戦車類運行試験場(通称:戦車道路)跡探索

2018.07.01(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
6 時間 1
休憩時間
0
距離
44.0 km
のぼり / くだり
841 / 808 m
6 3

活動詳細

すべて見る

以前johoxさんに教えていただいた、戦車道路跡の探索に行ってきました。 現在「戦車道路」として知られているのは町田市の尾根道緑道くらいですが、調べてみますと実に壮大な計画があったようです。 元々は旧陸軍が、戦車の性能試験や操縦訓練を行うための「戦車類運行試験場」として、当時戦車を製造していた相模陸軍造兵廠の北部、現在の町田市、八王子市、多摩市にまたがる地域に計画されました。(1枚目の地図画像参照) 1942年(昭和17年)頃から用地の買収が始まり1943年末には、現在の尾根道緑道にあたる、第1期区間根岸~田端間と相模陸軍造兵廠や、町田街道に通じる支道が完成しています。他にも着工した部分はあったようですが、実際に戦車の走行試験等が行われたのは、現在尾根道緑道として残っている区間のみだったようです。 終戦後は、相模陸軍造兵廠は接収され米軍の相模総合補給廠となりましたが、戦車類運行試験場は接収を免れ防衛庁の管轄となりました。淵野辺に防衛庁陸上装備研究所ができると、戦車道路は陸上自衛隊により再整備され、1965年頃まで陸自車両の走行試験等に再利用されていたそうです。 1966年(昭和41年)に多摩ニュータウンが着工すると、戦車道路は工事用道路として再々利用されていますが、造成に伴い戦車道路の元となっていた道の多くは失われています。更にその後、残った部分はそのまま道路として、あるいは尾根緑道緑道やよこやまの道、まちだフットパス等の一部として再々々利用されています。 では一体、どこにどれくらい残っているのでしょうか? 今昔マップ、カシミール、グーグルアースを駆使して現在の地図上に戦車道路を落としてみますと、2枚目の推定ルート図のようになります。点線は現存しない部分、実線は痕跡を追跡できそうな部分です(未成部分や廃道部分も含む)。カシミールで作成した戦車道路推定計画路線の総延長は33.7km、実線で表示した区間は20.9kmなので、半分以上残っていることになります。 一応戦争遺跡に該当すると思いますが、それらしい痕跡は皆無です。単なる自己満足の記録なので適当にスルーしてください。

多摩市 戦車道路の計画図。Wikipediaには総延長30kmと書いてありますが、痕跡のわかる部分を走っただけでも44km以上でした。
戦車道路の計画図。Wikipediaには総延長30kmと書いてありますが、痕跡のわかる部分を走っただけでも44km以上でした。
多摩市 現在の地図上の戦車道路の推定ルート図。破線は痕跡が残っていない道。実線は痕跡が辿れそうな道。赤の実線で表示している、A1は「尾根道緑道」A2とA3は、相模陸軍造兵廠(現:米軍相模総合補給廠)から戦車道路へ移動するために整備された支道で、現在は一般道路になっています。
現在の地図上の戦車道路の推定ルート図。破線は痕跡が残っていない道。実線は痕跡が辿れそうな道。赤の実線で表示している、A1は「尾根道緑道」A2とA3は、相模陸軍造兵廠(現:米軍相模総合補給廠)から戦車道路へ移動するために整備された支道で、現在は一般道路になっています。
多摩市 スタートはJR横浜線淵野辺駅。なかなか立派な駅です。
スタートはJR横浜線淵野辺駅。なかなか立派な駅です。
多摩市 芝溝街道を走って町田街道まで来ました。
芝溝街道を走って町田街道まで来ました。
多摩市 町田街道から、右手の戦車道路に至る坂道A2を登ります。
町田街道から、右手の戦車道路に至る坂道A2を登ります。
多摩市 農家っぽいお宅や農地があって、昔からある道あることが伺えます。
農家っぽいお宅や農地があって、昔からある道あることが伺えます。
多摩市 登りきると、戦車道路の解説板がありました。
登りきると、戦車道路の解説板がありました。
多摩市 とりあえず、現在残っている戦車道路の端まで行ってみます。
とりあえず、現在残っている戦車道路の端まで行ってみます。
多摩市 戦車道路の東端。
戦車道路の東端。
多摩市 大山がよく見えました。丹沢山塊には雲がかかっています。
大山がよく見えました。丹沢山塊には雲がかかっています。
多摩市 この看板は公共物への私的利用ですね。なんか安い野菜あるかな?ちょっと見てみます。
この看板は公共物への私的利用ですね。なんか安い野菜あるかな?ちょっと見てみます。
多摩市 ジャガイモとミニトマトは安いと思いますが、この季節キュウリ1本50円は、ちと高いのではないでしょうか。
ジャガイモとミニトマトは安いと思いますが、この季節キュウリ1本50円は、ちと高いのではないでしょうか。
多摩市 戦車道路の西端まで来ました。奥多摩方面の山々もよく見えます。
戦車道路の西端まで来ました。奥多摩方面の山々もよく見えます。
多摩市 結構奥地の山まで見えるんですね。
結構奥地の山まで見えるんですね。
多摩市 推定ルート図A4の「鮎の道」ここも戦車道路の計画ルートだったようです。
