石造遺物ハイキング第13弾 西松ヶ丘地区

2018.06.29(金) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 45
休憩時間
0
距離
4.2 km
のぼり / くだり
104 / 125 m
1 44

活動詳細

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またまたぬるい散歩です。松ヶ丘は東西に分かれているのですが、東松ヶ丘で収録されていた唯一の石造遺物は行方不明で、ほかにめぼしいものもありません。したがって、西松ヶ丘だけです。 カンジョウ松については http://www1.kcn.ne.jp/~fmikami/kanjomatsu.html で解説しています。 説明に出てくる数字は例によって「石造遺物調査報告書」の資料番号です。 これまでのマップをご覧になるには私のサイトからご覧下さい。 http://www1.kcn.ne.jp/~fmikami/sekizoibutu/ibutuhiking.html

生駒山・神津嶽・大原山 今日の目的地は生駒中学校の北なのですが、山側から接近するため、芸術会館前を通ります。今回は素通り。
今日の目的地は生駒中学校の北なのですが、山側から接近するため、芸術会館前を通ります。今回は素通り。
生駒山・神津嶽・大原山 小谷を渡ります。モチ川ですが、今日の石造遺物はこの川の上流にあった大ふじ池決壊に関するものが多いです。
小谷を渡ります。モチ川ですが、今日の石造遺物はこの川の上流にあった大ふじ池決壊に関するものが多いです。
生駒山・神津嶽・大原山 公園脇の道を下る予定ですが、こんなものがありますので寄ってみます。
公園脇の道を下る予定ですが、こんなものがありますので寄ってみます。
生駒山・神津嶽・大原山 立派な層塔と仏堂がありますが、仏様は撤去されていてお留守です。この施設はどうなるのでしょう。
立派な層塔と仏堂がありますが、仏様は撤去されていてお留守です。この施設はどうなるのでしょう。
生駒山・神津嶽・大原山 下って生駒中学校の北に来ました。この橋は中学校にだけ通じている橋ですが、この周辺に石造遺物があります。
下って生駒中学校の北に来ました。この橋は中学校にだけ通じている橋ですが、この周辺に石造遺物があります。
生駒山・神津嶽・大原山 道の北に石造遺物ではありませんが、龍神様を祀った社があります。
道の北に石造遺物ではありませんが、龍神様を祀った社があります。
生駒山・神津嶽・大原山 橋の北側に昔は小堂に鎮座していたはずの石龕一尊像(415)がおられます。小堂は朽ち果てたようです。
橋の北側に昔は小堂に鎮座していたはずの石龕一尊像(415)がおられます。小堂は朽ち果てたようです。
生駒山・神津嶽・大原山 橋を渡ると、中学校の裏門で行き止まりですが、小堂があります。
橋を渡ると、中学校の裏門で行き止まりですが、小堂があります。
生駒山・神津嶽・大原山 小堂内には自然石に刻まれた如来様がいます。報告書には磨崖如来像(417)とあって、どなた様か定かではありません。「生駒の古道」では大ふじ池決壊(1753年の文書に150年以前と書いてあるそうです。)と関連づけています。「河底に・・・祀られ」とありますが河底とは言えません。移したのか誤植なのか。
小堂内には自然石に刻まれた如来様がいます。報告書には磨崖如来像(417)とあって、どなた様か定かではありません。「生駒の古道」では大ふじ池決壊(1753年の文書に150年以前と書いてあるそうです。)と関連づけています。「河底に・・・祀られ」とありますが河底とは言えません。移したのか誤植なのか。
生駒山・神津嶽・大原山 少し下ると、沢山の仏様が祀られています。調査報告書では一尊像(416)とありますが、まとめて一尊像多数と言うことのようです。「生駒の古道」で大ふじ池決壊と関連づけられている「北向き地蔵」がこれのようです。
少し下ると、沢山の仏様が祀られています。調査報告書では一尊像(416)とありますが、まとめて一尊像多数と言うことのようです。「生駒の古道」で大ふじ池決壊と関連づけられている「北向き地蔵」がこれのようです。
