堤防道 大栗川から多摩川まで

2015.11.17(火) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 56
休憩時間
3
距離
15.7 km
のぼり / くだり
57 / 168 m
2

活動詳細

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大栗川の堤防道は八王子の南部の鑓水から発し、新大栗橋の先「大丸堰」で多摩川に合流します。 鑓水は絹の道の主要地点であり、川沿いの上/下柚木地区は狭い谷戸の田園地帯の様でしたが多摩ニュータウンの開発に伴い、道路整備や宅地化が進行している地域です。  この地域(稲城から八王子の尾根地帯)は古道が東西に走り、万葉集に、 「赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ」(万葉集 20-4417)  と歌われているように、昔々から馬の放牧が盛んだった様です。 平安末期の頃には、現在の南大沢付近を中心とした毎年40匹の貢馬(くめ)を京上して勅旨牧となる(931年)、「小野牧」があったそうです。そこには別当が派遣され、居を構えたところが「別所」という地名で残っていると思われ、近傍には小野路や小野神社が現存し、小野氏がその別当だったのではないかと思われます。また大栗川沿いには「堀の内」と言う地名があり、堀や柵を作り、馬を調教したり、駄馬を処分して皮をとりなめしたり、肉をとった場所と思われ、大栗川の水を存分に利用していたものと思います。さらには、周辺に「馬具沢」とか「洗馬川橋(せんばがわばし)」とか、「牧」が在ったことを匂わせる地名が残ります。当時の「牧」は単に放牧地ではなく、馬蹄、刃物や農具の鍛冶、鞍・鞭等の馬具等の生産を行う工業団地でもあり、働く人の食料の自給田畑もある中心地だったようです。 多摩川との合流付近の大栗橋は旧鎌倉街道が通り、関戸、分倍河原等の古戦場や、消失建替えで小さくなっていますが、武蔵一之宮「小野神社」がもあります。 晩秋の一日を、昔のこの地の姿を思い馳せながら、サイクリングを楽しんできました。

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