推定ルート図A4の「鮎の道」ここも戦車道路の計画ルートだったようです。
多摩市 鮎の道はこんな感じ。ちゃんと舗装してあります。
鮎の道はこんな感じ。ちゃんと舗装してあります。
多摩市 小山内裏公園の駐車場に出ました。かつては道路の反対側から先にも道は続いていたようですが、開発によって失われています。ここまでが知られている戦車道路の跡。この先はBushmaster的自己満足の記録です。
小山内裏公園の駐車場に出ました。かつては道路の反対側から先にも道は続いていたようですが、開発によって失われています。ここまでが知られている戦車道路の跡。この先はBushmaster的自己満足の記録です。
多摩市 推定ルート図B付近。開発によって造られた道路も、なんとなく旧道に近いルートを通っています。
推定ルート図B付近。開発によって造られた道路も、なんとなく旧道に近いルートを通っています。
多摩市 旧道は柳沢の池公園の中を通っていました。
旧道は柳沢の池公園の中を通っていました。
多摩市 戦車道路は富士見台公園の中を通る予定だったようです。
戦車道路は富士見台公園の中を通る予定だったようです。
多摩市 なかなかキレイな公園です。
なかなかキレイな公園です。
多摩市 展望台がありました。こういうのには登らずにはいられません。
展望台がありました。こういうのには登らずにはいられません。
多摩市 うーん。あんま景色良くないです。
うーん。あんま景色良くないです。
多摩市 富士見台公園内の推定ルート図C付近。旧道の名残のようです。
富士見台公園内の推定ルート図C付近。旧道の名残のようです。
多摩市 推定ルート図D1付近の多摩センター通り。全く痕跡がありませn。
推定ルート図D1付近の多摩センター通り。全く痕跡がありませn。
多摩市 推定ルート図Lの破線部分。痕跡が無いかと思っていましたが、効果下に無理無理道路を通す感じは、旧道を復元したように感じられます。
推定ルート図Lの破線部分。痕跡が無いかと思っていましたが、効果下に無理無理道路を通す感じは、旧道を復元したように感じられます。
多摩市 古そうな家や農地があります。旧道の名残のようです。
古そうな家や農地があります。旧道の名残のようです。
多摩市 戦車道路は京王堀之内駅付近を通る予定だったようです。この付近は高低差が激しく、道路も複雑に立体交差しています。
戦車道路は京王堀之内駅付近を通る予定だったようです。この付近は高低差が激しく、道路も複雑に立体交差しています。
多摩市 京王堀之内駅付近。そんなに早朝というわけでもないのに、全く人通りがありません。都市計画的には多摩ニュータウンは失敗例に属すそうです。都心から遠いことと、開発の遅れで都市機能が充実する前に、住民が高齢化して活気が失われた為とか言われています。
京王堀之内駅付近。そんなに早朝というわけでもないのに、全く人通りがありません。都市計画的には多摩ニュータウンは失敗例に属すそうです。都心から遠いことと、開発の遅れで都市機能が充実する前に、住民が高齢化して活気が失われた為とか言われています。
多摩市 推定ルート図D2の秋葉台小学校付近で、府中カントリークラブにぶつかります。戦車道路はゴルフ場内を通す予定だったようです。
推定ルート図D2の秋葉台小学校付近で、府中カントリークラブにぶつかります。戦車道路はゴルフ場内を通す予定だったようです。
多摩市 府中カントリークラブを迂回します。結構キツイな。ゴルフ場の丘は戦車の走行試験にはうってつけの坂だったでしょう。
府中カントリークラブを迂回します。結構キツイな。ゴルフ場の丘は戦車の走行試験にはうってつけの坂だったでしょう。
多摩市 多摩センター方面。
多摩センター方面。
多摩市 推定ルート図E1「中沢池公園通り」も戦車道路の計画ルートだったようです。
推定ルート図E1「中沢池公園通り」も戦車道路の計画ルートだったようです。
多摩市 府中カントリークラブの反対側に来ました。旧道の痕跡らしき隙間があります。
府中カントリークラブの反対側に来ました。旧道の痕跡らしき隙間があります。
多摩市 推定ルート図E2の山王下付近。旧家らしい豪邸があります。山王などという地名の近くには、たいてい山王社があるのですが、現在の地図にはそれらしい神社は見当たりません。
推定ルート図E2の山王下付近。旧家らしい豪邸があります。山王などという地名の近くには、たいてい山王社があるのですが、現在の地図にはそれらしい神社は見当たりません。
多摩市 かろうじて地理院の地図には上之根公園内に神社の記号があります。昭和初期の戦車道路計画図にも記載がありますが、現地に来てみると跡形もありませんでした。山王下の地名の由来だったんでしょうか。
かろうじて地理院の地図には上之根公園内に神社の記号があります。昭和初期の戦車道路計画図にも記載がありますが、現地に来てみると跡形もありませんでした。山王下の地名の由来だったんでしょうか。
多摩市 推定ルート図FとGの境目付近。新旧地図を見比べると、注目すべき地形がありました。右手のトラックが停まっている小道です。現在は家の出入口のようになていますが、わずかに残された旧道の跡です。背後のカラフルなアーチ状の壁は何でしょう?