生駒山・神津嶽・大原山 長命寺参道を上ります。最上段少し手前で、右(北)のヤブに分け入ります。
長命寺参道を上ります。最上段少し手前で、右(北)のヤブに分け入ります。
生駒山・神津嶽・大原山 鎌倉時代の層塔(402)です。上部が欠けていますが、横に置いてあります。ということは知っているのですが、ヤブがひどくて近づいていません。
鎌倉時代の層塔(402)です。上部が欠けていますが、横に置いてあります。ということは知っているのですが、ヤブがひどくて近づいていません。
生駒山・神津嶽・大原山 石段最上部の右手に禁札がありますが、これは側面で正面はヤブで近づけない。
石段最上部の右手に禁札がありますが、これは側面で正面はヤブで近づけない。
生駒山・神津嶽・大原山 何とか正面を撮影してみました。これは上の方。
何とか正面を撮影してみました。これは上の方。
生駒山・神津嶽・大原山 これは下の方、まとめると「不許葷酒入山門」のようですが、「山」と「門」の間に字があるような気がします。
これは下の方、まとめると「不許葷酒入山門」のようですが、「山」と「門」の間に字があるような気がします。
生駒山・神津嶽・大原山 禁札のほぼ向かいに積み上げてあるのが宝筺印塔残欠(400、401)のようです。
禁札のほぼ向かいに積み上げてあるのが宝筺印塔残欠(400、401)のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 植え込みの中に何か見えます。
植え込みの中に何か見えます。
生駒山・神津嶽・大原山 これが五輪塔残欠(399)のようです。
これが五輪塔残欠(399)のようです。
生駒山・神津嶽・大原山 立派な塔もありますが、この辺は報告書収録無し。
立派な塔もありますが、この辺は報告書収録無し。
生駒山・神津嶽・大原山 本堂裏手には仏様が多数並んでいます。
本堂裏手には仏様が多数並んでいます。
生駒山・神津嶽・大原山 右の方には多数の石龕一尊像(403)が並んでいます。報告書収録の一尊像がどれかという指定はないようです。
右の方には多数の石龕一尊像(403)が並んでいます。報告書収録の一尊像がどれかという指定はないようです。
生駒山・神津嶽・大原山 自然石西国三十三所順礼供養碑(405)、境内にあるのはここまで、あとは道路を隔てた北にあります。
自然石西国三十三所順礼供養碑(405)、境内にあるのはここまで、あとは道路を隔てた北にあります。
生駒山・神津嶽・大原山 北へ抜ける道の途中にはこんな神様も祀られています。このそばに小堂があって、神様が祀られていますが、ミツバチの巣になって、スズメバチが襲っていました。
北へ抜ける道の途中にはこんな神様も祀られています。このそばに小堂があって、神様が祀られていますが、ミツバチの巣になって、スズメバチが襲っていました。
生駒山・神津嶽・大原山 北側の道を隔てた長命寺墓地脇に石造遺物が並んでいます。法華経千部供養碑(406)。文化12年(1815年)
北側の道を隔てた長命寺墓地脇に石造遺物が並んでいます。法華経千部供養碑(406)。文化12年(1815年)
生駒山・神津嶽・大原山 石龕内に仏様が祀られています。
石龕内に仏様が祀られています。
生駒山・神津嶽・大原山 こちらも千部供養碑のようですね。収録されているのはこちらではないようです。
こちらも千部供養碑のようですね。収録されているのはこちらではないようです。
生駒山・神津嶽・大原山 北嶺大行満碑(407)、北嶺は生駒山のことで、大行満は千日回峰のことらしい。文政9年(1826年)に6人が達成したらしい。
北嶺大行満碑(407)、北嶺は生駒山のことで、大行満は千日回峰のことらしい。文政9年(1826年)に6人が達成したらしい。
生駒山・神津嶽・大原山 階段を上ると金毘羅神社です。立派な鳥居(412)です。文政6年(1825年)の銘があります。
階段を上ると金毘羅神社です。立派な鳥居(412)です。文政6年(1825年)の銘があります。
