明石・浜の散歩道ウオーキング②

2018.06.17(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 20
休憩時間
0
距離
6.9 km
のぼり / くだり
95 / 94 m
1 21

活動詳細

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あじさいが満開の魚住・住吉公園をスタートし、明石の浜の散歩道を東へ歩きました。 江井ヶ島海岸~明石原人腰骨発見地~アカシゾウ化石発掘地~八木遺跡公園を通ってゴールは藤江駅です。 今日は快晴で汗をかきましたが、潮風を受けながら1時間余りの気持ち良いウオーキングとなりました。 浜の散歩道コースは、3月の活動日記「明石・浜の散歩道」に載せています。

明石市・加古川市・高砂市 魚住住吉神社に併設されている住吉公園の「あじさい神苑」です。
ちょうど満開の見頃を迎えています。本日、ちょうどあじさい祭りが開催されてにぎやかでした。
魚住住吉神社に併設されている住吉公園の「あじさい神苑」です。 ちょうど満開の見頃を迎えています。本日、ちょうどあじさい祭りが開催されてにぎやかでした。
明石市・加古川市・高砂市 住吉神社の西側鳥居です。
住吉神社社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の際、播磨灘で暴風に遭い、魚住の浜に上陸しました。神籬を立てて住吉大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)に祈願されたところ、たちまち風波が静まり、無事に進むことができたとされます。
住吉神社の西側鳥居です。 住吉神社社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の際、播磨灘で暴風に遭い、魚住の浜に上陸しました。神籬を立てて住吉大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)に祈願されたところ、たちまち風波が静まり、無事に進むことができたとされます。
明石市・加古川市・高砂市 播磨灘に面した南側の大鳥居を抜け、桜門の前です。周囲は美しい松林。神功皇后が当地に上陸した際、着衣を松の枝に掛けて干されたところ、風にたなびいて錦のように美しく見えたところから、当地を「錦ヶ浦」と名付けられたそうです。
播磨灘に面した南側の大鳥居を抜け、桜門の前です。周囲は美しい松林。神功皇后が当地に上陸した際、着衣を松の枝に掛けて干されたところ、風にたなびいて錦のように美しく見えたところから、当地を「錦ヶ浦」と名付けられたそうです。
明石市・加古川市・高砂市 江井ヶ島海岸のヤシの木、遠くに明石海峡大橋も見えます。
江井ヶ島海岸のヤシの木、遠くに明石海峡大橋も見えます。
明石市・加古川市・高砂市 江井島の碑、これによると、もともとこの地は「嶋」と呼ばれていた。この「嶋」に港を造ったのが行基上人で、港ができて、行基上人が海上安全の祈祷をされていると、大きなエイが港に入ってきたそうです。みんなはこのエイを追い払おうとしたのですが、一向に出て行こうとしません。そこで行基上人がこのエイに酒を飲ませてやると、満足そうに去っていったそうです。この出来事から「エイが来る嶋」ということで今の地名がついた、という伝説があるそうです。
別の説として、ここ江井島は酒の産地としても有名で、昔から酒造りに欠かせないおいしい水が湧き出ていました。そこで「ええ水が出る井戸のある嶋」というのがなまって「江井島」になったという説もあり。
江井島の碑、これによると、もともとこの地は「嶋」と呼ばれていた。この「嶋」に港を造ったのが行基上人で、港ができて、行基上人が海上安全の祈祷をされていると、大きなエイが港に入ってきたそうです。みんなはこのエイを追い払おうとしたのですが、一向に出て行こうとしません。そこで行基上人がこのエイに酒を飲ませてやると、満足そうに去っていったそうです。この出来事から「エイが来る嶋」ということで今の地名がついた、という伝説があるそうです。 別の説として、ここ江井島は酒の産地としても有名で、昔から酒造りに欠かせないおいしい水が湧き出ていました。そこで「ええ水が出る井戸のある嶋」というのがなまって「江井島」になったという説もあり。
明石市・加古川市・高砂市 江井ヶ島海岸から明石海峡大橋方面を望む
江井ヶ島海岸から明石海峡大橋方面を望む
明石市・加古川市・高砂市 散歩道のあちこちで見かけた群生したサボテン、黄色い花が咲いていました。
散歩道のあちこちで見かけた群生したサボテン、黄色い花が咲いていました。
明石市・加古川市・高砂市 藤江・青龍神社があるこの丘は、縄文時代の土器や石器などが発見された藤江出ノ上遺跡としても知られています。国立歴史民俗博物館の教授も務められた春成秀爾氏がまだ学生だった1959(昭和34)年に確認した遺跡で、藤江川周辺には藤江別所遺跡や藤江川添遺跡など縄文時代や旧石器時代の遺跡が点在していることから、この流域を中心に古くから栄えていたそうです。
藤江・青龍神社があるこの丘は、縄文時代の土器や石器などが発見された藤江出ノ上遺跡としても知られています。国立歴史民俗博物館の教授も務められた春成秀爾氏がまだ学生だった1959(昭和34)年に確認した遺跡で、藤江川周辺には藤江別所遺跡や藤江川添遺跡など縄文時代や旧石器時代の遺跡が点在していることから、この流域を中心に古くから栄えていたそうです。
明石市・加古川市・高砂市 藤江川沿い・御崎神社の西斜面裾部に、直径5m、深さ4mの素掘りの井戸が検出されました。その井戸から古墳時代の車輪石(しゃりんせき)(腕輪)・銅鏡、さらに勾玉(まがたま)などが出土しました。当地を治めていた首長が祭祀を行った神聖な井戸跡だそうです。
藤江川沿い・御崎神社の西斜面裾部に、直径5m、深さ4mの素掘りの井戸が検出されました。その井戸から古墳時代の車輪石(しゃりんせき)(腕輪)・銅鏡、さらに勾玉(まがたま)などが出土しました。当地を治めていた首長が祭祀を行った神聖な井戸跡だそうです。
明石市・加古川市・高砂市 藤江別所遺跡、その井戸跡も現在は写真のように埋め戻され、ポンプ場として鉄網で囲まれています。
藤江別所遺跡、その井戸跡も現在は写真のように埋め戻され、ポンプ場として鉄網で囲まれています。

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