのは濡れ衣だったか。
矢田丘陵・法隆寺 山桜はまだ咲いていました。これはウワミズザクラかな。
山桜はまだ咲いていました。これはウワミズザクラかな。
矢田丘陵・法隆寺 ここは崩落していたことがあります。この橋なら下の地面が無くなっても大丈夫ですが・・・
ここは崩落していたことがあります。この橋なら下の地面が無くなっても大丈夫ですが・・・
矢田丘陵・法隆寺 松尾寺方面へのショートカット道の分岐ですが、道標があります。
松尾寺方面へのショートカット道の分岐ですが、道標があります。
矢田丘陵・法隆寺 ここはまだ生駒市ですね。私のマップから抜けている。反省。
ここはまだ生駒市ですね。私のマップから抜けている。反省。
矢田丘陵・法隆寺 稜線上の道に出ました。お地蔵さんですが、これも道標ではないのか。エプロンを外してみます。
稜線上の道に出ました。お地蔵さんですが、これも道標ではないのか。エプロンを外してみます。
矢田丘陵・法隆寺 右の記銘です。最初がはっきりしませんが、明らかに「やた山十丁」とよめます。道標です。
右の記銘です。最初がはっきりしませんが、明らかに「やた山十丁」とよめます。道標です。
矢田丘陵・法隆寺 こちらは「左大坂道」ですね。
こちらは「左大坂道」ですね。
矢田丘陵・法隆寺 「生駒の古道」では何も触れていません。見落としでしょうね。今まで化けていたのか。
「生駒の古道」では何も触れていません。見落としでしょうね。今まで化けていたのか。
矢田丘陵・法隆寺 そのすぐ右の道標には「矢田山八丁」です。こちらの方が正しいような気がします。
そのすぐ右の道標には「矢田山八丁」です。こちらの方が正しいような気がします。
矢田丘陵・法隆寺 さて、北上して「左東明寺」の道標。ここは郡山市ですが、建立者は乙田の人なので、生駒の勢力範囲ですね。先ほどの2基の道標もそうかも知れない。
さて、北上して「左東明寺」の道標。ここは郡山市ですが、建立者は乙田の人なので、生駒の勢力範囲ですね。先ほどの2基の道標もそうかも知れない。
矢田丘陵・法隆寺 「すぐ大坂」なんですが、大阪まで行かず萩の台まで戻ります。
「すぐ大坂」なんですが、大阪まで行かず萩の台まで戻ります。
矢田丘陵・法隆寺 こんなものがあってバイク通過を禁止しています。この道は30年ぶりぐらいなので、どうなっていることか。
こんなものがあってバイク通過を禁止しています。この道は30年ぶりぐらいなので、どうなっていることか。
矢田丘陵・法隆寺 心配することもなく良い道です。だんだん思い出しました。確か何かあったはずです。節穴の目を封印して見逃さないようにしなくては。(そんなのできるのか?)
心配することもなく良い道です。だんだん思い出しました。確か何かあったはずです。節穴の目を封印して見逃さないようにしなくては。(そんなのできるのか?)
矢田丘陵・法隆寺 ありました。しかもかなり大物です。自然石彫込道標です。「左東明寺道」とあります。これも私のマップから抜けていた。さらに反省、反省ばかり、ただし大収穫でした。
ありました。しかもかなり大物です。自然石彫込道標です。「左東明寺道」とあります。これも私のマップから抜けていた。さらに反省、反省ばかり、ただし大収穫でした。
矢田丘陵・法隆寺 また、市道1号線を越えて人里に入ります。
また、市道1号線を越えて人里に入ります。
矢田丘陵・法隆寺 急坂を下ると、この建物。神社に見えますか?倉庫にはってあるしめ縄がかろうじて神域をあらわしていますが、中尾神社(金毘羅神社)です。
急坂を下ると、この建物。神社に見えますか?倉庫にはってあるしめ縄がかろうじて神域をあらわしていますが、中尾神社(金毘羅神社)です。
矢田丘陵・法隆寺 ここの石造遺物は燈籠と狛犬、調査報告書には地蔵3体が書いてありますが、間違いです。
ここの石造遺物は燈籠と狛犬、調査報告書には地蔵3体が書いてありますが、間違いです。
矢田丘陵・法隆寺 下って、天照皇大神
下って、天照皇大神