推定ルート図FとGの境目付近。新旧地図を見比べると、注目すべき地形がありました。右手のトラックが停まっている小道です。現在は家の出入口のようになていますが、わずかに残された旧道の跡です。背後のカラフルなアーチ状の壁は何でしょう?
多摩市 全世界サンリオファンの聖地ピューロランドの裏手になります。戦車道路はピューロランドの敷地の一角を通過する予定だったようです。
全世界サンリオファンの聖地ピューロランドの裏手になります。戦車道路はピューロランドの敷地の一角を通過する予定だったようです。
多摩市 推定ルート図H付近は、全く痕跡がありません。
推定ルート図H付近は、全く痕跡がありません。
多摩市 推定ルート図I付近。戦車道路の一部は、よこやまの道になっています。
推定ルート図I付近。戦車道路の一部は、よこやまの道になっています。
多摩市 推定ルート図I。昭和臭がプンプンする廃屋がありました。このあたりから昔の多摩丘陵の風景が残るエリアになります。
推定ルート図I。昭和臭がプンプンする廃屋がありました。このあたりから昔の多摩丘陵の風景が残るエリアになります。
多摩市 戦車道路の予定ルートは、まちだフットパスになっています。トレラン集団が居ました。
戦車道路の予定ルートは、まちだフットパスになっています。トレラン集団が居ました。
多摩市 これまでのニュータウン風景とは打って変わって、農村風景が見られます。
これまでのニュータウン風景とは打って変わって、農村風景が見られます。
多摩市 推定ルート図Iの中程。昔の戦車道路の計画図にも、この鋭角コーナーの記載があります。この付近の道路は戦時中から全く変わっていないようです。
推定ルート図Iの中程。昔の戦車道路の計画図にも、この鋭角コーナーの記載があります。この付近の道路は戦時中から全く変わっていないようです。
多摩市 炭焼き小屋ですかね。
炭焼き小屋ですかね。
多摩市 宮崎アニメの平成狸合戦は、このあたりがモデルだったような。
宮崎アニメの平成狸合戦は、このあたりがモデルだったような。
多摩市 推定ルート図Jに続きます。
推定ルート図Jに続きます。
多摩市 古い石仏がありました。数ある鎌倉街道の一部だったそうです。
古い石仏がありました。数ある鎌倉街道の一部だったそうです。
多摩市 おおっ。古そうな石碑がありました。裏には昭和拾四年竣工とありました。戦車道路計画以前の石碑のようです。
おおっ。古そうな石碑がありました。裏には昭和拾四年竣工とありました。戦車道路計画以前の石碑のようです。
多摩市 推定ルート図Kの熊野神社。戦車道路はこの鳥居の前を通す予定だったようです。
推定ルート図Kの熊野神社。戦車道路はこの鳥居の前を通す予定だったようです。
多摩市 鶴見川の上流部。戦車道路はこの川をどう渡るつもりだったのでしょう。
鶴見川の上流部。戦車道路はこの川をどう渡るつもりだったのでしょう。
多摩市 これまた古そうな石塔がありました。
これまた古そうな石塔がありました。
多摩市 推定ルート図Kの東側。古そうなお宅です。
推定ルート図Kの東側。古そうなお宅です。
多摩市 うっ。行き止まりですか。戦車が登るには少々キツそうな丘です。
うっ。行き止まりですか。戦車が登るには少々キツそうな丘です。
多摩市 脇に小道がありました。行けるかな?
脇に小道がありました。行けるかな?