生駒山・神津嶽・大原山 手水鉢(413)も収録されています。嘉永7年(1854年)の銘が有ります。
手水鉢(413)も収録されています。嘉永7年(1854年)の銘が有ります。
生駒山・神津嶽・大原山 これは千度石(411)ですね。お百度石は珍しくありませんが、千度というのは半端ないですね。文政2年(1819年)ですが、「千度井百度」とあって、どうも千度を百度達成したと読めるのですが、この解釈は正しいのでしょうか?
これは千度石(411)ですね。お百度石は珍しくありませんが、千度というのは半端ないですね。文政2年(1819年)ですが、「千度井百度」とあって、どうも千度を百度達成したと読めるのですが、この解釈は正しいのでしょうか?
生駒山・神津嶽・大原山 お百度石もあります。これぐらいが妥当なのでは…
お百度石もあります。これぐらいが妥当なのでは…
生駒山・神津嶽・大原山 天保3年(1832年)銘の右側の狛犬(409)ですが、阿形か吽形か口が欠けていてわからない。
天保3年(1832年)銘の右側の狛犬(409)ですが、阿形か吽形か口が欠けていてわからない。
生駒山・神津嶽・大原山 左側(410)は吽形とわかります。従って右が阿形なのでしょう。寄進年は同じ。
左側(410)は吽形とわかります。従って右が阿形なのでしょう。寄進年は同じ。
生駒山・神津嶽・大原山 宝塔(408)です。一字一石経塔ということですが、なんのこっちゃ。上部が折れています。
宝塔(408)です。一字一石経塔ということですが、なんのこっちゃ。上部が折れています。
生駒山・神津嶽・大原山 折れた上部は横に置いてあります。
折れた上部は横に置いてあります。
生駒山・神津嶽・大原山 本殿左を少し上ると別の神社があります。
本殿左を少し上ると別の神社があります。
生駒山・神津嶽・大原山 その手前には石龕一尊像が多数転がっているのですが、報告書には無視されています。
その手前には石龕一尊像が多数転がっているのですが、報告書には無視されています。
生駒山・神津嶽・大原山 下ってモチ川と生駒川の合流点です。この東に大ふじ池決壊後、カンジョウの松が植えられました。
下ってモチ川と生駒川の合流点です。この東に大ふじ池決壊後、カンジョウの松が植えられました。
生駒山・神津嶽・大原山 カンジョウ松は今はありません。代わりのモチノキです。
カンジョウ松は今はありません。代わりのモチノキです。
生駒山・神津嶽・大原山 カンジョウ松跡地をしのばせる神棚です。
カンジョウ松跡地をしのばせる神棚です。
生駒山・神津嶽・大原山 その東なのですが、ここにあった民家がなくなり造成中です。ここの民家は不自然に横長で、元の宿屋ではなかったのかと推測していたのですが、無くなってしまいました。宿屋だったとすると、幕末矢野騒動の密儀を凝らした場所ということになるのですが…
その東なのですが、ここにあった民家がなくなり造成中です。ここの民家は不自然に横長で、元の宿屋ではなかったのかと推測していたのですが、無くなってしまいました。宿屋だったとすると、幕末矢野騒動の密儀を凝らした場所ということになるのですが…
生駒山・神津嶽・大原山 谷田地蔵堂後ろの道標を読み取ろうと歯ブラシを持ってきたのですが、施主の下、右行の「大坂」の下がどうにも読み取れません。左行は「柏本清」で間違いないようですが、その下が欠損です。
谷田地蔵堂後ろの道標を読み取ろうと歯ブラシを持ってきたのですが、施主の下、右行の「大坂」の下がどうにも読み取れません。左行は「柏本清」で間違いないようですが、その下が欠損です。
生駒山・神津嶽・大原山 生駒小学校北のブロック塀はこんな状態になっています。
生駒小学校北のブロック塀はこんな状態になっています。
生駒山・神津嶽・大原山 こんな張り紙があるのですが、車道まで逃げないといけないような気がします。可能かなあ。この塀は違法状態ではないのですが…
こんな張り紙があるのですが、車道まで逃げないといけないような気がします。可能かなあ。この塀は違法状態ではないのですが…

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