活動データ
タイム
04:00
距離
0m
のぼり
0m
くだり
0m
活動詳細
すべて見る今日は梅雨の合間、山行きでなく、車移動で2ヶ所、お花見に行って参りました。 一つは、宇土市の住吉自然公園です。梅雨の時期、ここのアジサイ鑑賞、昨年に続いて訪れました。 ここは、梅雨の時期には公園を取り囲むように約2000株の色鮮やかな紫陽花が咲きほこります。公園の小高い山頂には平安時代に海上安全の祈願所として建立された住吉神社が祀られており、当時より海上航路の玄関口であったことの目印となったのが「風流島(たはれじま)」で、伊勢物語などにも詠まれた外周約五十メートルの岩礁の頂上には小さな鳥居が建っています。また、公園からは有明海が一望でき、金峰山や雲仙普賢岳の眺望も楽しめ、毎年6月には「紫陽花マンドリンコンサート」も開催され、多くの来場者で賑わいます。~~以上、住吉自然公園の紹介の抜粋です。 宇土市住吉から八代市の「松濱件」(しょうひんけん)の花菖蒲鑑賞、初めて参りました。 元禄元年(1688)、八代城主三代松井直之公が母崇芳院尼のために建てたお茶屋です。当時この辺りには松が茂り、八代海を見渡せる浜辺であったことから松浜軒と名づけられました。別名「浜の茶屋」とも呼ばれていました。(国指定名勝)四季折々の花々が咲き、特に6月上旬には約5,000本の肥後花ショウブが大輪の花を咲かせ、多くの人々の目を楽しませます。~~八代市観光情報から抜粋させていただきました。 戦国時代末期、松井康之は細川藤孝(幽斉)に従って戦功を立て、藤孝の養女を妻として所領を与えられ、以後、代々細川家に仕え、細川一門と同格の重臣扱いを受けていました。細川家世襲三家老の筆頭の地位にあった松井興長が八代城主となり、以後10代、約220年にわたって八代城下町とその周囲を支配しました。松井家は康之の功により、山城国(現京都府)に知行地を与えられ徳川将軍の直参として自家の代替わり、将軍の代替ごとに江戸に参勤するという特殊な家柄でもありました。 また、細川家とともに文化芸能にも秀でた家柄で、代々古流茶道や金春流などの能を伝えています。現在の松井邸は「松浜軒」として知られています。~~熊本県のHPより抜粋させていただきました。 今日の一日は、キャプションをご覧ください。
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