活動データ
タイム
06:01
距離
44.0km
のぼり
841m
くだり
808m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る以前johoxさんに教えていただいた、戦車道路跡の探索に行ってきました。 現在「戦車道路」として知られているのは町田市の尾根道緑道くらいですが、調べてみますと実に壮大な計画があったようです。 元々は旧陸軍が、戦車の性能試験や操縦訓練を行うための「戦車類運行試験場」として、当時戦車を製造していた相模陸軍造兵廠の北部、現在の町田市、八王子市、多摩市にまたがる地域に計画されました。(1枚目の地図画像参照) 1942年(昭和17年)頃から用地の買収が始まり1943年末には、現在の尾根道緑道にあたる、第1期区間根岸~田端間と相模陸軍造兵廠や、町田街道に通じる支道が完成しています。他にも着工した部分はあったようですが、実際に戦車の走行試験等が行われたのは、現在尾根道緑道として残っている区間のみだったようです。 終戦後は、相模陸軍造兵廠は接収され米軍の相模総合補給廠となりましたが、戦車類運行試験場は接収を免れ防衛庁の管轄となりました。淵野辺に防衛庁陸上装備研究所ができると、戦車道路は陸上自衛隊により再整備され、1965年頃まで陸自車両の走行試験等に再利用されていたそうです。 1966年(昭和41年)に多摩ニュータウンが着工すると、戦車道路は工事用道路として再々利用されていますが、造成に伴い戦車道路の元となっていた道の多くは失われています。更にその後、残った部分はそのまま道路として、あるいは尾根緑道緑道やよこやまの道、まちだフットパス等の一部として再々々利用されています。 では一体、どこにどれくらい残っているのでしょうか? 今昔マップ、カシミール、グーグルアースを駆使して現在の地図上に戦車道路を落としてみますと、2枚目の推定ルート図のようになります。点線は現存しない部分、実線は痕跡を追跡できそうな部分です(未成部分や廃道部分も含む)。カシミールで作成した戦車道路推定計画路線の総延長は33.7km、実線で表示した区間は20.9kmなので、半分以上残っていることになります。 一応戦争遺跡に該当すると思いますが、それらしい痕跡は皆無です。単なる自己満足の記録なので適当にスルーしてください。
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