矢田丘陵・法隆寺 ここは一筆書きで到達できませんでした。はやくも例外をつくってしまった。小学校の門柱に見えるのですが、乙田に小学校があった記録が生駒市にないので謎です。
ここは一筆書きで到達できませんでした。はやくも例外をつくってしまった。小学校の門柱に見えるのですが、乙田に小学校があった記録が生駒市にないので謎です。
矢田丘陵・法隆寺 門柱後方はいかにも小学校があった雰囲気ですが・・・
門柱後方はいかにも小学校があった雰囲気ですが・・・
矢田丘陵・法隆寺 八大龍王を祀っています。ご神体は後の古木らしい。
八大龍王を祀っています。ご神体は後の古木らしい。
矢田丘陵・法隆寺 その古木と社、社へはぐるりと回って入ります。
その古木と社、社へはぐるりと回って入ります。
矢田丘陵・法隆寺 さて次は矢田丘陵に再度近づいて小山の地蔵です。ここを登れば、同じ道の往復が避けられるはずです。
さて次は矢田丘陵に再度近づいて小山の地蔵です。ここを登れば、同じ道の往復が避けられるはずです。
矢田丘陵・法隆寺 ところが上方が竹藪で通りにくく、かなり苦労しました。小山の地蔵様です。(766、767)
ところが上方が竹藪で通りにくく、かなり苦労しました。小山の地蔵様です。(766、767)
矢田丘陵・法隆寺 少し下って、中の谷小堂の様子。これも地蔵様かどうか判定が難しいのですが、地元の人は地蔵様だとしています。
少し下って、中の谷小堂の様子。これも地蔵様かどうか判定が難しいのですが、地元の人は地蔵様だとしています。
矢田丘陵・法隆寺 下って、同じ道を通らないため、回り込んで、乙田浄瑠璃資料保存館です。予約しておかないとはいれません。
下って、同じ道を通らないため、回り込んで、乙田浄瑠璃資料保存館です。予約しておかないとはいれません。
矢田丘陵・法隆寺 石福寺です。772、774~779の7体の遺物です。773の地蔵様はご本尊様で地蔵堂の中です。
石福寺です。772、774~779の7体の遺物です。773の地蔵様はご本尊様で地蔵堂の中です。
矢田丘陵・法隆寺 これは本堂、その左が地蔵堂です。
これは本堂、その左が地蔵堂です。
矢田丘陵・法隆寺 これはウランジョウの地蔵様(762)というそうです。裏の所ぐらいの意味でしょうか。
これはウランジョウの地蔵様(762)というそうです。裏の所ぐらいの意味でしょうか。
矢田丘陵・法隆寺 南生駒方面へ向かう峠に3体の石仏、城が峰小堂です。(763~765)右端の763は阿弥陀様ですが、中央と左は地蔵様です。中央の764は生駒谷に嘉永地蔵と記述されています。中尾神社にあると誤記されていたため、ちょっと苦労しました。
南生駒方面へ向かう峠に3体の石仏、城が峰小堂です。(763~765)右端の763は阿弥陀様ですが、中央と左は地蔵様です。中央の764は生駒谷に嘉永地蔵と記述されています。中尾神社にあると誤記されていたため、ちょっと苦労しました。
矢田丘陵・法隆寺 泉光寺です。まずお寺に見えません。尼寺でした。黄檗宗です。
泉光寺です。まずお寺に見えません。尼寺でした。黄檗宗です。
矢田丘陵・法隆寺 北の坂を登ると仏様が4体、摩滅していますが、左端が薬師様です。(782)
北の坂を登ると仏様が4体、摩滅していますが、左端が薬師様です。(782)
矢田丘陵・法隆寺 仏様後方の層塔(781)
仏様後方の層塔(781)
矢田丘陵・法隆寺 最後の庵主さんのお墓です。
最後の庵主さんのお墓です。
矢田丘陵・法隆寺 近鉄線路すぐ東の道標(780)、地元の人はみんな向きがおかしいと言っているそうです。確かにおかしい。
近鉄線路すぐ東の道標(780)、地元の人はみんな向きがおかしいと言っているそうです。確かにおかしい。
矢田丘陵・法隆寺 そのそばの笠松小堂の地蔵さま(783)。これで萩の台地区の石像遺物は終了です。
そのそばの笠松小堂の地蔵さま(783)。これで萩の台地区の石像遺物は終了です。
矢田丘陵・法隆寺 萩の台駅に帰ってきました。
萩の台駅に帰ってきました。

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