多摩市 藪道が続いてそうですが、自転車を担いでいくには少々無理があります。あきらめて迂回しました。
藪道が続いてそうですが、自転車を担いでいくには少々無理があります。あきらめて迂回しました。
多摩市 尾根道緑道の東端まで戻ってきました。とりあえず戦車道路一周には成功。痕跡が残っていそうな、推定ルート図Lに行きます。
尾根道緑道の東端まで戻ってきました。とりあえず戦車道路一周には成功。痕跡が残っていそうな、推定ルート図Lに行きます。
多摩市 また出ました。道路改修記念碑。裏にはびっしりと寄付をした方々の名前が彫られています。年号は確認しませんでしたが、先程の石碑と同年代のようです。
また出ました。道路改修記念碑。裏にはびっしりと寄付をした方々の名前が彫られています。年号は確認しませんでしたが、先程の石碑と同年代のようです。
多摩市 推定ルート図Lの中程。右手の道が旧道のようです。
推定ルート図Lの中程。右手の道が旧道のようです。
多摩市 うん。旧道っぽい。
うん。旧道っぽい。
多摩市 押越の正山寺付近。このあたりの谷戸にも農村風景が残っています。
押越の正山寺付近。このあたりの谷戸にも農村風景が残っています。
多摩市 おー。なんか廃道っぽくなってきました。この旧道は町田市と多摩市の境界になっています。
おー。なんか廃道っぽくなってきました。この旧道は町田市と多摩市の境界になっています。
多摩市 右手の巨大な建物は三菱東京UFJ銀行。戦車道路はK'sデンキやコーナン、ヤマダ電機の敷地内を通過する予定だたようです。
右手の巨大な建物は三菱東京UFJ銀行。戦車道路はK'sデンキやコーナン、ヤマダ電機の敷地内を通過する予定だたようです。
多摩市 推定ルート図からちょっと外れて、LとMのリエゾン区間。トレラン女子の集団がいらっしゃいました。
推定ルート図からちょっと外れて、LとMのリエゾン区間。トレラン女子の集団がいらっしゃいました。
多摩市 戦車道路の痕跡は、この付近では、「よこやまの道トイレ(唐木田)」になっていました。案内板の長生公園方面に下ります。
戦車道路の痕跡は、この付近では、「よこやまの道トイレ(唐木田)」になっていました。案内板の長生公園方面に下ります。
多摩市 草ボーボーですが、昔からある道で戦車道路の計画ルートです。
草ボーボーですが、昔からある道で戦車道路の計画ルートです。
多摩市 長生上小山田陸橋を渡ります。多摩ニュータウン開発以前からあった道を拡幅したもののようです。しかし車止めがあり一般車は通行止めです。
長生上小山田陸橋を渡ります。多摩ニュータウン開発以前からあった道を拡幅したもののようです。しかし車止めがあり一般車は通行止めです。
多摩市 そのまま進むと長生公園の南東側を通過します。都道158号線と地図にも記載がある道ですが、事実上廃道になっています。
そのまま進むと長生公園の南東側を通過します。都道158号線と地図にも記載がある道ですが、事実上廃道になっています。
多摩市 斎場の中を突っ切り、尾根道緑道に戻ります。
斎場の中を突っ切り、尾根道緑道に戻ります。
多摩市 戦車道路探索も終盤です。最後は推定ルート図A3の相模陸軍造兵廠への支道を下ります。
戦車道路探索も終盤です。最後は推定ルート図A3の相模陸軍造兵廠への支道を下ります。
多摩市 旧相模陸軍造兵廠(現:米軍相模総合補給廠)へ至るイチョウ並木。
旧相模陸軍造兵廠(現:米軍相模総合補給廠)へ至るイチョウ並木。
多摩市 コンクリートの壁とフェンスで行き止まりです。昔はここに門があったそうです。おそらくイチョウ並木も中まで続いていたのでしょう。
コンクリートの壁とフェンスで行き止まりです。昔はここに門があったそうです。おそらくイチョウ並木も中まで続いていたのでしょう。
多摩市 倉庫の様な建物と、だだっ広い草地が広がっています。全く人影が見えません。
倉庫の様な建物と、だだっ広い草地が広がっています。全く人影が見えません。
多摩市 フェンスの点検通路を挟んで、いきなり住宅というのは、ちょっと異様です。
フェンスの点検通路を挟んで、いきなり住宅というのは、ちょっと異様です。
多摩市 相模原駅に至る道。以前は米軍相模総合補給廠の中で、一般人は相模総合補給廠を大きく迂回しないと相模原駅には行けませんでした。
相模原駅に至る道。以前は米軍相模総合補給廠の中で、一般人は相模総合補給廠を大きく迂回しないと相模原駅には行けませんでした。
多摩市 駅に近い方でも人影は皆無です。使っていないなら、とっとと返還してほしいです。
駅に近い方でも人影は皆無です。使っていないなら、とっとと返還してほしいです。
多摩市 ゴールはJR横浜線相模原駅。長々とお付き合いありがとうございました。
ゴールはJR横浜線相模原駅。長々とお付き合いありがとうございました。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。